藤森香衣 (ふじもり・かえ)
モデル
- ― 藤森さんは乳がんを経験され、無事摘出。現在はサバイバーとして様々な活動をしていらっしゃいます。もともと、がんが見つかったきっかけはどのようなことだったのでしょうか。
- 藤森 4年と少し前、親友と、その友達とで新宿でご飯を食べたんです。その人は26歳で2歳の子どもがいました。170センチくらいの長身の美人で、元気そうだったのに「私、がんなんです」と言われて本当にびっくりしました。抗がん剤は数百万円単位でかかるとか「万が一の時のために保険には入っておいたほうがいい」といった話を聞いてショックでした。そしてもっとショックなことに、彼女はその後半年で亡くなってしまったんです。親友と2人で死化粧してあげたのですが、肌もぴちぴちしているのに冷たくて、本当に悲しかった。その後、2011年3月の震災があり、夏頃に復興支援のイベントをしている時、私は自分の右胸に変なものがあるなと気づきました。9月のイベントが終わって検診に行くと「水疱」というしこりかもしれないと言われました。レントゲンでは、がんは白く見えるそうなんですが、石灰化もしていなかった。
- ― その後、もう一度検査に行かれたんですね。
- 藤森 その時は「異常なし」という診断だったのですが、その後だんだん大きくなってきている気がしたんです。友達の「検診をちゃんと受けて」という言葉が心に残っていたので、その翌年、10月のピンクリボン月間の混んでる時期を避けて、11月に紹介してもらった別の病院に行きました。細胞検査というのは、ストロー状のものを胸に刺すんです。結果を聞きにいったとき、いっぱいだった待合室からどんどん人がいなくなるんですね。ついには私だけが残りました。しかも先生が迎えに来てくれて、それでもうなんとなくわかっていたし、覚悟して診察室に入りました。「残念ながら…」という言葉から告知が始まりました。大きい病院を紹介しますと言われて、正直どうなっちゃうんだろうと思いました。
- ― 真っ先に何を考えましたか。
- 藤森 まず仕事のことを考えました。11歳のときからモデルや子役の仕事をしていますから、自分の身体について商品だという意識があるんです。事務所には言ったほうがいいだろうと思いました。モデルの仕事は人前で着替えなければならないこともあります。言わずに仕事していて胸の変化を見られてあれこれ想像されるのもつらいし「あの子、病気らしいよ」とネットに書かれたりするのも嫌ですからね。おかげさまで、事務所が理解してくれたことはとても大きかったと思います。術後も仕事に復帰しています。しかし一般的に、職場や、パートナー、結婚相手に対して受け入れてもらえるかどうかを悩んで、言えない人もいっぱいいると思います。それに「がん」という言葉は響きが重いし、言ったときに相手がショックでしょう。「大丈夫だから」とこちらが元気な人を慰めなければならない。経験してわかることですが、患者にとってそんなことも心の負担なんです。
- ― 乳房を失う、という気持ちも想像するだけで心が痛みます。
- 藤森 ブラジャーをしていればわからないし、人間として何かが変わるわけではない。でも、もともと身体にあるものを失うというショックは確かに言葉に表せないものがあります。お風呂に入って鏡を見る度に「どうなるんだろう」と泣いていました。胸は女性の象徴で、大きい小さいは関係ないですものね。でも残すと今度は命に関わる問題が生まれます。私の場合、自分でわかってたしこり以外に2つの腫瘍があり、右胸を全部摘出しなくてはなりませんでした。でも「同時再建」という手段があることを知り、それを選びました。
- ― 手術は、どのようなものだったのですか。
- 藤森 全身麻酔で右胸を摘出する出術をし、その後、形成外科の先生にバトンタッチして乳房再建と進みます。再建は筋肉の下にエキスパンダーと呼ばれるものを入れ、水風船のように食塩水をちょっとずつ入れていくんです。これは術後は痛かったです。激痛で目が覚めたくらいです。指を動かすだけで痛いので、3週間、寝返りも打てませんでした。だけど人間の身体ってすごいもので、皮膚は少しずつ伸びるんです。今は真っ平らだったところからよくこんなに伸びたなという感じです(笑)。再建できる場合とそうでない場合があるので何とも言えませんが、もしできるならば喪失感がないし、傷も目立たないので迷っている方がいたらやったほうがいいと私は伝えます。今は保険適用で、私の場合は10万円以下の負担で済みました。
- ― 術後、すぐに公表されましたね。
- 藤森 心配してくださる一人ひとりに会って説明することも不可能ですし、思いきって公表し、さらにがんへの理解についての啓蒙活動につなげたいと思ったんです。結局、手術も大切ですが、その病気を抱えて生きていく時間のほうが長いんです。
- ― そして術後1ヶ月のホノルルトライアスロンで5kmランに挑戦されています。
- 藤森 ジャスト・ギヴィング・ジャパンを通じてチャリティーを募り、日本対がん協会に寄付しました。そういう啓蒙活動にもつなげたかったし、自分自身が、切除した腫瘍の細胞検査に1ヶ月くらいかかるのを待つだけの気持ちもつらかったので。目標があればリハビリも頑張れます。元々は自分の乳がんの経験からと思っていたのですが、「2人に1人ががんになる時代と言われている今、がん全般の啓蒙でお願いできませんか」と頼まれたんです。また、そのご縁でがん研究振興財団というところをご紹介頂き、今年3月の市民公開講演会でサバイバーの代表として話をするという貴重な経験もさせて頂きました。
- ― QVCへの出演などタレントやモデルの仕事も順調にこなしておられますが、藤森さんが「美しく生きる」事に対して心がけていらっしゃることはなんですか
- 藤森 子どもの頃から人前に出る仕事をしてきて、感受性を身につける努力は常にしてきたつもりですが、今までは他の人がどう生きているか、社会はどうなってるかと考える余裕はあまりなかったように思います。病気をしてより「人としてどう生きるか」ということを考えるようになりました。昭和女子大学のキャリアカレッジに通っていたことがあるんですが、坂東眞理子学長のように日本のこれからを考えられる女性になりたいと思っています。先生は凛として人生を楽しんでいます。今後、モデルとして見た目の美しさも高めていきたいですが、社会に対して自分に何ができるのかを常に考えながら行動し、日本人の美しさを身につけている女性になりたいです
美の逸品
「私はアロマ検定1級をもっているのですが、オーガニックの厳選されたオイルを探していた時、このオーガニックボタニクスのエッセンシャルオイルに出会いました。この SPA OILは香りも良くて肌にすーっとなじむんです。乳がんの手術後、左右のアンバランスで肩や肩甲骨が凝ったりする事が多かったのですが、このオイルでマッサージすることでとても癒されました。香りは脳にも影響するそうなので、心地よく過ごすためにも愛用しています」
藤森香衣 (ふじもり・かえ)ふじもりかえ
モデル
11才からモデルを始め、広告、CM、テレビなどを中心に活動。現在はモデルとしての活動の他、テレビショッピングチャンネルQVCにて、自身がプロデュースするブランド商品の販売を行っている。乳がんで友人を亡…
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