両親ともにウインブルドン出場経験を持つ、曾祖父からのテニス一家に生まれ育ったのが、沢松奈生子さん。自身もプロのテニスプレイヤーとして活躍。キャリアを通して、10年間にわたり世界ランキングトップ30位台以内の座を維持した。4大大会も、1990年の全仏オープンから1998年の全米オープンまで(1992年の全豪オープンを大学の卒業試験のために欠場したのを除き)34大会で本選に直接出場を果たしている。
1995年の全豪オープンの期間中、1月17日に阪神淡路大震災が発生。西宮市にあった自宅が全壊の被害に遭う。だが、逆境をはねのけ、この大会で4大大会の自己最高成績を記録し、ベスト8に進出。シングルス自己世界最高ランキングは14位。(日本ランキングは1位)。WTA女史プロテニスツアーでシングル優勝4回を挙げた。四大大会の日本人最年少勝利記録など、数々の記録も保持。現役引退後は、テニス解説者、スポーツコメンテーター、講演会講師などとして活躍。レギュラー出演番組として、TBS系の朝のニュース番組「あさチャン」、大阪毎日放送の人気番組「ちちんぷいぷい」でコメンテーターを務めている。
今回のスペシャルインタビューでは、大阪なおみ選手や錦織圭選手など、今日本選手が活躍している理由や、自らもドイツという海外の国で幼少期を過ごし感じた沢松氏が考える日本と外国の教育の違い、集中力を高める方法や夢や目標の設定方法など、大いに語っていただきました。
客観的に見られる。途中でやめる勇気を持っている
今テニス界では、大坂なおみ選手や錦織圭選手など、日本人の活躍が目覚ましく思います。活躍の理由をどのように見ていますか?
世界で活躍する日本人が一人でも出てくると、周囲が「それなら自分も」という気持ちになっていくことが、ひとつには大きいかもしれないですね。その意味では、錦織選手の存在は大きい。錦織選手が行ったアメリカの留学先「IMGアカデミー」は、世界中から世界トップを狙う人たちが集まってきます。トップ10やグランドスラムは当たり前、という感覚なのです。そういうところで育てられたから、錦織選手には、日本人だから、なんて意識はまったくないわけです。それまでは特に男子は、外国人選手に比べて体格差も大きくて、グランドスラムも出るのが精一杯、というのが正直なところでした。ところがもう、錦織選手の活躍で完全にくつがえりました。そうすると、彼をかつて近くで見ていた同世代の日本人の若手たちも意識も変わっていったのだと思います。
世界でランキングがついている選手は、実は数千人いるのです。ここで活躍のひとつの目安は、100位以内に入ることでしょう。2ケタにいれば、グランドスラムに出られる。そうすると、1回戦で敗退しても500万円くらいの報酬が得られますから、遠征費くらいは十分に稼げます。次のハードルはシードがつくこと、さらには30位以内に入ることですね。その次が、トップ10。ヒトケタになると、受ける扱いも変わります。出たい試合をかなり選べるのです。しかし一方で、テニス界を背負っている責任も生まれる。
長くテニスをやってきた私からすれば、ヒトケタに日本人がいる、なんて時代がこんなに早くやってくることは1%も想像していませんでした。ましてや大坂選手に至っては1位です。本当にとんでもないことです。ただ、私も1位の選手とも戦ってきましたし、ロッカールームの過ごし方も見てきました。彼女たちが背負ってきた、とてつもないプレッシャーも知っています。輝かしい表彰の裏側で、どれだけ苦しい練習をしていたか。だから、1位が日本人といううれしさの反面、心配もしているのです。日本では、誰も見たことがない世界ですから。
もちろん技術が優れているということは当然だと思いますが、トップ選手というのは、いったい何が違うんでしょうか?
