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ロボットクリエイター高橋智隆氏は、京都大学工学部卒業と同時に「ロボ・ガレージ」を創業し、京大学内入居ベンチャー第一号となりました。その後、数多くのロボットを世に送り出しています。ロボカップ世界大会では5年連続優勝。ポピュラーサイエンス誌「未来を変える33人」に選定。4つのギネス世界記録を持っています。
武田双雲さんは、NHK大河ドラマ「天地人」や世界遺産「平泉」、世界一のスパコン「京」など、数々の題字を手がけてきた書道家です。主催する書道教室には300名近くの門下生が通い、独自の世界観で全国で個展や講演活動を行っています。『ポジティブの教科書』など著書も50冊を超えています。
ロボットと書道という真反対とも思える世界で活躍する2人が語り合ったのは「創造する楽しさ」。原点となる子ども時代の話も含め、対談は始まりました。
「変わっていても大丈夫だよ、と伝える場」で出会う
高橋:
講演はよくされるんですか?
武田:
たくさんやりますよ。海外にも行きます。ポーランドやベトナム・インドネシアにも行きました。書道という道には所作があるんですが、その意味は結局、心構えだと僕は思っているんです。心の波形を整えることで調和する。これが確信できるようになって。
高橋:
ライブで書いたりするんですか。
武田:
いえ、書道で学んだ道を日常のすべての動作に応用してほしいと僕は思っていまして。それこそ歯磨きとか、ご飯を食べるとか、洋服を着るとか。心が整った状態で行えば、森羅万象と接して共鳴が起きるんです。 わかりやすく言うと、楽しんでいると、楽しませてくれる人が現れるんですね。感謝していると、感謝させてくれる人がたくさん寄って来る。逆にイライラしていると、イライラさせてくれる人が引き寄せられるんです。書道の思想をわかりやすく日常生活の所作に落とす。そうやって日常を変えることが、人に最大の変化をもたらすと気づいたんです。おじいちゃんおばあちゃんから小学生まで、とにかく幅広く知ってほしいんです。高橋さんは講演は?
高橋:
講演は世界中行ってますね。ロボットのデモを交えながら話します。ロボットの人気は幅広く、小学生から経営者まで多くの方々に聞いていただいています。
武田:
なるほど。人型ロボットを作っている人の話は説得力がありますね。
高橋:
特にエンジニア対象の講演会だと、もの作りの話で盛り上がります。ある大手自動車メーカーでとても評判が良くて、系列の会社からも次々に声がかかって、結局10回ほど講演しました。
武田:
初めてお会いしたのは、東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍教授が進める「異才発掘プロジェクト」でした。僕が講演させてもらって。
高橋:
このプロジェクトに、5年くらい関わっています。才能はあるけど変わった子どもというのは、今の公教育から排除されてしまうことがあり、学校に行けなくなったりするんです。そこで、「変わっているからこそ大成している人」を呼んできて、変わっていても大丈夫だよ、と伝える授業をする為に、僕も武田さんも呼ばれた訳です(笑)。
武田:
子どもたちはすごかったですね。何をしても次々に手が挙がり、聞いてもいないのに答えが出てきたり。学校では無理だろうな、という子ばかりでしたね。僕自身、振り返ってみるとADHD(※1)だったんですよ。彼らは大変な数の応募があって、そこから選ばれた子たちなんですよね。
高橋:
そうなんです。そしてこのプログラムを通じて、画集を出していたり、レゴのロボットの世界大会に出場したりしています。公教育や一般常識になじめない子達の才能を応援しようという取り組みです。こういう子達を正しく評価できる入試が、やがて東大にも出来たら良いなと思います。
武田:
ADHDの中でも、僕は衝動的に突然動くタイプなんです。だから、じっとしていられない。誰かが決めた流れに沿えない。勝手に自分で縦横無尽に動いてしまう。子どもの頃から大変で、就職してからも怒られてばかりでした。でも、この衝動性はアートになると、プラスにしか働かないんです。アートって発明品ですから。 発明するのは天才ですが、それは変人じゃないとできない。異常値の掛け合わせだからです。人生のマイナスが、発明やアートの世界では武器になるんです。
高橋:
僕はそこまで行かないかな。
武田:
いや、十分変人ですよ。前に、床屋には行かない、と言われていましたよね、理路整然と(笑)。そんなことを言う人はいませんよ(笑)。
高橋:
だって、髪が伸びてボサボサになって床屋に行く。で、切りすぎて中学生みたいな頭になる。つまり適切な髪なのは中間のしばらくだけ。それより毎日伸びた分だけ少しずつ自分で切ればいいんですよ。そうしたら、ずっとちょうど良い髪型で暮らせるんです。
武田:変人だ(笑)
お絵かきで地平線をまっすぐ書くため何十枚も
武田:
子どもの頃って、どんなだったんですか。
高橋:こだわりが強くて、めんどくさい子だったみたいですね。自分でゴソゴソ何か作って、うまくいかないとかんしゃくを起こす。子どもがお絵かきって、地平線を書いて空と陸を分けてから、車を走らせたり、飛行機を飛ばしたりするんですよね。でも、僕は、その地平線がまっすぐに書けないと納得出来ずかんしゃくを起こし紙をクシャクシャと丸めて捨て書き直し、の繰り返し。そして親に怒られる。ちっとも前に進めないんですよ(笑)。
武田:
それはロボットクリエイターっぽい!
