2009年04月01日
介護は妻への恩返し
今年、結婚48年。芸能界きっての「おしどり夫婦」として知られる長門裕之・南田洋子夫妻。役者としての共演はもちろん、夫婦で16年間も音楽番組の司会を務めるなど公私共に充実していた日々でしたが、70歳を過ぎた頃から妻・洋子さんの物忘れがひどくなり、ついには女優を引退。「認知症の兆候がある」と診断され、夫である長門さんは俳優業のかたわら、奥様の介護に奮闘する日々を送っていらっしゃいます。
「僕は本当に洋子に頼りきりだった。だから洋子に尽くすことで、いくばくかのお返しをしているんです」と笑う長門さんに、介護で悩みを抱える人々のため、自らの生活の様子や想いを語っていただきました。
父の尊厳を取り戻してくれた妻への恩返し
―――奥様に認知症の兆候があらわれたのはいつ、どのような形だったのでしょうか?
「最初の兆候は、今から10年ぐらい前です。夜中に洋子と大喧嘩したんですね。洋子も気が強いですから『どの女のところにでも勝手に行きやがれ!』と啖呵を切った。それで、僕はパジャマから服に着替えて、身の回りの物をカバンに詰め込んで、こう言ったんです。『オレはしばらく頭を冷やしてくるから。お前もそうしろ』って。まあ、そこまでは今までもよくある喧嘩の光景でした。ところが、僕が家を出ようとして、ふと振り返ると、後ろに洋子が付いてきてる。そんなことは今まで1度もなかったんですね。しかも、『ねえ、どこに行くの?』と尋ねるんです。ちょっと僕は面食らいながら『頭冷やしてくるって言っただろ』と構わず外に出ました。すると、洋子も裸足でトコトコついてきた。『どこ行くの? 私も行く』と。さっきまでの喧嘩の剣幕はどこへやらで、本当に僕がどこに出かけるのかわからない表情です。何かがおかしいと感じながらも、こいつを守れるのはオレだけだなんてドワーッと気持ちが盛り上がって『ごめんね。心配ないよ』と彼女を抱きしめて家に戻りました。思えば、あれが最初だったんでしょうね。
それから、ある日、洋子が『私、台本のセリフが覚えられない』と言い出しました。でも当時の僕は、認知症に対しての認識があまりにも低かった。最初は認めてあげられなかったんですね。『そんなはずはないだろう』と。彼女は泣きながら必死にやるんだけれどやっぱり覚えられない。『もう役者を辞めたい』と。これは、ただごとではないと思い、そこで初めて病院でしっかりと診てもらうしかないと思いました。認知症の症状にも前期、中期、後期とあって、今の洋子はどの段階にいるのか、どういう薬を使っていると症状が進行するのかなど、先生から専門的に指示を仰ぐことにしました」
―――奥様に認知症の兆候があると知ったとき、長門さん自身はどう感じ、そしてそれをどう受け入れていったのですか?
「まず、神様を恨みましたね。洋子の人生を好きにはさせないぞ、と。心のどこかで『誰かのせい』にしたかったのでしょうね。それからやはり僕自身、自分も不幸だという被害者意識のような思いが湧いてきました。どうしても誰でも最初はそういう気持ちになりますよ。
でも、そのままの気持ちでは介護はできません。次に湧いてくるのが、『オレが看病してやる』というヒロイズム。ただ結果的には、それも邪魔なんですね。オレはできるんだと、なんでもできるつもりでいると、自分も一緒に老いていることをつい忘れてしまう。それに無意識のうちに、自分が勇者、妻が弱者、という構図で動いてしまうんですね。これは一番いけません。別に自分は勇者でもなんでもないし、ましてや患者さんは弱者ではないんです。一緒に歩いてきた夫婦のどちらかが、たまたまつまずいた。そういう状況に置かれてるだけなのに、オレは介護する人、あなたは介護される人、なんて明確な差別感を持っちゃいけません。ですから、そういった不要な先入観や感情を抱えていることを自覚して、それを捨てることからが本当のスタートでした。そうすることで、ひと回りもふた回りも成長できるんだと思います。すべては当たり前なんだと受け入れて、下の世話からなにから当たり前のようにニコニコ、スッスーとやるようにしました。洋子の病気の進行は止められないかもしれないけど、進行しながらも楽しく生きてくれるように、そういう環境をつくりたいと思ったのです」
――――奥様の状況を受け入れた後、施設ではなく自宅介護を決めたのはなぜですか? 想像するだけで、長門さんにかかる負担が大きいと思うのですが……?
