今月は元千葉ロッテマリーンズ投手の小林至さんです。
昨年から江戸川大学にて教鞭をとられ、講演やラジオ、執筆でご活躍しています。
今回はプロ野球退団後から現在までの経緯を中心にお話をお訊きしました。
小林 至 (江戸川大学助教授)
1992年、東大から千葉ロッテマリーンズへ投手として入団。
退団後、コロンビア大学経営大学院にてMBA取得。
フロリダの「ザ・ゴルフチャンネル」にて通訳・翻訳等を担当。
現在、江戸川大学助教授としてスポーツビジネスを教えるかたわら、
執筆活動やコメンテーターとしても活躍中。
一生懸命やれば、 見てくれる人は必ずいる。
―― 千葉ロッテマリーンズを退団されてから、アメリカのコロンビア大学経営大学院へ留学してMBAを取得されますが、その動機は何ですか。
結論から言えば、やることがなかったんです(笑)。あまり野球はうまくなかったけれども、野球一筋の人生でしたから、ある意味で。プロ野球をクビになりますと、他に目標というものが無いんですよ。その中で、プロゴルファーや政治家や芸能人というお話もいただきましたが、あまり乗る気ではなかった。当時、契約金も残っていたので、少しお金もあった。独り者だったので、時間もあった。それで、じっくり次の人生を考えようと。それには、それまで一度も行ったことのない海外に出るのもいいのではないかと。パスポートも持っていなかったんですよ。それで、色々と話を聞いていると、せっかく行くのなら学位でも取ったらどうだ。じゃあ、何が流行っているんだ、ということでMBAがいいんじゃないかと。
――英語は大丈夫でしたか。
話すとか聴くというのはあまり得意ではありませんでしたが、共通一次なども満点だったので、基礎は出来ていたと思います。だから、他の人よりも(英語習得の)スピードは速かったと思いますが、渡米してからは英語漬けの毎日を送っていたり、努力もかなりしたと思います。
――修了後、ゴルフチャンネルへ入社されますね。
元々目的意識が薄い留学だったせいだと思うんですが、卒業の段階になってなお、これがやりたい!っていうものはなかったんですよ。同級生はほとんどが金融へ行くんですね。コロンビアの人はウォール・ストリートへ行くんですね、お金がいいですから。僕も行こうかなと思ったんですが、このまま周囲に流されるのも何ですし、かといって他に目標があるわけじゃなくて、結局就職を決めないままに卒業してしまうんですよ。ところが、大学院の時に一緒に遊んでいた仲間はみんな就職してしまった。遊び相手がいなくなる。そうすると、働いていない自分が急に恥ずかしくなってきまして、インターネットで求人情報などを探していたら、ゴルフチャンネルで日本語放送が始まるということで、英語を日本語に変えるスタッフを募集していまして。場所がオーランドだった。学生時代に3回も行っているほど、気に入った場所だったんですね。ゴルフ代は安いし、暖かいし、1度こんな所に住めたらいいなと思っていたところだったので、決めました。
――ゴルフチャンネルをクビになってしまいますが、その時のお話をお聞かせ願えますか。
ある日、呼び出され、その場でクビを言い渡されました。
理由は、それより少し前の、僕の発言でした。会社の全体会議がありまして、そこで社長に質問をしたんです。
「なぜこの会社には、中間管理職以上に有色人種がいないのか?」と。僕は、昔から目立ちたがり屋で、ええ格好しいのところがあって、それが墓穴を掘ることはよくあったのですが、この時も思慮が足りませんでした。
間違ったことを言ったとは今でも思っていませんが、賢くなかった。というのも、アメリカは白人社会だというのは当たり前のことで、そんなことに目くじらを立てても仕方ないんですよ。それよりも、アメリカは自由と平等の国だ、という白人の主張に、にっこり笑ってピースサインを出せる度量の広さが必要なんですね。特に僕は外国人で、それなりの給料も貰っていたわけで、差別と貧困で苦しんでいるわけでもなく帰る国もあるお前になんでそんなことを言われなければいけないんだ、と思ったんじゃないですか。
もっとも、クビを宣告されたとき、天のお告げかなあ、と思ったのも確かです。というのは、辞めなきゃいけない、このままじゃ駄目だ、と2年くらいずっと悩んでいたのです。先々ずっと、翻訳や解説で食べていく気も、ゴルフで食べていく気もありませんでしたので、そろそろ動かないと年齢的にも手遅れになるんじゃないか、そんな思いですね。そうは言っても、オーランドという街は大変住み心地が良いし、家族を養っているんだからいいじゃん、なんて逃げの気持ちもありまして、踏ん切りがつかなかったんです。
――帰国された後、参議院選挙へ出馬されましたが、どのような経緯だったのでしょうか
ある人を介して、自由連合の徳田虎雄代表を紹介されました。そこで、勝海舟や坂本竜馬など幕末の功労者たちの写真を見せられまして、「今はこういう時代だ」と。「これからの世の中を変えていくのは、しがらみがない、金がない、君のような若者なんだ。一緒に変えていこう」と言われまして、出馬しました。
