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日本には、世界が真似できない「気づかい」や「おもてなし」がある

上田比呂志

上田比呂志

大人の寺子屋 縁かいな代表

2011年10月に発刊された著書『ディズニーと三越で学んできた 日本人にしかできない「気づかい」の習慣』が12万部を超えるベストセラーに。また、2012年の年間ベストセラービジネス部門の10位に輝きました。(トーハン調べ)
“社員の研修用に使いたい”、“新入社員に読ませたい”と数百冊まとめて買い上げる企業もあるそうです。

 上田比呂志さんは、東京・新宿の老舗料亭に生まれ育ち、幼い頃から実家を手伝うことで、“相手への気づかいとは何なのか”を肌で感じてきました。大学を卒業後、三越に入社。日本橋本店で企画や販売促進を経験し、その後は店舗開発に携わり、老舗百貨店のスキルを学びました。

 社内研修制度に応募し、全国の社員約1万2000名の中から11名が選ばれた、フロリダのウォルトディズニーワールドでのフェローシッププログラムに参加。世界33カ国の人たちとディズニーユニバーシティーに通い、ディズニーのマネジメントを学びます。その後、再び日本の三越での仕事を経て、グアム三越社長兼ティファニーブティック支配人として、1年半グアム勤務を経験。

 そして再びフロリダのディズニーワールドに、エピコットセンターのジャパンパビリオンディレクター(取締役)として赴任。ショップ、レストラン、カルチャーの3部門の統括責任者として、経常利益の向上や約250名の部下の人材育成に貢献しました。現在は、料亭のおもてなし、ディズニーウェイを取り入れたコーチングスタイルを確立し、講演や企業研修、パーソナルコーチングを中心に活躍されています。

ディズニーを超えるものが、日本文化の中にある

――「気づかい」や「おもてなし」が自然に身につく特殊な環境で育ったのですね?

私の生家は、大正時代末期に創業した料亭でした。家訓は、「働かざる者食うべからず」。自分の食い扶持は自分で稼げということで、小さい頃からお燗番などの手伝いをして、お店に出ていました。おかげで、お客さまに接する祖母や母、芸者衆の存在が身近にあって、いろいろなことを見聞きしたのです。「おもてなし」の本質について学んだのは、この頃でしたね。

 一代で料亭を創業した祖母は、それはもう立派な商人だったのですが、幼い頃にこんな会話をしたことを今も覚えています。
 「おもてなしって何?」と聞いた私に、「お前さんの一番好きな人は誰だい?」と祖母は言いました。「おばあちゃんだよ」と返す私。「じゃあ、おばあちゃんが遊びに来たら何をしてくれる?」「おばあちゃんは甘い物が大好きだから、おはぎを作ってあげる」「それはうれしいね」「あと、おばあちゃんはきれい好きだから、部屋をきれいにお掃除するよ」「そうかい。そうやっておばあちゃんのことを思って、喜ぶことをしてくれるのだね。それをおもてなしと言うのだよ。おもてなしとは難しいことじゃない。目の前にいる人を、自分にとって一番大事な人だと思いなさい。この人はどうすれば喜ぶかと頭で考えるのではなく、心で感じる。それこそが、おもてなしの心なのだよ」と言われました。

 私は、大学卒業後に三越に入社し、サービスのスキルを学ぶことになります。また、アメリカのウォルトディズニーワールドでいろいろな国の250名の部下を育成しながら、世界中の人たちのおもてなしをすることになるのですが、おもてなしの根本というのは、まさに祖母が言っていたことに尽きますね。目の前の人を大事にしたいと思うかどうか。“お客さまの立場に立つ”と口で言うのは簡単ですが、心からそう思わないとうまくいきません。正しい心のあり方と良き習慣がないといけないのです。そうした根本的なことを、小さい頃に祖母に学びました。

――大学を卒業後に三越を選んだのは、どうしてだったのですか?

