『自分の国に誇りがあるから熱くなれる』
灼熱の夏がくる前に、ワールドカップの熱風がこの国を過ぎさっていった。祭りの後の喪失感を語るNEWSも多くみられたが、みなさんはどうかんじているだろうか?
多くのアメリカ人の例にもれず、アンチ・サッカー人間の私だが、そんな私も実は、多くのシーンに「感動した」と告白する。壮大な祭典であり、日本と日本人に多くの事を残していったと思う。私の目に今回なによりも焼きついているのは、日本滞在30余年、最近ではほとんどもう、目にする事のなかった日本人の愛国心だ。
日本人はよくも悪くも、つつしみぶかい。声高に愛国心を語る輩は、街頭宣伝車にのってパトカーと仲良くドライブしているお兄さんたちを除けば、ふだん目にする事はあまりない。日本の国歌斉唱の際に起立する人も数えるほどならば、国歌を間違えずに歌える人もこれまた実は数少ないであろうと推測する。
たいして、私の母国、アメリカでは、「鼻につくほどの愛国心」をだれもが口にし、国歌斉唱ともあれば、胸に手をあて、起立するのがあたりまえ。国歌の他にも"PATRIOT"精神を称える歌は数しれず。車のナンバープレートに星条旗を描いている人も、珍しくない。であるから、こと、国の一大事ともなれば、それがスポーツであれなにであれ、国をあげて、老いも若きも愛国心まるだしのオンパレードである。それが、よいか悪いかは、さておいて、「なぜ、あんなに熱くなれるのですか」とよく聞かれる。それにたいして、私は、「自分の国に誇りがあるから」と答える。
今回の韓国のサポーター応援をみて、感動した人は多いだろう。TVでも、「あんなに熱くなれる韓国のサポーターがうらやましい」と発言しているコメンテーターを何人かみた。「なぜあんなに熱くなれるのか?」 「自分の国に誇りがあるから」である。
日本でも、日本のサッカーチームに誇りをもって、声を枯らして応援している人をたくさんみる事ができた。国民1億総サッカーファン、猫も杓子もサッカーの応援に熱をいれ、熱く想いを語っていた。そんな人たちの顔は、「誇り」に輝いていた。それは、「日本の国」への誇りであったと思う。「誇り」をもつことは、とても大切である。「誇り」は、人を熱くさせる。その熱さは、人に感動を与え、感動をうむ。
ここのところ、少し元気がなくなっていた日本に、熱さをもってきたワールドカップ。その熱さが思いださせてくれたなにかを、忘れずにいてほしいと願っている。いいじゃない!
「ニッポン、チャチャチャ!!」
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