高橋:
少し大きくなってからは、プラモ、ラジコン、釣りなど、そのときどきに流行ったものにハマるようになるんですが、僕が覚えている自分の原点は、子どもたちに大流行した超合金のおもちゃを買ってもらえなかったことかもしれません(笑)。
武田:
ああ、持ってる子はヒーローでしたよね。その子の家にみんなで遊びに行って。
高橋:
買ってもらえなくて、しょうがないからレゴや画用紙でそれっぽい物をを自分で作るようになりました。「買ってもらえないから作る」、モノづくりの原点はこれなんです。武田さんの子ども時代は?
武田:
僕は明るく天然ですべてが適当でした(笑)。プラモとかモノづくりとかはまったくできない。今もできません。IKEAの家具、組み立てられない(笑)。折り紙もできない。谷と山の意味がわからないんです。相対的なものが絶対的なものに変わるとパニックになる。境界線がわからないんです。
高橋:
学校生活は大変だったと思いますけど、人気者だったんじゃないですか。
武田:
低学年までは人気者だったんですが、高学年になって友達がいなくなってしまって。その頃から、母が買ってくれたホーキングやアインシュタインの本を読み始めて、宇宙や物理学が大好きになっていくんです。 孤独でしたから、一人で、文字を分解したりしていましたね。どこまで崩しても、人はひらがなの「た」を認識できるかゲームとか(笑)。高橋さんは、子どもの頃からロボットを作る仕事がしたかったんですか。
高橋:
小学校低学年の頃は、そう思っていました。物心ついた頃には、鉄腕アトムの漫画が家に転がっていて、ロボットを作る科学者になりたい、と読みふけっていましたね。ただ、その後は釣りバカになりスキーバカになり、と興味は移り変わっていきます。釣りのルアーを自作したり、スキーのトレーニング装置を作ったりしました。その後立命館高校から立命館大学の産業社会学部に内部進学しました。卒業を前にバブルがはじけて就職氷河期になりました。もはや濡れ手に粟な職業なんてないなら、好きなことと仕事を一致させようと考えました。 ちょうど釣り用品とスキー用品を作っている会社があって、これは「俺の為の会社」だと。でも、最終面接で落ちてしまったんです。それで思い出したのが、ロボットを作りたかったこと。工学部に行っておけば良かったと後悔し、1年間予備校に通ってセンター試験から受け、京都大学の工学部に入り直したんです。1年生の頃から独学でロボットを作り始めた。最初に作ったのは、ガンプラにメカを入れ込み、リモコン操縦で歩くように改造したロボットです。 人型ロボットにどんな可能性があるかなんてどうでも良くって、自分が欲しいものが作りたかっただけなんですよね。ずっと工作を趣味にしてきたので、どんな材料をどう加工すればどんなものが作れるかという経験が生きました。 卒業のタイミングで、一人で食べる分くらいならなんとかなるだろう程度の気持ちで起業しました。大学に入り直すという脱線をしたので、吹っ切れたというか開き直りの気持ちがありました。一度レールを外れたら、そのまま荒野を走り続けるしかない。元のレールに戻るとその分遠回りしただけになるので。 ちなみに、最終面接で落ちた会社は、それから20年経ち、縁あって社外取締役を務めています。人生は本当に不思議です。
父親に怒られたことがない。自己肯定感が半端ない
武田:
僕は野球部に入ったり、ハンドボール部に入ったりしましたが、物理が好きだったので、東京理科大学に入りました。でも、コンピュータには興味がないし、テニスや麻雀、ドライブばかりやっていました。それで就職のとき、身体も態度も大きいから、大きい会社を推薦しとくよ、と研究室の先生に言われて、NTTを受けたら受かっちゃったんです。就職氷河期だったのに。 でも、空気は相変わらず読めませんから、上司を困らせていました。会社を根本から変えましょう、毎日カーニバルをしましょう、なんて言って驚かれたり。電話に詳しい人がいるので、なんでそんなに詳しいんですか、と聞いたら「電話会社だからだよ」と呆れられたり。営業をやっていたんですが、ある会社の社長と宇宙の話で盛り上がって数千万円の受注をしてしまったり。 