目次
講師インタビュー しごと「観」
【言葉の力を信じたい~敬語は心~】
日本語の大家・故金田一春彦氏の秘書を14年間務め、現在は敬語やビジネスマナーなど、主にビジネスパーソン向けの言葉に関する研修・セミナー講師としてご活躍されている井上明美さん。現在のお仕事を始めるいきさつや、ふだん気をつけていることなど、お話をうかがいしました。
言葉に関る仕事がしたかった ~縁は偶然?!必然?!~
金田一春彦先生の秘書は、14年~15年にわたり務めたんですが、きっかけは本当に偶然のことで、秘書兼書生さんのような募集が出ていたのをたまたま見つけたんです。でも募集要項が、男性で、しかも要運転免許とありましたから、どれも全く当てはまらない(笑)、そこで一旦は諦めようかとも考えました。しかし、なんて言うんでしょうね、なにかこう引き寄せられるとでも言うのでしょうか、どうしても行きたいという感じを強く持ったんですね。そこでダメでもともと、募集を見つけたのも何かのご縁かもしれないと、先生宛てに手紙を書いたんです。それをたくさんの応募の中から、また非常に多くの郵便物の中から、先生が読んでくれまして連絡をもらうことができたというのは、あらためて今思いましても幸運であったなと感じます。 行ってみて分かったのですが、一日の郵便物の量も半端じゃありませんでしたから、よく埋もれずに残ったものだと…(笑)。そういう意味では、出会いやご縁というものは、もしかしたら偶然の中にもなにか目に見えない必然的なものもあるのかもしれませんね。これは仕事も日常も、様々な人との縁全般に言えるのかもしれませんが。
子供の頃の好きな科目は国語と美術でした。中でも国語や言葉に関する関心だけは強くありましたね。特に中学時代の国語の先生がこれまた教え上手な先生で、前にも増して国語の授業が好きになり、毎日のように質問に行ったりして熱心に勉強していました。国語だけで体育なんかは全然ダメでしたけどね…(笑)。職員室に入る時や何かを尋ねる時は、「失礼いたします」「今よろしいですか」など、子供ながらに場面や相手の人の状況に合わせて、言葉を使い分けなきゃという意識もありました。普通そんな子がいると、なんか偉そうにしちゃってなんて思われてしまいそうなものですが、子供同士でも認め合うという気持ちもあるのか友達にも恵まれました。読書感想文なんかも大好きで、数学と取替えっこで人の分まで書いていましたね(笑)。そんなわけで、子供の頃からなんとなく将来は、絵や文章などなにかものを書くような、言葉に関るような仕事がしたいという思いがあったんでしょうね。それが募集要項と違うけれども、思い切って手紙を書いてみようと思ったことにもつながるのかもしれません。
先生から「金のわらじを履いて探しても見つからない人材でしょう」と全幅の信頼を得るまでに ~初出版から敬語講師に至るまで~
先生のお宅は、当然のことながら本もたくさんあり、なんといっても国語・日本語の大家でありましたから、私にとってはまさに仕事の場でもあると同時にこれ以上にない勉強の場でした。先生の窓口として恥をかかせてしまうことのないように、やはり今まで以上に言葉遣いには気をつけました。先生ご自身が日本語の先生ということもありますが、窓口の私の言葉遣いひとつで、相手の印象をも決まってしまうと思いましたから、たとえ出来る秘書だと言われなくても、せめて感じの良い秘書と言われるようにと。どの業務もそうでしょうが、やはり入り口である窓口の感じが悪いと、なんだか仕事もやりにくい頼みたくないというのもありますしね…(笑)。
在職中に本を出版してみないかという話がありまして、初めはなんだかおこがましいような気がしたものですから、どうしたものかと思いましたが、こうして日々電話の応対をしたり、手紙を書いたりしていることが一番の実践になるのでそのままの内容をというお勧めで、学習研究社(現(株)学研教育出版)から『金田一先生に教わった敬語のこころ』というのを出したのが、一冊目の著書となりました。本の袖部分のひと言は、先生が日頃言ってくださったものだったのですが、「金のわらじを履いて探しても…」なんて、身に余る言葉ですよね…(笑)。分不相応で恐縮な思いですが、今となってはありがたい思い出のひと言となりました。
その後、少しずつカルチャースクールの講師やセミナー講師などの話をいただくようになりましたが、在職中は本業をおろそかにしたくはなかったものですから、本格的に敬語講師として活動を始めたのは退職後の平成17年からです。なぜビジネスマナーの中でも敬語講師を選んだかと言いますと、方々に研修に行ってみて初めて分かったかことなのですが、ビジネスマナーの中でも言葉遣い・敬語に特化した分野は有りそうでいて無い、少ないということを知りました。もちろん専門家ではありませんから文法などにも詳しいというわけではありませんが、ビジネスの場で使う敬語は、言葉の正誤だけではなく、実際の場面でどう使うかという使い分けが肝心なのでしょうから、それならばこれまでの経験を実践敬語として生かしていく、私でもできる分野があるんじゃないかと思いました。
言葉の力を信じています
言葉遣い・敬語は、自分の心を相手により深く伝えるためのものだと考えています。ペンの暴力などとも言われるように、良い言葉も不快な言葉も、相手の心に残り気持ちを左右するものですから、誰しもほんとうは適切な心ある言葉を使いたいと思うのではないかと感じます。言葉の力と言うんでしょうか、やはり言葉には力、魅力があると信じています。
