エッセイスト・コメンテーターとして活躍する安藤和津さん。
2006年には、夫の奥田瑛二さんが監督を務めた映画「長い散歩」が
モントリオール映画祭で3冠(グランプリ、国際評論化連盟賞、
エキュメニック賞)を受賞。この作品では、娘さんも助監督として参加し、
安藤さんはスーパーヴァイザーを務めています。
今回は、二人の娘の母親であり、8年間の実母の介護を経験した
安藤さんに、「子育て」「介護」「これからの女性としての生き方」
についてお話をお伺いしました。
子育て・教育 -“家庭”教育改革の必要性
―母親・娘・妻、そして1人の女性。安藤さんはさまざまな側面をお持ちで、そのバランス感覚が素晴らしいと思います。まずは子育てのお話から伺わせてください。
私は講演で、いつも「子供は親の言う通りには育たない。大人がやる通りに育っていく」と話します。子供は口先だけのキレイゴトに納得しないし、ものすごく勘がいいので、大人の嘘は見抜くんですね。自分の子育てが成功したかどうかはわかりませんが、何がうまくいったかと振り返った時に、正直にぶつかった事でしょうか。子供はよく見てるんです。だから、ダメな時はダメだって言ってしまった方が本当は親も楽なはず。たとえば、仕事をしながら子育てをするお母さんもいると思うのですが、仕事ですごく疲れてるけど、ご飯を作らなきゃいけない。だったら、カッコつけずに「お母さん、本当ヘロヘロなの。今日は買ってきたもので我慢して」って。その代わり、「明日は元気になって美味しいモノを頑張って作るね」って言えば済むことですよ。毎日完璧を目指してしまうと無理が重なり続きません。
それに基本的には私とあなたは「同じ人間同士」というスタンスが必要なんだと思います。“くくり”をとっちゃったらいい。親子だとか、ちょっと外して考えればいいんです。あとは気をつけなきゃいけないのは、兄弟一緒というくくりも外して見ないといけないこと。だって、兄弟だって性格も違うし、思考も違うし、感じ方も違うんですよね。だから、上の子にはこういう怒り方をしても大丈夫だけど、下の子には絶対こういう怒り方しちゃいけないとか、家族の中でいろんな鉄則が出来てくる。それをみんな十把一絡げに考えちゃうと、間違えるでしょうね。
―現代の教育を語る上で欠かせないテーマとして“いじめ”の問題があります。安藤さんご自身も子供の頃、いじめを受けたことがあるとか?
小・中学生の頃です。子供ってやっぱり異分子が嫌いですよね。突出して何か違うものを持っている子って、すごく嫌がるでしょ。私の場合には自分の出生のことなど、大人の噂話からいじめが始まって、中学の時にはもっと露骨になっていったんですね。小さい時は仲間はずれで済んでいた事が、大きくなるともっと露骨に人の面前で恥をかかされたりね。でもいじめられているという事は、自分からは、なかなか言えませんでした。子供にもプライドがある。自分のプライドが傷つくので言いたくない、っていう気持ちもあるし、あとそれを言ったら親を傷つけることになるって二重構造ですね。でも、中学の時には、登校拒否になったので、さすがに親が私をいろいろ問いつめてきました。その時に、私は言ってはいけない言葉を母親に投げかけた。
「何で私をこんな環境の中で生んだの? 私はこの家を望んで生まれてきた訳じゃない」って。言ってしまった時に、気の強い母が一瞬すごい悲しそうな顔をして黙っちゃったんです。そして、その次に言った言葉が「あんたの事は私が命を懸けても守ってあげる」…ってね。
その一言で私は、もう一回頑張って学校に行こうと思ったのね。母親が自分の命よりも大きく思ってくれたっていう事。それが私自身の支えになって、親をこれ以上裏切る事はできないっていう思いに変わって。頑張んなきゃって思ったんです。あの時に母親が違う言葉を言っていたら、私がどうなっていたかは……分からない。
最近、子供の自殺や、子が親を殺すなどの凄惨な事件がメディアを騒がせることが多いですよね。何であんな風な事件が起きたり、迷ったりするかって考えると、もしかしたら親の愛情がちゃんと伝わっていないのかもしれないのかな、と思うんです。親は子供のためにいい教育をしてあげたい。いい洋服を着せてあげたい。子供のためにお金をかけてあげたい。いろいろあるじゃないですか。他の人がどんな事を言ったって、いろんなやり方があるんだけれども、それが本当に子供に愛情として伝わっているかどうかが分からない。やっぱり伝え方を間違っちゃったら、子供はそれを受け止められないでしょう。愛情が伝わらないと、子供たちも迷うと思うんですよ。私が母親の言葉に救われたように、親子の間に絶対に欠かせない大事なことがあるんじゃないかな。
―現実から逃げずに、娘である安藤さんと真剣に向き合う母親の愛を感じます。よく欧米では、小さい頃から1人の人間として育てると聞きます。その影響かはわかりませんが、アンケート調査で「いじめを助けたことがある」と答えた子供の割合が、日本よりも多いそうですね?