そんな環境に生まれ育ったこともあって、接客業をやってみたかったのです。小売りや飲食など、いろいろな選択肢がありました。私が大学を卒業したのは1982年ですが、この翌年、東京ディズニーランドが開業します。おかげで、就職活動をしている頃、大変なディズニーブームが起きていました。私も興味を持ったものの、海外に行ったこともなかったですし、ディズニーで働く方法がわからない。
  そんなとき、たまたま見た三越の会社案内に、ウォルトディズニーワールドと提携して研修する制度があると書いてあったのです。これは大変な引き寄せだと思いました。三越に入るしかない、入社して、いつかウォルトディズニーワールドに研修に行こうと決心しました。

 私が三越に入社したのは、社会を騒がせた事件があって、ブランドイメージがひどく傷ついたときでした。お歳暮を任せてもらおうと、お客さまのリストをもとに戸別訪問をするのですが、玄関先で水を掛けられたこともあり、とても大変でした。100件中95件はけんもほろろに断られた。でも、中には「あなたが悪いわけじゃないわね、上がっていきなさい。お茶を入れてあげるから。」と言って下さる優しいお客様もいたのです。これは本当にうれしかった。
 今振り返ると、この経験は修業だったと思います。日常のことが当たり前ではなく、ありがたいと感謝できるようになりました。今思えば、これは本当に貴重な経験でした。そして、ここから三越のスキルを学んでいったのです。

――料亭に生まれ育ったことは、三越やウォルトディズニーワールドでも生きたのでしょうか?

人に教える、人を育てるには、順番があるのです。まず、心があって、次にスキルを学ぶ。私は三越でスキルを学ぶ前に、料亭での経験を通して、お客さまを“おもてなしする心”を学んでいたのです。心なくして型はありえない。ぶれない心を学んだことで、今の自分があると思います。

 これは、企業の成長という点においても同じことが言えると思っています。企業で講演させていただくときは、まず企業理念、つまり企業の“心”を教えていただきます。その理念を自分なりに翻訳し、「あなた方の企業の理念は、実はこんな深いことを言っているのですよ」とお伝えする。心の部分をしっかり説いておかないと、どんなにスキルを学んでも、表面的なものだけになりかねないのです。根をはやさないと幹は育たない、その企業は長続きしないということになってしまう。根のない幹はすぐに倒れてしまいますからね。

 ディズニーで驚いたのは、マネジメントの仕組みが洗練されていたことです。よくディズニーマジックと呼ばれますが、マジックですから、種も仕掛けもあるわけですね。それはもう大変な仕組みがある。三越にはスキルはありましたが、日本の場合は教育方法が「オレの背中を見て覚えろ」というものです。ところがアメリカは多種民族の国ですから、全員が共通の認識を持てるように、全てを構造化し、仕組み化しないとわからない。あいまいな状態では伝わらないのです。この点では、ディズニーはすごいと思いました。

 ただ、改めて感じたのは、日本人の能力や文化レベルの高さでした。日本人は、仕組み化せずとも空気を読んで行動できるのです。実際、ディズニーを超えるものは、日本文化の中にあると私は思っています。私はディズニーで、12カ国の文化を疑似体験できるワールドショーケースというところにいたのですが、覆面のサービスコンペティションでは、もう何十年も連続して日本が1位を取っていましたね。日本のおもてなしというのは、世界最高レベルだということです。

 サービストレーナーからは、「こういう場合は日本ではどうするのだ?」などと、よくインタビューを受けました。また、他の11カ国のワールドショーケースは、すべてディズニーが直で運営していたのですが、日本だけは三越が人を送り込んでいたのです。日本のおもてなしスタイルは、ディズニーでも直では真似できないと思ったのでしょう。当時の三越は、日本の百貨店の王と呼ばれていましたからね。

世界が超えられない日本の文化

――日本とアメリカのサービスの違いは、どのようなものなのでしょうか?