これは大坂選手もそうですが、世界でヒトケタを取るような選手というのは、自分のことがよくわかっています。客観的に自分が見られる。ネットと相手を見るのではなく、まるでテレビ中継みたいに自分も画面に映った景色が見えているのです。だから、どうすればいいかも冷静に判断している。自分が今、どの位置にいて、どんなコーチが必要で、何をしなければいけないのかも、見えていると思います。これが、できそうでなかなかできないのです。でも、できるところが、凄さなのです。
もうひとつは、途中でやめる勇気を持っていることです。私もかつてもう一歩でランキングがヒトケタというところまで行ったことがありました。テニスもよくなって、精神的にも充実していて、これはヒトケタに行くぞ、と思ったら大きなケガをしたのです。行けるかな、というときこそ、危ないのです。自分が思った以上に身体が動いていて、試合に勝てている。これは、体力の限界を超えているのですね。どこかに負担がかかっている。結局、私は3カ月、戦列から離れて、ランキングも落としました。
錦織選手にしても、大坂選手にしても、おかしいな、と思ったら棄権しますよね。本当はまだやれるかもしれないし、本人はやりたいのです。でも、そこで絶対に無理をしない。もし、無理をしていたら、何カ月も休まないといけなくなる。そこからランキングを上げていくのは大変です。長いツアーです。無理をしないで、やめる勇気が必要なのです。トップ選手を維持できているのは、これも大きいと思いますね。
さらにもうひとつ、そのケガを防ぎ、長期離脱をしないためにも、しっかりオフを取っていることです。オンとオフをきっちりさせている。シーズンオフもそうですし、シーズン中でも、グランドスラムが終わるとスイッチを切って1、2日ラケット持たない、なんて選手もいます。充電してリスタートするのです。世界トップ選手は、このオンとオフの切り分けが本当にうまいのです。普通に「スキー旅行にちょっと一週間行ってきた」なんて選手もいました。ところが、日本人は真面目なので、オフを取るのがあまり上手ではない。オフでしっかり抜けないから、オンで結果がついてこない。私もオフを意識しましたが、たとえサボっていると周囲に言われても、しっかりリフレッシュしてオフを取ることです。テニスを離れて違うことをやってみるのもいい。こういうところも、トップ選手は大事にしていますね。
負けから学ぶ。「ながら」をやらない
曾祖父からのテニス一家に生まれ、ご両親もテニス選手。テニス選手になることは、ご自身で決められたのでしょうか?また、なぜ結果を残すことができたのでしょうか?
小さい頃から、当たり前のようにテニスが家にありました。学校から戻れば、テニスの練習をするのが、世の中では普通のことだと思っていたのです。だから、何の違和感もなくテニスが生活の一部分になっていて。ただ、プロになることは考えていませんでした。目の前の試合にとにかく勝ちたい。それだけでした。負けず嫌いで、負けた相手にまた負けるのがイヤだったのですね。それで気が付くと全国大会に出るようになって、海外遠征をするようになって、気が付いたらプロになっていました。
何より大きかったのは、悔しい気持ちを忘れなかったことだと思います。試合に勝てば戦績は残りますが、実は得るものはないのです。反省しないから。だから、その選手が強くなるかどうかは、負けたときにわかります。そのとき、どうするか。全国大会で3位に入った。良かった。とばかりに、ここで喜んでいたら、それまでです。負けたことがイヤで、次は絶対に勝ってやる、と考え、どうやったら勝てるかを、その日のうちに考える人は強くなります。ただ、これは親から教わったことではないのです。実際、同じ親に育てられた弟は負けてもあっけらかんとしていました。ただ、他のスポーツでも、トップ選手や五輪で活躍している選手というのは、みんな負けず嫌いですね。そして、負けから学ぶのです。
もうひとつは、しんどい道とラクな道があったとしたら、必ずしんどい道を選んできたことでしょうか。ボールが飛んできて、ラクに返せると思っても、そうしない。足を大きく動かして、わざわざボールのところに向かっていって、膝を曲げて辛い体勢で打つ。しんどいのです。でも、だから力がつくのです。試合で苦しくなって、このポイントで試合が決まる、というとき、この経験をしていると常に自信が持てる。あれだけしんどい道を選んだのだから、きっとうまくいくと思える。自分を信じることができるのは、しんどいほうを選ぶからなのです。
両親に普段から心がけるように言われていたことはありますか?