日本が一番低かったんです。アメリカ、イギリス、ドイツ、韓国…などに比べてね。いじめられている子供を助けた経験があるって答えた子供が20%切っているんです。もうみんな見てみぬふり、ミニ大人の社会ですよね。保身と自分さえよければいいっていう考え方が、子供の社会にも全部蔓延してしまっている。子供ってどうやって覚えていくかっていうと、やっぱり家庭教育の中なんですね。子供だから人生の経験はもの凄く少ないので、経験値のある大人が間違った事はちゃんと教える必要がある。でも、私達の世代が、大人から聞かされてきた言葉「嘘をついてはいけない」「友達と仲良くしなさい」「他人に迷惑をかけてはいけない」みたいな当たり前、常識というのも恥ずかしいような普通のその言葉を日本の子供たちは親から聞いてないとよく聞きます。
だからまずは、親の教育が必要だと私は考えています。だって、親自体が知らないんです。何がいいことで、何が悪いことなのか。私は教育の審議委員もやっていますが、本当にビックリするのが、万引きの現場に親が飛んできて、最初に「何で見つかったんだ」て怒ったり、「金を払えば済むことだろう」って、係員さんにお金だけ渡して帰ろうとするとか「どうせ取るなら、もっと高いモンとれ」なんて、もう信じられないような言動をする親が多いようです。最初にお話したように「子供は大人がやる通りに育っていく」のですから、私達、親こそがサンプルなんです。最初に不良品のサンプルを見て刷り込まれてしまうと、あとで軌道修正しようと思っても、完璧に染み付いちゃうでしょうね。親がちゃんとしてたら、こんな社会になっていないはず。私は教育改革は『家庭教育改革』しかないと思います。
介護 -母が教えてくれた『捨て身の愛』
―著書「オムツをはいたママ 母との愛と格闘の日々」(グラフ社)にも綴られていますが、働きながら、子育て、さらにはお母様の在宅介護を続けた8年間は、並大抵のことではなかったのですね?
記憶が無いです。その当時の。本当に目先のことをやるのに精一杯でしたね。脳腫瘍で脳の機能が低下した母は、体内時計が狂ってしまって、朝食が明け方の3時半から4時くらい。その時間に朝ごはんを作って食べてもらって、トイレに行って、その間に子供の朝食とお弁当の用意をして、子供を起こして、送り出して、自分が仕事をしに行く準備をして…。だから、ほとんど寝てなかったもん。今でもその後遺症で、2時間寝ると目が覚めるんですよ。
家族のサポートにはやっぱり限度がありますよ、男の人ではね。子供は昼間は学校に行って、翌日も学校があるんだから、私は寝なさいって言うじゃないですか、当然。奥田さんだって仕事だしね。第一、義理の親のオムツはやっぱり替えさせられない。私もね、嫌だもん。やって欲しいとも思わなかったし、まあ、料理は手伝ってくれましたね。奥田さんもそれはやってくれたかな。やっぱり、私がやるしかないなって思っていて、そうするとドツボにハマるんです。疲れ、寝不足、自分の仕事のプレッシャー…それなのに介護は全然待ってくれない。時間を与えてくれない。どんどん悪くなっていく。私ね、自分ひとりで何回叫んだかわからないわよ。…誰もいないキッチンで(笑)。
―いじめを受けていた安藤さんを「命を懸けて守ってあげる」と抱きしめてくれたお母様。女手ひとつで育ててくれたかけがえのない存在ですものね。
実は、私は長い間、母が脳腫瘍だって知らなかったんです。常軌を逸した言動に対して、なんて言うか、老化が原因だと思い違いをしていました。そばにいるのも口をきくのもイヤになるぐらいどんどんとその何だか「変」だな、という度合いが増していったんです。もう本当にどうしていいのかわからないという状況の中で、憎悪が本当にピークに達しそうな頃(98年)に、脳腫瘍が発見されて、その時は初めて病気だっていわれたことを感謝しましたよね。病気だから、ああだったんだって納得がいって。それまで理由が全く分からなかったから。
でも、そうなるまで日にちはかかりましたよ。あるとき、友達が家に遊びに来ていてね。彼女と私が話している部屋に母が下半身スッポンポンのままで現れたんです。オムツをもって「取替えて」って。私、もう唖然とするし、その友達もそんなものを見ちゃってどうしていいかわからないわけですよ。こうなると人づきあいできないなと思いましたね。しかも、母は気丈な人だったのに、私に対してその目がね。媚を売るような、へつらうような目。あれが一番イヤだった。むしろ、頭ごなしに「アタシが漏らしたんだから、取り替えなさい、あんた」って言われてたら、まだ救われたかな。だって、自分の前にあった大きな背中が、ある日突然いなくなったと思ったら、オムツ持って後ろに立ってたって感じでしょう。
苦しい闇の中をひたすら走っているように感じる時もありました。でもある時フっと気づいたんですよ。昔は私もオムツを替えてもらってたわけだから、「恩返し」をしてるのかなあって…。随分と時間がかかりましたね、そう思えるようになったのにも。
―お母様は、奥田さんの舞台があると、ご自身の貯金で暖簾や着物を作られたりと、ずいぶん応援されていたそうですね?