「洋子が父・沢村国太郎(俳優・故人)の介護をしてくれた姿がヒントでした。親父は亡くなるまでの3年間、寝たきりだったんです。最初はプロの介護の人に頼んでいましたが、みんな『セーンセ、おげんきでーすか?』なんて、幼児に話しかけるような感じで接するんです。それが慰めになると思ってるんですね。でも親父は『あんな口の効き方は我慢ならん』と怒るわけです。何人も介護の人が変わりましたよ。それで、最後に洋子が『私がやる』と言ってくれました。葛藤はあったと思いますよ。でも、どうすれば万全なのかを洋子なりに考えて、自分がやればいいと帰着したんでしょう。
しかし、舅(しゅうと)といえども男ですから、下半身を触ったり、あるいは汚物にまみれて介護をすることはふつうなら誰もいやじゃないですか。もともとは血のつながっていない他人ですしね。でも、洋子は『私がやるのは当たり前のことだ』と言わんばかりに、本当にハツラツとしていたんです。彼女の介護の姿には躍動感があって、背中からはオーラが出てましたねえ。洋子が『お父さん、開けますよ』と部屋に入っていくと、中から聞こえる『おーっ』て親父の声が実に生き生きしてきました。さすがに最初は洋子も神経を張り詰めて気疲れしていましたが、だんだんと余裕が出てくるのもわかりました。それが本当の意味で親父を慰めることにつながったんですね。患者さんと同等の立場でいれば尊厳を傷つけることもない。やはり患者さんは、多かれ少なかれ自己嫌悪感を持ってますから。それに対して、いいんだよ、皆そうなるんだから、私も誰かの世話になるんだから当たり前だよ、というイメージを与えてあげる。洋子に介護が必要だと考えた時に、まず思い出されたのはあの光景でした。だから、僕もはつらつと介護をしようと決めたんです」
介護は自分の「心」が反映されるもの
――――長門さんが日々、奥様に接するときに気をつけていることはどんな点ですか?
「洋子に不安を与えないようにしています。介護を受ける側にとって、介護する側の不安はすごいストレスなんですね。僕は役者という仕事を持ってますので、当然、仕事には時間の制約、規律があります。それに対して、洋子はいつでも寝られるし、いつでも起きられる。昼も夜も関係ない生活をしています。だから、辛い面もあるんだけど、そんなこと言ってられません。彼女の条件に合わせていくしかない。
たとえば、夜、寝付けなくてベッドから起きて僕の部屋まで来る。仕事の書き物をしていても『あなた』と入ってくる。僕が『洋子、ちょっと待ってね。あとで』と仕事を続けてると、少し間があって『でも、洋子。どこにも行くところがないの』と言われて、あーそうだった、と思うんです。ホントに胸が痛かった。ああいう病気になると、外に出るのも嫌なんです。だから、洋子を椅子に座らせて、テレビをつけてやって、好きな塩せんべいを置くと、それを食べながら僕のそばにいます。あとは、昔は『紙おむつ』という言い方を嫌がりましたね。だから『パンツ』と呼んでました。そういったなにげない言葉ひとつが、相手の心に影響するということも学びましたね」
――――奥様との毎日を過ごすうちに、「介護」に対する捉え方に変化がありましたか?
「さきほども申しましたが、介護人を強者、患者さんを弱者と見る目はなくなりましたね。まず目線を患者さんに合わせること。価値観を共有すること。そして、患者さんの尊厳を傷つけないことが大事なんだということを身をもって学びました。
話が変わるかもしれませんが、おかげさまで僕は芸歴70年。どこの現場に入っても長老の立場です。とはいえ、労わられて世話を焼かれるのが、ちょっと癪(しゃく)なんですね。すぐに監督が『椅子をどうぞ』と出してくれるし、立つときは助監督が手を握って立たせてくれます。でも、ある種、パターン化している気がしますね。正直、言って過保護ですよ。敬老精神はいいとしても、それほど気を遣うことはないんです。毎朝、僕は洋子の手を引いて食卓まで連れて行きます。自然な形で手を差し伸べているつもりです。そのとき2人の世界しか見えていません。彼女の手を引く僕も嬉しいんです。『介護してやってる』というような気持ちは毛頭ありません。ですから、この時にはこのパターンで、というように介護をマニュアル化してしまうと、どうしても相手を弱者と見てしまう。介護は、自分の心の状態が如実に反映されるものだと思っています」
―――介護の中で、どんなときに「やりがい」を感じるていらっしゃいますか?