まずは、慮ることがどのくらいできるのか、ということだと思います。ディズニーはワクワクさせるエンタテイメントが得意。楽しませておもてなしをします。しかし、日本は慮っておもてなしをする。相手のことを察しながら、さりげなくサービスができるのです。

  もうひとつは、チップ制度です。いいサービスをしてもらったら、チップで評価する。アメリカでは、サービスはお金で買うものなのです。これは、すべての仕組みがそうなっています。ベースの給与が低いので、チップで生活をするということです。よりよい生活のためにはチップが必要ですから、いいサービスをしないといけないとなるのです。また、いいサービスを受けようとすれば、それなりの場所に行く必要がある。でも、日本は無償のサービスです。ここが大きな違いだと思います。

iv58_02日本人の慮りは、感性の強さから来ていると思っています。職人文化は背中を見て学びますが、それは感性が強いからできるわけです。ロジックで学ぶのではなく、感性で見えないものを盗み取るということは、外国の人たちにはなかなかできることではない。その背景にあるのは、日本の自然や四季だと思います。季節の移り変わりが感性を豊かにし、五感を鋭くさせたのだと思うのです。

 また、“出過ぎない”、“配慮する”といった文化は、日本人のDNAの中に組み込まれているのではないかと思います。これは理屈ではありません。そういうものが称えられたとき、日本人は血が騒ぐのです。背筋がピンと伸びて、しゃんとなる。実際、講演をさせていただくと、ディズニーの話も盛り上がりますが、日本人の誇りの話をすると、みなさんの目がキラキラしてきます。何かが刺激されるのでしょう。

――ただ、その日本人的なスピリットが、今はうまく使いこなせていないんですね?

今は使いこなせていないですね。いい意味での武器にしていない。私は、日本人の“出過ぎない”、“配慮する”という部分は、戦わないための武器にできると思っています。例えば、“出過ぎない”。もちろん出たほうがいいときもありますから、バランスは重要なのですが、出過ぎないのは実は芯が強いからということもできます。

 ノーと言える日本人が待望されている面もあるようですが、日本的なファジー、もわっとしている「たおやかさ」は、他の国にはマネのできないものなのです。これは大きな武器になる。凛とした強さというのかな。日本ならではの強さをうまく発揮することを考えていく必要があると思います。

  実際、ディズニーが私たちに教えてほしいと思っていたのは、こういうことだったのではないかと思っています。でも、文化的なものを教えるのは極めて難しいのです。文化は仕組み化、構造化できないですから。だから、日本を超えることはできない。つまり、日本は世界が超えられないものを持っている、ということなのです。

――そうすると、成果主義をはじめ、西洋の文化を入れることはミスマッチですよね?

日本の文化と成果主義はマッチしませんね。競い合ったり戦うのは、西洋の開拓文化から来ています。そしてそこには、勝者と敗者が生まれる。それを分かっているから、フォロー体制がしっかりできているのです。アメリカの経営者は、3つのドクターを付けています。メンタルドクター、ヘルスドクター、そしてコーチ。負けることもあるから、フォローする仕組みができている。ところが、日本は敗者のための仕組みを作らないまま、成果主義だけを取り入れてしまった。これでは、傷ついて、うつ病や自殺が増えるのは当たり前です。

 競争は、文明が成熟していくためには必要なことです。でも、これだけ文明が成熟すれば、もう競争は役割を終えていい。これからは競争の時代ではなく、心を重視する時代が来る。日本は日本の良さを置き去りにして逆行してしまっていますが、日本の良さと真剣に向き合うことこそ、次の時代に向かうことだと私は思っています。

――日本人の良さとして、配慮ができるという部分を挙げられましたが、最近は配慮のできない人も増えています。配慮・気づかいができる人は、どう育てればよいのでしょうか?