でも2人ともしょっちゅう大喧嘩してたんですよ(笑)。教育方針から、食べ物の趣味から全部食い違って。お互いに全部言いたいことを言うタイプですし、これでまた奥田さんが出て行くなぁって思うようなハラハラな時が
何十回もあって…。
でもこんなエピソードもあるんですよ。母が病気になってからのある時、大も小も漏らしてしまってべチャべチャになってしまったんです。それで下着とパジャマを脱がせて、便器に座らせたんだけど、血圧がすごい上がっちゃってグラグラになっちゃたのね、母の身体が。でも、トイレって小さいから、私は中に入れずに、入り口のところで跪いて背中を支えてあげるしかなかった。当時の母は80キロ近くあってね。ちょっとでも動くと倒れてしまうので、前にも後ろにも動けず完全に膠着状態で。私は電話を取りに行くこともできない。そこに奥田さんが帰ってきたんです。
もう下半身がベチャベチャな母のお尻を、奥田さんがヒョイッと抱えてくれて、ベットまで連れて行って、後始末を手伝ってくれたんですよ。なかなかそれはね、実の血を分けた人間でも、そういうこと全てっていうのはやりにくいこと。私は「ちょっと待って、バスタオル持ってくるから」って言ったのに、彼は「いいよいいよ。お母さん、僕だからいいよね」て言って。抱えてくれて、母も母で「うん」ってうなずいて、おぶさってベットに運んでってくれた。あの姿が…ああ、これで家族になったんだなって思った瞬間ですね。母が、私達家族の絆をきちんと強めてくれて、安心して逝ったんだと思います。(2006年4月、享年82歳で永眠)
―お話を伺っていると、今の社会で忘れられた『家族の原風景』を思い出す気分です。
語弊があるのかも知れないけど、小さい時の私の家は健康的な家庭ではありませんでした。祖母が寝たきり老人だったし、母の妹が身体障害者だったんですね。母は全部引き取って、弟も引き取って、大学まで全部出したんです。でも、やっぱりちょっと歪んだ家族だったのね。寝たきりのお婆ちゃんがいて、身障者の叔母ちゃんがいて、私は未婚の母が生んだ子で、っていうとすごく世間の形からハミ出てるわけ。ずっと、なんでこんな家に生まれたんだろうと思ってました。だから、私の夢は、ちゃぶ台を囲んで、裸電球1個の下で、ほのぼの家族が笑いながらご飯を食べることだった。
ただ、どんなにいい暮らしをしてても、いい服を着ていても、お金をかけても、結局心が通っていないといい家庭とは思えないんですよ。それは何かって言ったら捨て身の愛ですね。自分よりも相手を思う心かなあ。人間って何のために生きてるかっていうと、ウチの母を見てると、人のためにどのように役立てるかっていうことだったような気がする。人様の役にどれだけたてるかということだったのかなと。今の世の中ははエゴのほうが強いじゃないですか。愛じゃなくてね。
女性として生きる -日本一立派な絢爛豪華な踏み台に
―いよいよ、1人の女性としての安藤さんの今後について伺います。
結婚をして子供を持つ女性としての生き方としてはね、今は二極化していると思うんですよ。一つは、自分のエゴを強く打ち出して生きていくお母様方、2つ目は、夫や子供の成長・将来に自分の将来・幸せを依存するという昔ながらのパターンを持っているお母様方。
やはり子育てをしている時は無我夢中で、自分を省みる時は非常に少なくて、個が無くなるじゃないですか。たとえば、桃ちゃんのママ、桜ちゃんのママ、その前は奥田さんの奥さんで、決して「安藤和津」という「個」はない。その結果、ドンドン自分を忘れていってしまう。そうすると鬱々としてしまって、「私という存在はいったいどこにいるんだろう? 自分の人生はどこにあるんだろう?」って、ある時フッと気づいたりする。そういったブラックホールに陥る事があると思うんです。
私も子育てだけに専念している時期があって、その時はいろんな葛藤がありましたね。完全に社会へのアンテナを閉じちゃってる。結局、小さいサイクルの中だけで自分が生きていく方が楽だから(笑)。でも、周りにいる先輩達にいろいろとお話を伺った時にね、仕事をしている、していないに関わらず、自分の中で社会と繋がる意識を持っている方というのは、いつまでも若々しいし、ブラックホールに陥りにくいな、というのがすごくよく分かりました。やっぱり自分が楽して生きようと思うと、どうしても人間って流されちゃうじゃないですか。自分の目的意識を子供の幸せ、夫の幸せ、あるいは自分の上辺だけの快楽っていうものに求めないような生き方というのをしている方たちを見た時、学ばなければいけないな、って思いましたね。
―自分自身が輝いてこそ、家族の方々にもエネルギーを与えられるんですね。
安藤さんの場合、これからは自分のための時間をもう少し使えるようになるのではないですか?