――また政界へ進出しようという気持ちはありますか。
いつかチャンスがあれば、もう一度、挑戦したい希望はあります。自分の生まれた国のために、直接、貢献できる仕事ですから、まさに男子の本懐じゃないかと。ただ当時は、突然のことで準備不足だったことは否めませんでしたね。
でもいい経験をしました。月曜日の朝に街頭へ立つとですね、通勤途中のサラリーマンがみんな嫌な顔をするんですね。まるでゴミでも見るような目ですよ。朝は誰でも不機嫌だと思うんですけど、特に月曜日はすごいことを学びました。逆に週末の夜になると、お酒も入っている方もいまして、応援してくれるんですね。握手をしてくれたり、缶ジュースを買ってきてくれたり。また、1日に何百という人と握手をしていると、それぞれの手の形や大きさ、温もりがみんな違うんだな、ということも実感しました。本当にいい経験をしました。
――昨年から江戸川大学で助教授をされていますが、どのようなきっかけだったのでしょうか。
以前から大学で教えるのもいいなあ、と漠然と思い、そんな話を各所でしていたんです。その話が知り合いを通じて、(江戸川大学の)学長の耳に入ったのです。聞けば以前から僕のことは知っていて、凄く買ってくれていたそうなんです。それで、目標に向かって頑張り、駄目ならまた別の道に挑戦するそのエネルギーを学生に伝えてやってくれと。更に、当初は、非常勤という話だったんですが、常勤でどうだ、とまで言われまして。丁度、選挙に落ちた後で、仕事もまったく入っていませんでしたから、即決しました。ありがたいお話です。それにしても驚いたのは、選挙に出ると仕事が本当に無くなるんですよ。ラジオのレギュラーも選挙に出ると言った瞬間に切られました。雑誌などの連載なんかも切られたりしたものもあります。テレビの通訳の仕事もしていたのですが、裏方の仕事だから大丈夫だと思ったら、それも無くなりました。
――どんな科目を教えていますか。
経営学と統計学を教えていて、経営学の中でも「スポーツビジネス」を中心に研究しています。
――今年で2年目ですが、授業の感触はいかがですか。
1年目はやっぱり力んだと言いますか、教科書的にやってみたのですが、経営学というのは学生から最も縁遠いもののひとつなんですね、会社の仕組みがどうとかいうのは。そういう意味でとっつき難いものですから。
今年は授業中に2~3人前へ出てきてもらって、経済や経営に関して調べてもらったことを少し話してもらっています。授業にアクセントがついていいんじゃないかな。
何とか興味を持ってもらえるように工夫しまてます。
――最後に、講演を聴いてくださる方にメッセージをお願い致します。
失敗してもまた頑張ればなんとかなるんじゃないかなあ、と僕は思っています。紆余曲折とまでは言いませんが、色々ありながら何とかやって来ました。選択ミスもあるし、判断ミスもあるし、失敗したことあるし。でも、成功したこともあると。うまく行った場合というのは何かと考えると、運にも縁にも恵まれましたが、とどのつまりは、一生懸命にがんばったことだと思うんです。県立高校の野球部でレギュラーにもなれなかった人間が、末席を汚しただけですが、プロに到達することが出来た。まさに「虚仮も一心」だと思います。また、がむしゃらに取り組んだだけでなく、戦略としてレギュラーを目指せる東大へ行った。そういう風に考えながら、一心にがんばった。その結果だと思います。
その後は失敗もありますが、振り返れば前向きだったなと思います。食わなければならない。しかし、プライドもある。恥ずかしくない人生を歩みたいというのもありますしね。
もう1つはアメリカでの経験から、やっぱり日本という国はいい国だなと思った、というお話をさせていただいています。
月並ですが、「目標を持って努力をする大切さ」を伝えたいですね。そうすれば、自ずと道は開けると。プロ野球に入れたというのもそうだと思います。当時、金田監督が言ってくれました。「君の目を見て獲ったんだ」と。「こんなに一生懸命な人間はいないんじゃないか」。そう言ってくれました。一生懸命やれば見ている人は必ずいるんだ、と思います。
ある意味僕の人生は、“人生万事塞翁が馬”で“出たとこ勝負”なんですね。しかし、そうは言ってもそのための準備とファイティングポーズをとり続けることは大事です。何が幸いするか分からないとは言うけれど、何もしなければ何も幸いしないですから。
――ありがとうございました。
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小林至こばやしいたる
江戸川大学教授
1992年に千葉ロッテマリーンズからドラフト8位指名を受け入団。東京大学史上3人目のプロ野球選手となるもプロ2年間で1軍登板はなく、1993年に自由契約となり現役引退。翌年から2000年まで渡米。コロ…
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