気づかいができるかどうかは、心の意識のアンテナが高いかどうか、ということ。感じる力や想像する力が強いかどうかです。物事の現象は、人によって見えるか見えないかが分かれてしまうものです。これが近年、低くなってしまっていますね。  例えば、50人くらいの宴会をしていると、あの人とあの人はグラスがもうすぐ空きそうだ、ということが見える人には見えるわけです。そうすると、飲み物を注いであげたり、「何か注文しますか?」と問いかけることができる。ところが、見えない人にはまるで見えないのです。感じる力、想像する力が働いていないからです。

スキルを磨く人は多いですが、心を磨く人は少ない。だから、意識のアンテナが立たないのです。「気づかい」のために必要なことは、心磨きをすることです。それは、普段からの心がけが大切ですね。例えば、何かを借りたときに、ちゃんと元の場所に戻せるか。ハサミを貸して欲しいと言われたとき、刃先を自分のほうに向けて相手に渡せますか。

  また、心のアンテナは習慣で磨かれます。ゴルフの石川遼選手は、トイレを使った後、次の人が気持ち良く洗面台を使えるように、いつもきれいにティッシュで拭いているそうです。こういうことが、意識を変えていくのです。

 その場限りのスキルをいくら磨こうとしても、肝心なときには出てこない。誰もが最初から心のアンテナが立っているわけではありません。たくさんの経験を積むことで、意識は変わっていきます。そしてそれが習慣になることで、最終的には人格をも変えてしまう。これは大人になってからでも遅くはありません。

自分のためでなく、誰かのために頑張れるのが、日本人

――日本人の強さとは何でしょうか?

ロンドンオリンピックで、北島康介選手は、個人の記録よりもリレーの記録のほうがいいタイムを出しました。日本は「大和の国」と言われますが、「大きな和をもっての国」なのです。もともと民族的に、和の強さがあるということだと思います。アメリカ人は自分の利益のために、とんでもない頑張りをします。日本人は、自分のための力は弱くても、誰かのためになら頑張れるのです。東日本大震災のような未曾有の災害が起きても、みんなで結集してピンチを乗り切ろうとする。これは日本の強さなのです。

 この強さも「気づかい」から来ていると思います。気づかいは結局、自分のためになるのです。「情けは人のためならず」という言葉がありますが、気づかいは最終的に自分に返ってくる。それを知っているから、日本人は相手のために頑張ることができるのだと思います。

 “気づかい”と“気疲れ”は違います。気づかいは、楽しみながらするものだからです。相手のために尽くそうという気持ちは、自分にめぐりめぐって、いい結果をもたらしてくれます。これは私自身の実感としてもそうです。そして喜んでもらえたら、自分もうれしい。実はその時点で、すでに幸せをもらっているといえますね。そのことに、もっともっと気づいたほうがいいと思います。

――では、日本人の強さを発揮して、組織として発展するためにはどんなことから始めればいいのでしょうか?

iv58_03まずは、社員一人ひとりが当たり前のことからやっていくことですね。笑顔で挨拶をし、心配りをする。なぜなら、お互いに気持ち良く過ごせるからです。シンプルなところから入っていって、相手のことを気づかう習慣を徹底していく。これが当たり前になると、組織の風土になります。そして、組織としての底辺が上がっていくのです。挨拶と笑顔がちゃんとできるだけでも、“気”が変わります。また、基本的なことから始め、気づかいができるようになると、仲間意識が強くなります。そして、チームワークの力が強まると、組織に大きなパワーをもたらします。

 次のステップは、一流と言われるところを見に行くことです。“見て学ぶ”というステップは、底辺が上がってきていないと意味がありません。社員一人ひとりにベースができていないと、感じる力、想像する力が生まれないからです。ベースがあれば、自分たちに何が足りないかがわかる。もっと学ばないと、ということになります。そして、提案が生まれるようになる。それが、ブレイクスルーを生み出すのです。

――今後はどんな目標を据えておられますか?