「朝、彼女の部屋に入ると見せてくれる『おはよう』が素敵な笑顔なんですよ。やりがいを感じますよ。それだけです。いま、洋子は脳卒中で入院してるんですが、看護師さんに『洋子さん、おしめ変えますよ。あっち向いてください』といわれると、洋子は必ず僕に抱きついてくるんです。そうすると僕は手を回して、ホッペタをつけるんです。もうホントに安定して、そのまま寝ちゃいそうな感じで、看護師さんに『洋子さん、いい気持ちでしょう』といわれると『ウン』なんてうなずくんです。久しぶりに、ラブシーンやってるみたいですよ(笑)。ささやかな男と女のきらめきが残ってるんですね。非常に僕もいい気持ちなんです。
今は洋子と一緒に過ごすことが、僕の人生の糧なんです。後遺症のせいで、彼女は右手が不自由でしてね。でも、好物のチョコを持っていったら、自分が欲しいとなると、動かないはずの右手を伸ばして、お菓子を掴むんですね。そして、口を開けるためにアーッと大きな声を出す。今の洋子にとって動かない右手を伸ばして握った食べ物を口に運ぶなんて画期的なんですよ。久々にやったことじゃないですかね。パクッと食べたら、『どうだ』と得意げな顔をする。その可愛さったらないですね。欲しい物を動かない右手で取ったぞって僕に自慢するんです。たまらない愛おしさですよ。僕は喜びと感動で『洋子、すごいね』ってなんべんもチューしてあげました」
―――素敵な関係ですね。まさにはつらつと奥様の世話を焼いてらっしゃる姿が目に浮かぶようです
「でもね、最近、チューすると嫌われるんですよ(笑)。『チューだめっ』て言って。拒否されちゃいました。無理にすると『ダメ、バカ』という。あんまりバカを連発するから『今度バカって言ったらチューするぞ』と、“ワンバカチュー”を決めました。それでバカって言われたら、こっちはしめしめとばかりにチューしにいって、洋子はそれを『ヤダーッ』と言いながら逃げる。洋子にとっても楽しいんでしょうね」
「自分のため」だと思えば介護は疲れない
―――恐縮な表現ですが、長門さんは、いわゆる“老老介護”の毎日を送られています。その現実の厳しさをお感じになることはありますか?
「やはり、いま一番欲しいのは力です。1人で洋子を入浴させようとすると自分の非力さを実感させられますね。彼女の全身をしっかり受け止めてやれるだけの力があればと思いますよ。今はヘルパーさんの力を借りながらなんとか続けていますが、正直、悔しいところですね。ただ、年を取ること自体は、人生として素晴らしいじゃないですか。僕はむしろ年を『いただいてる』と考えています。悲しいことではなく、ありがたいことなんです」
―――介護疲れが引き起こす悲しい事件がたびたび報道されています。長門さん自身はそれを防ぐためにどんなことが必要だと思いますか?
「深刻な問題ですよね。ただ自分がイヤイヤやっていたり、やらなきゃならない義務感でやってたら疲れます。たとえば、今日もこの取材の後、洋子の病室に行く予定なんだけど、早く会いたいって気持ちと、腹減ったからなにか食べたいなって気持ちがあるんですよ。食事してたらその分、洋子に会う時間が遅れるんだけど(笑)。そこで行かなきゃって義務感で行ってたら疲れますよね。僕が疲れないのは、介護をやりたくてやってるから。すぐに疲れがとれる。もちろん、実際はわかりませんよ。肉体にはダメージを受けてるかもしれない。老化も進んでるかもしれない。でも、精神的には最高に充実してるといえますね。
それに、介護で時間が限られてる分、仕事にも集中できるんです。稽古の時、一番最初にセリフを覚えるのは75歳の僕。集中力を高めて、“狂気”になれば、膨大なセリフが頭に入っちゃう。その結果、劇団自体もレベルアップするんです。年寄りが、稽古場で台本無しでセリフを言ってるってビックリされて、若い人も頑張ってくれるんですね」
―――最後に介護で悩まれている方へのメッセージをください。
「僕は胸を張って自分の人生を終わりたいと思っています。“長門裕之の人生”の中に、南田洋子の人生もある。ですから、自分の人生のためと思うことが、介護をするうえで最も大切なことじゃないかなと思っています。だからこそ、僕自身は人間的にもっともっと成長したい。介護というものを通して、自分も一緒に勉強させてもらっています。毎日毎日、新しい状況が生まれますからね。当初は、『あれ、昨日まではこうだったのに、なんで今日は違うんだろう』と戸惑うことばかりでした。『昨日の洋子でいいから戻ってきてくれよ…!』と叫びたい気分でした。でも今は、新たな状況に驚かず、その時そのときで、きちんと対応できる自分でありたいと思っています。
今はとにかく、洋子を無事に見送ってやりたいという気持ちだけです。1秒でも長く彼女より生きたい。今は素直にそう思っています。いつまで健康でやれるかわかりませんが、僕はまだまだ、あと10年はやれるような気がしているんですよ」
―本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきましてありがとうございました。
取材・文:佐野 裕 /写真:上原深音
(2009年4月 株式会社ペルソン 無断転載禁止)
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