僕は3歳から母に習字を習っていたんですが、この頃また習字に目覚めて独身寮が紙で埋まるくらいに書くようになっていました。あるとき実家に帰ったら、新しい家のふすまや障子に母が暴れた書を書いていたんですが、それがあまりにもカッコ良くて、僕もムラムラしちゃって。それから会社に戻ったんですが、ちょっと有名人になるんです。社内で伝言メモを書いたりしますが、僕は墨と硯と筆でそれを書いていたから。まぁ、びっくりしますよね。噂が広まって、ある人が「私の名前を書いて」と言ってきたんです。それで書いてあげたら喜ばれて。何人かの人が涙してくれたんです。 今までいろんな人に迷惑をかけてきた人生だったのに、初めて涙されて。感動してもらったことなんか、なかったんです。それでうれしくて、その場で辞表を書きました。これで、感動してもらうことを求めて、ストリートに出るんです。
高橋:
ご両親はどんな方だったんですか。
武田:
僕と同じですね。ADHDだと思います。父は何でも感動する人。毎日、食卓に出てくるキュウリを、「こげんうまいキュウリはなか!」と言って食べていました。僕には「お前は天才か!」といつも言っていて。僕は怒られたことがないんです。だから、自己肯定感が半端ない(笑)。高橋さんは、お父さんは?
高橋:
内科医でした。でも、本当は昆虫の方が好きだったんじゃないかな。
武田:
じゃあ、お父さんの影響とかではない。
高橋:
ないですね、クソ真面目な人でしたから。その反動で真逆になった気がします。
武田:
ADHDは落ち着かなくて横に突き抜けているんですが、高橋さんは縦に突き抜けているのかもしれないですね。ずっと真っ直ぐな地平線を追い求めて。
高橋:
ロボット開発には向いているのかも知れませんね。とにかく丁寧に作らないと動かないので。設計・デザインをした上で更に部品も自分で削る。無我夢中で作っていると、気づいたら同じ右足を2つ作ってしまっていたり。しょうがないから朝までかけて左足を作りました。
武田:
でも、世界にいろんな技術を持っている会社や人がいるので、アイディアがあれば、そこにお願いすればいいんじゃないんですか。
高橋:
人は思うようには動いてくれないんですよ。人に任せると、思うものはできない。自分でやってみて、確かめながら、試行錯誤しながらやれば、自分で納得できる。やっている中で発見もあって、それが蓄積されていく。例えば、日本の大手電機メーカーは、テレビの開発を韓国メーカーに委託しました。しばらくはラクして儲かりましたけど、気づいたら自分は空洞化し、相手の方が技術力が上になってしまった。人に任せると、そういうことが起こるんです。だから、今でも自分の手で作る。
武田:
そして、それがビジネスになっちゃったんですね。
高橋:
うまく作って、まわりに見せびらかしていたら、作ってほしいという引き合いがやってくるようになって。だから、一人の食い扶持くらいはあると思いました。自分で作ると、人を雇わなくていいんですよ。モノが小さいから設備投資もいらない。お金もそんなにかからない。仕事がないときは勝手に「作品」を作っていればいい。そうこうしているうちに、大手メーカーとのプロジェクトが始まったり、東大に呼ばれたりしたんです。
武田:
ビジョンとかは持っているんですか。
高橋:
あるときわかったのは、スマホって最後はこうなるんじゃね?と。四角い板に話かけるより、ロボットに話しかけたほうが自然。そうすると個人情報が収集出来て、それに合わせパーソナライズされたサービスが可能になる。スマホの未来はこれだと思いました。スマホってもう完璧な商品なんです。これはテレビやパソコンと同じ。やがて買い換える理由がなくなり、産業として衰退してしまう。でも、根本のところは、僕が欲しいものを作っているだけ、なんですけどね。ないから欲しいし、ないから見てみたい、所有したい。作っているプロセスが楽しいんじゃなくて、モノが欲しいんです。だから、納品しちゃう仕事は苦手なんです。そういうときは、2個作って、一つは自分で持ってます(笑)。
ロボット開発の世界にライバルはいない
高橋:
武田さんは、どうやって食べていこうと?