集中すること、ですね。実は練習は朝1時間、夕方1時間だけでした。でも、この2時間はどんなことが起きてもボールから目を離したことがなかった、というくらい集中していました。集中力には自信も持っていました。これは、鍛えられた部分も大きかったと思っています。実際、家の中では一つの事しかさせてもらえなかったです。テレビを見ながらご飯を食べるとか、音楽を聴きながら勉強するとか、ありえない。絶対に、ひとつのことに集中する。「ながら」はやらない。これは、習慣づけられていましたし、だから集中力は高まったんだと思っています。
今は便利な世の中ですから、ひとつのことに集中するのは難しい。テレビを見ながらスマホをいじったりしてしまう。だから、どこのお子さんを見ても、集中力が落ちている印象です。あれもこれもと、色々なことに意識が行きすぎてしまっている。集中力がないのに、自分の力が発揮されるなんて、ありえないと私は思っています。集中力は、とても大切です。
ご自身も子育てをしておられますが、意識しておられることはありますか?また、子どもの頃にドイツに住んでおられましたが、子育ての違いはありますか??
やっぱり「ながら」は禁止ですよね。ご飯を食べるときは、ご飯を食べる。そうでないと、料理を作る側も悲しいですし。ただ、唯一の例外がスポーツの生中継なのです。ウインブルドンやワールドカップなど、スポーツを生で見るのは最高の醍醐味ですから。
子育ては難しいです。ただ、自分の親がやってくれたことが、ひとつのいいお手本なのではないかと思っています。実際、自分はそれで育てられているからです。そうすると、親の偉大さも見えてきますよね。よく我慢してくれたな、と。私は試合に勝ったときに叱られて、負けたときに叱られたことがないのです。これも親心だったのだと思います。でも、同じことが簡単にできるかといえば、そうはいかない。だから、今は素直に親に子育てのアドバイスを求めるようにしています。親が何よりの育児書です。
私は父の仕事の関係でドイツで育ったわけですが、振り返ってみて子育てのポイントだったなと思うのは、長所を褒めることです。子どもたちが何に長けているか、早く見出して、能力がわかれば、そっちの方向に進ませる。褒めて伸ばして、個性を武器にして世界で戦ってこい、という発想です。一方で日本では、平均点を上げようとしますね。私は理数科目が苦手だったのですが、帰国して先生に言われたのは、理数科目を頑張ろう、と。平均点を上げ、まんべんなく全部できるようにするわけですね。
実はこれ、テニスも同じなのです。日本人選手はみんな短所がない。全部できるのです。欧米の選手は短所があるのですが、自分の武器を恐ろしく伸ばしている。だから、世界が取れるのです。引退したとき、トップ選手に日本人選手の印象を聞いたことがありました。短所がないからやりづらい、と言われました。でも同時に、怖いと思ったことは一度もない、とも。相手に脅威だと思ってもらえないと勝つことは難しい。どちらが怖い存在か、ということです。
ちょっと手を伸ばせば頑張れる目標を作った
沢松さんにとって、両親というのは、どのような存在でしたか?