日本は、おもてなし立国宣言をするべきだと思っています。日本の気づかい、おもてなしは、大変な国際競争力があるからです。技術立国としては追いつき追い越されてしまいましたが、おもてなしではまったくそんなことはない。実際、中国でも感度の高い人は、日本のおもてなしを味わいに来ているし、学びに来ています。日本にずっといると、そういうことが見えてこない。むしろ、海外に出ることで、日本の本当の強さは見えてくるのです。私自身も、ウォルトディズニーワールドでマネジメントした経験があるからこそ、日本のすごさを知りました。また、料亭で育ったこと、三越で学んだことの凄さも理解することができたのです。

 ただ、おもてなしレベルを上げるためのマニュアル的なプログラムを作ったりしようとは思いません。それは、自らの気づきがなければ、おもてなしを学ぶのは難しいと考えているからです。おもてなしを学びたいと思う企業や人にヒントを差し上げることはできますが、実行するのは自分たちです。

 著書『ディズニーと三越で学んできた 日本人にしかできない「気づかい」の習慣』に書かれていることを自分たちなりに独自にアレンジし、会社の風土変革に取り組まれた企業があります。私も呼んでいただいて、コメントしたり意見をさせていただいたりしましたが、本当に素晴らしいと思いました。
 最終的には、必要な取り組みを書き込んだカレンダーの制作まで行われ、風土は短期間で大きく変わったそうです。社員の意識が変わり、アンテナが立ち、お客さまへの気づかいのサービスレベルが上がったそうです。社員全員が変わったと言われていました。

 人に言われてやるのではなく、自分たちで動く。自分たちに合った取り組みの方法を展開することが大事だと思うのです。それこそ私の商売としては、プログラムを作ったほうが儲かるのかもしれません。しかし、それはしません。なぜなら、おもてなし立国を作ることが私の目標だからです。おもてなし立国を作るには、おもてなしが本当に大切だと自らが気付き、自発的に取り組む企業が増えないといけないからです。私がいないとできないようでは困るのです。
  その意味では、まずはトップが本気になることが重要です。そして、いかに社員に火を付けられるか、本気になって動くと何かが違うぞ、とわかってもらうことが大切です。

――最後に、講演の依頼者に向けて、メッセージをお願いします。

私たちが生きている今は、文明の大きな転換期にあります。文化は滅びませんが、文明は滅びます。では、これからの文明の軸は何か。それこそが、私たち日本が得意とする、“おもてなし”や“気づかい”なのではないかと思うのです。心を重んじる文明になる、ということです。

  だから今、独裁者が倒れ、ヨーロッパが揺らいでいますね。一方で日本では、東日本大震災で「絆」という言葉が世界に知られるようになった。東日本大震災をめぐる絆は、日本を象徴しています。あれほどの状況の中でも、お互いを気づかい、助け合える日本人には、世界が驚きました。

  だからこそ、日本はそれを武器にするべきです。企業でも、おもてなしやサービスレベルにこそ、こだわるべき。本当の意味で、この力を磨くことが求められています。それは、これから世界に通用する、グローバルに通用するものになります。

  それだけのものを、すでに私たちは持っているの です。後は、掘り出して磨くだけ。少しでも多くの企業が奮起して真剣に取り組めば、日本全体がおもてなし立国に近づく。それは大きな可能性を秘めていると思います。

――本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました。

取材・文:上阪徹 /写真:三宅詩朗 /編集:丑久保美妃
(2012年12月 株式会社ペルソン 無断転載禁止)

上田比呂志

上田比呂志

上田比呂志うえだひろし

大人の寺子屋 縁かいな代表

大正時代創業の老舗料亭に生まれる。幼い頃より家業を手伝い、"おもてなし"という、日本文化のDNAを受け継いで育つ。1982年に大手デパート・三越に入社。同社の社内研修制度によりフロリダで開催されたウォ…

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