武田:
僕はもう興奮しているだけでしたから、何もわからなくて。書道家というのも、まわりから言われてつけただけなんです。それから、いろんな墨とか筆とか、書道道具を手に入れて、いろんな作風が手に入るようになりました。散歩中に池の波紋を見て、これを墨でやったらどうなるかな、とか。自分が見たこともない作品を作りたくて、いろんなことをやっていて。 そのうち自己啓発的な考えがみえてきたんです。心が起こしている現象ですよね。それはストリートで気が付いたんです。僕がビビっていると、脅そうとする人間がたくさんやってくるんです。お金儲けをしようと考えたら、お金がまるで入ってこなかったり。自分の心を変えてみると、起こる現象が変わったんです。これは面白いな、と。 物理の世界では、エネルギーは物質化するんです。それで、エネルギーが自分の感情だったらどうなるか、という仮説を立てました。感情とエネルギーの等価交換。そうすると、感情を表すものが物質化するんじゃないか、と。ならば、怒りや不安ではなくて、喜びや幸せを表現していったほうがいい。このとき、僕の武器が書だったわけですね。それで実験したら、ラッキーなことしか起きなかった。思った以上のことが起きた。 これを水平展開して、ポジティブな気持ちを持つことが、人生を変えていくと多くの人に伝えたいと思ったんです。書道の考え方を使って。
高橋:
書道界では異端、ですよね。
武田:
僕はその世界にいるつもりはないんです。書を極めるとか、創作するとかというよりも、新しいことができるのが楽しい。一匹狼です。もっといえば、人間界にいるつもりもない(笑)。
高橋:
僕も「役に立つ」とか「儲かる」よりも、「これはネタ的に面白い」というのが好きなんです。電波少年的というか、自分で自分に無茶を強いて面白がってしまうというか。
武田:
風雲たけし城と電波少年世代ですからね(笑)。
高橋:
成り行きの中で、自分の価値観でへんてこな道を選んできただけですから。
武田:
世の中にないものを作っていたら、それが必要とされれば、経済価値は上がるだけの話ですよね。
高橋:
そこで行くと、武田さんはビジネス感覚がありますよね。ただ作品を作ればいい、とは考えていない。
武田:
作品を自分だけで完結してもエネルギーは高くないんです。大きな社会の中、大きな器の中に大きなものを流すことで、エネルギーは大きくなる。自分の表現したいものと、社会の経済価値のプラグ変換みたいなものが必要ですね。僕はプラグは作れないけど、いつでも変換できる素材さえ出していれば、人生は回る。だから、ライバルもないですね。自分とも戦わない。誰とも戦いません。
高橋:
僕もそうですね。誰かと競争している感じはないですね。
武田:
でも、ロボット開発って、熾烈な競争のレッドオーシャンのイメージです。どうして、高橋さんはブルーオーシャンなんですか。
高橋:
何て言うか、ガチガチのエンジニアリングと、コミュニケーションデザインみたいなふわっとした分野が融合してるもんだから、そもそもそんな人材が居ない。そして他の誰よりもロボットを作ってきたので、もの作りの経験値では負けない。更には、自由に発想して自由に作れるのも強みです。
武田:
やっぱりみんなと同じことをしていたらダメですよね。狭い業界の中にいないから、そういうことが言える。イノベーションを起こすには、やっぱり狭い業界の枠から出ていくことだと思うんですよ。
プラットフォームをいかに作っていくか
高橋:
これからは、原価に利益を乗せてモノを売る、という時代ではないですよね。スマホゲームだって無料だし、スマートスピーカーだって赤字価格でばらまかれている。商品代金をその場で直接お客さんからもらうのではなく、エコシステムを作って、無料で配っても後で誰かからお金を回収できる仕組みになっている。こういうビジネスを考えないといけない。 例えば、保険会社が小型ロボットを契約者に無料で配る。ロボットは、「昨日はずっと家にいたよね。今日は代々木公園でイベントをやってるから、一緒に行ってみない?」と声をかけてくれたりする。そうすると、契約者の健康維持につながる。医療費の削減分と比べれば、ロボット代を保険会社が負担しても、ビジネスとしてはペイします。 実際、アメリカでは薬の飲み忘れだけを教えてくれるロボットを配っているベンチャー企業があります。飲み忘れを防ぐだけでも高額な薬価と比べれば、ロボット代はペイできる。ロボット本体だけでなく、そうしたエコシステムも考える必要があるんです。 アップルはiPodを出したとき、みんなウォークマンのデジタル版だと思った。でも実際には、iTunesというエコシステムこそがキモで、iPodはその先っぽでしかなかった。お掃除ロボットのルンバだって、オモチャから始まって本物の掃除機を売り始めた。そういう仕組み作り、商業的戦略が、欧米はうまいですよね。ところが、とにかく安くたくさんいいものを作ったら、買ってもらえると日本人は思っている。
武田:
昭和的な成功体験のモノ作りから抜け出せていないんですね。
高橋:
カンヌの広告祭に行ったときに印象深かったのは、ビーチの沖に浮かぶメガヨット。100億円くらいするんです。でも、オーナーは出品者じゃない。カンヌというプラットフォームを持っている人が乗っているんです。バーゼルのアートフェアも同じ。胴元にならないといけないんですよ。賞で勝った負けた言っている側は、所詮消費財にすぎない。
武田:
そうですよね。僕もプラットフォームが作りたいんです。日本の南無阿弥陀仏や何妙法蓮華経や二礼二拍手一礼は、できた当時は革命的名プラットフォームだったと思うんです。その所作だけで気持ちがラクになる。即身成仏になれる。人類の気持ちがラクになるプラットフォームが作れたら、と思うんです。所作の型ですよね。それが広く応用されていったら、と。千利休だって、お茶を飲むというプラットフォームを作ったわけですよね。
高橋:
そうですね。利休はすごいビジネスパーソンだと思います。お茶の世界のマーケットを作った。
武田:
エジソンは発明家ですけど、彼もプラットフォーマーだと思います。初めて電気のトースターを発明したとき、エジソンは製品発表会で「朝ご飯を食べることの科学的効能」を研究者に語らせているんです。トースターについて説明する前に、です。
高橋:
こうして見ると、イノベーターは作品を作るだけの人ではない。そして多分最初はとても異端に思われたでしょうね。本日のような異分野間の対談もそうですけど、やっぱり視野を広げて刺激を得ていくことは大切ですね。内輪で集まってお互いの評価ばかりしていると、段々発想が内向きになってくる。異分野の刺激を取り込まないとイノベーションは起きない。その為には、内輪の常識を越えていかないと。
武田:
もっとばかげたことをやりたいですよね。そういうことをこそ、どんどん考えていかないといけないですよね。
※1 注意欠陥多動性障害とも呼ばれ、不注意(集中力がない・気が散りやすい)、多動性(じっとしていられない・落ち着きがない)、衝動性 (順番を待てない・考える前に実行してしまう)の3つの要素がみられる発達障害のひとつです。
――企画:土橋 昇平/取材・文:上阪徹/写真:三宅詩朗/編集:対馬玲奈
武田双雲()
1975年熊本生まれ。東京理科大学卒業後、NTTに就職。約3年後に書道家として独立。NHK大河ドラマ「天地人」や世界遺産「平泉」など、数々の題字を手掛ける。講演活動やメディア出演、著書出版も多数。20…
高橋智隆()
1975年生まれ。2003年京都大学工学部卒業と同時に「ロボ・ガレージ」を創業し京大学内入居ベンチャー第一号となる。代表作にロボット電話「ロボホン」、ロボット宇宙飛行士「キロボ」、デアゴスティーニ「週…