こういう仕事をするようになって、故郷に講演に行く機会に恵まれたことがありました。その時に先の中学時代の恩師である国語の先生に、聴いてもらうことができたならと思いまして話をしたんです。しかし、実は先生は、数年前に脳卒中というのでしょうか、そのような病気をして倒れ入院してからは、退院後も病気の恐怖と、もし人に迷惑をかけてしまったらという思いから、お一人では出かけられなくなってしまったという事情がありました。あまり無理に申し上げてもと思い、残念ですがそのまま講演会当日を迎えました。
でも思いも寄らず、当日講演会場に先生が花束を持ってかけつけてくださったんです。最後まで講演も聴いてもらうことができ、何よりの喜びでした。国語が好きになる、言葉に関心を持つきっかけを作ってくれた方ですから、一番に聴いてもらいたいという思いが強くありました。ひとつ夢が叶ったような気持ちでしたね。「先生(教師)をしていて良かったな…」と言って涙を流して聴いてくださって、後日講演を開催した主催宛てに手紙まで書いてくれたそうなんです。「今日こうしてこの講演を企画してくださった主催の皆様に聴衆のひとりとして感謝申し上げずにはおられない、あらためて言葉の大切さ、言葉の力というものに強く心を打たれた」というような内容だったそうです。その後、それがひとつのきっかけになったそうで、外出もできるようになり趣味の写真も再開なさったとうかがいました。自分で言うのも口幅ったいことですが、先生に伝えたかったこれまでの感謝の思いや言葉を大切にしたいというさまざまな思いが、先生の心にも届いてくれたのかな…と、言葉には思いを伝える力が確かにあるのだと、そんなふうに思えてなりません。
敬語は心くばり
言葉が少しぐらい間違っていてもいいじゃないか、言葉なんて敬語なんて二の次だと思う方もあると思います。たしかに、まずは心があってのものですし、心が一番と感じます。たとえ敬語の使い方が間違っていたとしても、一生懸命に相手のことを思う気持ちは雰囲気でわかるものですしね。でもそれは日々の思いがあるからこそでともいえるでしょうし、ではその心をどうやって表すかといったら、やはりこれは態度か言葉でしかないと思います。
通り一遍の言葉や心がない言葉は、慇懃無礼などともいわれます。単に美しい上品な言葉がいいというのでもありませんが、相手の人の気持ちを壊すことなく、その時々に合わせた言い回しができるかどうかというのは、大切なマナーのひとつであると感じます。
平成20年度の文化庁の『国語に関する世論調査』の結果でも、日本語を大切にしているかという問いに対して、「大切にしていると思う」と答えた合計は76.7%で、7年前の同調査数字よりも増加しているという結果がでているそうですね。また、「美しい日本語」というものがあると思うかの問いに対しては、「あると思う」が87.7%で、「美しい日本語」とは、「思いやりのある言葉」という回答が一番多かったそうです。そのことからも言えるように、やはり使い分けと心くばりが大切なのだろうと強く感じますね。
洋服にもTPOがあるように、言葉も大切な場面でいかにより良い、ふさわしい言葉を選り分けることができるかということと、心くばり、これが肝心なのではないかと。場面と相手と言葉の調和、心くばり、そして言葉の持つ力や魅力というものを、これからもお伝えしていくことができたらと思っております。
3つの質問
Q:「これがなきゃ仕事にならない!」ともいえる仕事道具は?
A:井上明美講演の時にはいつも持ち歩いている時計です。少々近眼なのと、時間は厳守と思っていますので、講演中に時間を確認しやすいように卓上の物と使い分けています。また身だしなみもマナーですからよく見える手鏡、それと、いつでもさっとお礼状などが書けるようにペンと手製の絵葉書もいつもバックに入れています。
Q:「元気の素」は?
A:実は仕事が趣味のようなところもあるのですが、夢中になれるものがあるのは幸せだと思っています。原稿書き以外に、絵を描くのが好きなので夜中でも思い立ったらということも多いです。
それから本が大好きで、本はまんが、週刊誌、小説なんでも読みます。本屋めぐりも好きで、見ていると何かしら夢中になれる題材が出てきます。いつも一冊はバックに入れています。児玉清さんが大好きで、今もバックに児玉さんの本が入っていますが(笑) 児玉さんの書評の本などは、中に取り上げられている本を全部読みたくなるほど本の魅力満載で、実際何冊かネットで取り寄せて読みました。
夢中になれる題材やそういったものに囲まれることが元気の素なのかもしれません。好きな花(キザっぽいですが一番はバラ)を飾ったりもそのひとつですが、まずは身の回りや目に触れるものからと言いますか、そういう環境にすれば自然と元気がわいてくるような自家充電器のような気分です。…あとはお恥ずかしいですが、飼い猫ですね(笑) マーシャ、ミーシャというロシアンブルーのメス姉妹です。
Q:「座右の銘」は
A:「念ずれば通ずる」「点滴石を穿つ」などでしょうか。わずかな力でも努力し続けていれば叶うという気持ち。あとは意味は似ていますが、言葉では「一途に」「ひたむきに」「誠実」などの言葉が好きですね。
自分が要領が悪いということもあるかもしれませんが、たどり着けるかどうかもわからない場所でも、とにかくただ一心に一途に、夢見る場所があることを願って…と。 言葉に力があるように、強く思っていれば叶うことも多くあると信じたい!信じていますからね(笑)
[2008年10月9日/取材・構成・写真: 株式会社ペルソン]
井上明美いのうえあけみ
ビジネスマナー・言葉の使い方・敬語講師
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