二人ともテニス選手でしたから、正直、大変さはありましたよね。逃げ場がない。でも、両親はよくわかっていたのだと思います。家の中では、テニスの話をすることはありませんでした。それは、コートに出たときだけです。父と母の役割分担もうまかったと思います。母からは小言を毎日のようにいろいろ言われていましたが、父は滅多に怒らない。でも、怒ると本当に怖いのです。ドカンとカミナリが落ちて。態度が悪いときなど、見るに見かねて落ちた一撃は効果があったと思います。怖かったです。
海外遠征するようになって、親のありがたさは心に沁みました。当時は携帯電話なんてありませんから、試合が終わるとコインをたくさん握りしめて両親に試合結果を公衆電話から報告していました。電話がつながって最初に出てくる言葉が、「勝ったか」じゃないのです。「ケガはしてないか」でした。勝敗よりも大事なことがあるのですね、親にとっては。これが、いつもそうでした。ありがたくて、電話機を握りしめたまま涙ぐんでいたこともありました。そんな両親がいてくれたから、世界でも戦えたのだ、と感謝しています。
そんなご両親が阪神淡路大震災で被災されたのは、沢松さんが全豪の大会期間中でした。情報が得られない不安な中で、自己最高のベスト8まで進まれました。
当時はインターネットもありませんから、ニュースを聞いたのは、現地の日本人の報道関係者からでした。家族とも連絡が取れず、当初は帰ろうと思っていたのです。ところが、千葉の叔母(日本人女性初のテニス4大大会優勝を果たした沢松和子さん)に連絡を入れると、「そんなことで弱音を吐くのはプロではない。帰るなら太平洋を泳いで渡ってきなさい」と叱られて。叔母なりの叱咤激励だったのだと思います。
そして試合に勝つと、日本から「活躍に励まされた」「勇気をもらった」という声が上がっているよと記者の方に教えてもらって。頑張ろうと思いました。そんなみなさんの応援も、ベスト8という結果につながったのだと思います。
自宅が全壊して何もかも失いましたが、家族の命は助かりました。このときに感じたのは、前を向く大切さです。人生で何も問題が起こらない人はいません。誰にでも、思わぬことは起こる。そのときに、前を向けるか。逃げてしまわないか。前を向く人に、明日は来るのだと思っています。
プロのキャリアを通して、10年間にわたって世界ランキングが30位台以内を維持されました。長く活躍し続けるために必要なことはどのようなことでしょうか。
よく「安定していていいわね」と言われたことがあります。とりこぼしもないし、ランキングを大きく落とすこともなかった。ただ、私自身は、これでいいと思ったことは一度もなかったのです。もし、これでいい、もう満足、と思ったら、あっという間にランキングを落としたと思います。どうして安定していたのかというと、ちょっと手を伸ばせば頑張れるところで目標を持っていたからです。ただ上を見るのではなく、ちょっと上を見ていた。頑張れば、手の届くところに目標を設定していた。それに向かってガムシャラに頑張った。そうやって終わってみたら、安定していたのです。言ってみれば、常におしりに火が付いた状態で、自分を叱咤していたということです。逆に、安定したいと思って、安定できる、ということはないのですね。
子どもの頃から結果は出しても、テングになることはありませんでした。父から、「田んぼの稲穂をしっかり見ておけ」と言われたのは、よく意味もわからない小学校の頃からでした。実ってくるほど穂を垂れる、その姿勢を忘れるな、と。でも、これはずっと頭に残っていました。実際、最高で世界14位まで行ったといっても、13人も上にいるわけです。上にこんなにいる。日本一になっても、世界では何番なのか、とも思っていました。常に上がいる。だから、謙虚にならないといけないのです。
最後に、色々な道でチャレンジする人に向けて、メッセージをお願いします。
お聞きいただく方によって、色々な話をしますが、一つだけ必ずしている話があります。それが、夢と目標は必ず別に持ってほしい、ということです。夢はとことん大きくてもいい。でも、夢と目標を一緒にしてしまうと、人生は辛いものになります。例えば、ウインブルドンで優勝することを目標にする。この目標を果たせる人は毎年、世界に一人しかいません。これでは、目標達成は極めて大変です。
夢と目標を一緒にしてしまうと、モチベーションを持って頑張り続けることが難しくなるのです。だから、夢は夢、目標は目標で持つ。目標は、ちょっと努力すれば届くものにする。頑張ったら、達成できるもの。そして、ちょっとずつ階段を上ることで、夢に近づけるようにする。大きな夢と、達成可能な目標を作るということです。これはスポーツだけでなく、仕事や子育てなど、色々なところで活かせる考え方だと思います。安定的に成果を出せて、モチベーションも維持できる、とっておきの考え方なのです。
――企画:土橋昇平、辻本翔人/取材・文:上阪徹/写真:奥西 淳二/編集:鈴木 ちづる
沢松奈生子さわまつなおこ
元プロテニスプレーヤー
小学生時代は親の海外転勤に伴い、ドイツで過ごし、現地のスポーツクラブで色々なスポーツを体験。 帰国後、日本国内のテニスのジュニアタイトルを多数獲得、夙川学院高ではインターハイ優勝(個人・団体)、…
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