これからやっと自分の時間を取り戻せるのかなあ。でも、たぶん私は“取り戻す”よりも、現状維持のまま家族の礎となるのかもしれません。結婚するときに奥田さんが「お前はオレの踏み台だ」って言ったので、私は「日本一立派な踏み台になって見せるぞ」と思ったんですね。上に載っている人間が霞むほど、絢爛豪華な踏み台になりますよって。まあ、今後は上に載るのが、奥田さん1人ではなく、娘2人も私の上に乗るかもしれないので、3人分を支えるぐらいの踏み台にね。あ、あと孫もね(笑)。
―賑やかになりそうですね(笑)。 安藤さんの元気の秘密は何ですか?
人の力ですね。私だって1人で生きているわけじゃないので、いろんな人達との関わりの中で、自分は生かされているなと思う。だから、人に会うと元気になります。自分が疲れている時は、元気な人と会って元気をもらう。もちろん、自分が元気で、相手が疲れていたら、こっちが元気をあげる。ギブ&テイク。私はつきあう人の年齢層も、かなり幅が広いですよ。ただ、絶対に欲とか損得勘定ではつきあわない。今の時代は、そういうものを重点的に考えることも多いように感じるのですが、私は相手が社長さんだろうが、フリーターだろうが、あんまり線引きはありません。その人自身がどういう人間なのかっていうことしか興味が無いですから。名刺もらっても肩書きは見ないですもん。後になってみると、あ、社長だ、みたいなね(笑)。学生さんに今流行ってる言葉とか物とかを教わったり、みんなから良い気をもらっていますね。ありのままの自分で同じカテゴリーに入ってね。逆にそういう事がとても新鮮だったりします。
後は笑顔。 笑顔は繋がっていくものだと思います。
―安藤さんのポジティブシンキングは人に伝播しそうですね。
もちろん!だって、福を呼ぶのは笑顔でしょ。絶対そうなのよ。ネガティブな考え方をしたら、絶対に物事もそうなっちゃう。勿論、子育てや介護など、本当に悩んで落ち込んだこともたくさんあったけれど、そこでただただ自分はだめだって諦めるのではなく、考え続け、工夫をし続けたから、今があるんだと思うし、学べたものもたくさんあった。
それにね、奥田家では不可能だとか、できないとか絶対言っちゃいけないの。「もうダメ」も無し。奥田さんもそう。「なに言ってんだ。不可能なんて無いんだ!! 今は女が男にもなれる時代だ!」とか(笑)。 乗り越えなきゃいけない大きな壁の前でたじろいだり、タタラを踏んだりしちゃいけないってことですね。
不可能という言葉は、奥田家の辞書にない。自分達がやろうとおもったらそれは必ずやれるんだって。そう思うと、ずいぶんと世界が変わりますよ。あとはそれを信じることですね。
私ももっともっと絢爛豪華な踏み台になりますよ。
―本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきまして
ありがとうございました。
文:佐野裕 /写真:鈴木ちづる (2008年4月14日 株式会社ペルソン 無断転載禁止)
安藤和津あんどうかづ
エッセイスト
3月6日、東京都生まれ。学習院初等科から高等科、上智大学を経て、イギリスに2年間留学。その後CNNのメインキャスターを務める。1979年、俳優・映画監督 奥田瑛二と結婚。長女安藤桃子は映画監督、次女安…
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