未曾有の経済不況のこの時期に、あえて「企業理念」を見直すといった社内体制を整える作業を行う企業が増えている。そもそも、企業理念とは何か。また、その理念を社内全体に浸透させるためのヒントとメリットは何なのか。数々の企業のクレド作成と浸透に関するコンサルティングを行ってきた日本クレド代表の吉田誠一郎氏と、多くの経営者との出会いを経験した弊社代表の渡邊陽一で探る。
企業理念は経営者の思い
渡邊:企業理念を考えるときにまず私が思うことがあります。企業理念というのは創業者が愛情と熱意を込めて作ったものであり、創業者の思いだということです。だからこそ、それが例えどんなに良いものであったとしても、個人の感情であるからには、社員全員に浸透、伝達させることは容易なことではないですよね。しかし、この時期に企業理念が社員としっかりと共有できていれば、会社としての軸が揺らがず、とても強い会社になると思います。そういう会社にするため、社員に理念を浸透させることのできる方法としてクレドが非常に有意義だと私は思うのです。
吉田:私もそう思います。実は、昨年末から当社にクレド実施についてのお問い合わせを多くいただくようになりました。その訳を考えてみると、この厳しい時代にこそ内部体制を強化し、社員教育に力を入れようと考えている企業が多いということなのではないかと思うのです。創業の原点に戻り、その思いを込めた企業理念を強化し、社内に浸透させるというムーブメントが起きているのだと考えられます。
渡邊:そうなんですか。吉田社長が今おっしゃった創業の原点という言葉を聞くと、私はワコールの創業者、塚本幸一さんの言葉を印象深く思い出します。塚本さんは、第二次世界大戦中55名の部隊で向かったインパール作戦の中で生き残った3名のうちのひとりでした。そんな境遇で、自分はなぜ生き残ったのかを自問自答なさったそうなのです。その結果、自分が今こうしているのは自分の力以外のものから生かされているという感覚になったと。もっと言えば、生かされているとしか思えなくなった。自分が生かされている使命感がベースとなって、その後創業したワコールの経営理念が生まれているんですね。
我欲ではない使命感がベースになっている理念であれば、たとえ自分の収入がゼロになっても、その事業を続けられるという確かな踏ん張りがきくと思います。目の前の利益、特にお金が根本にあって理念が生まれると、世の中の現象に大きく左右されて、あらゆることに振り回されてしまうと思うのです。
吉田:確かにそうですね。私も数々の経営者の方とお会いして思うのですが、皆さん個人ではそれぞれ非常に熱い思いで理念を作られています。またその一方で、塚本さんや松下幸之助さんらに代表される経営の先人たちの言葉を鵜呑みにしたような企業理念を持っている企業も多くあります。そうした経営者の方は、せっかくご自身で熱い思いをお持ちなのに、それを自社の理念に生かせていないのです。
私たち日本クレド株式会社は、「何のために仕事をしているのでしょうか?」と問いかけることからはじめます。その点を考えなければ、経営者の言葉や思いがこもった自社オリジナルの理念を作ることはできません。それにそのようにして作られた理念でなければ、社員に理解させ、行動に結びつけることはできないのです。
理念の浸透には「客観的な視点=クレド」が必要
渡邊:本当にそう思います。社長の思いを浸透させるというのは、とても難しいですね。私自身もそれは実感するところですよ(笑)。
われわれの企業の理念は「価値観の伝達」というのですが、これは『講演依頼.com』事業を始めて、講演会に講師の先生に同行する中で、私がはっと気づいたことから生まれました。同じ講演を聴いているのに、聴講者によってうなずく箇所がそれぞれ違うのです。同じ話でも自分の感性に触れる部分が違うからでしょうね。そのことに気づいたとき、価値観は強要してもだめで、<伝えて>いかなくてはいけないと思ったんです。みんなが同じ感覚でひとつのことをいいものだと受け入れてくれるとは限らない。だから、「どういいのか」、「なぜいいのか」ということを伝える必要があると感じました。われわれはその客観的な視点になるべきだと。そこから「価値観の伝達」という弊社の理念が生まれました。 しかしながら、こうした思いから生まれた理念も同じように客観的な視点がなければ、社員に浸透させるのは難しい。クレドはこの企業理念の浸透のための客観的な視点という役割を担う非常に有効な手段だと思うのです。
吉田:おっしゃる通りです! 正社員やパート、アルバイトに至るまで理念を伝え、共有するには手段が必要です。多くの経営者が、どうやって理念を現場に伝えていくべきかということに悩んでいます。ただ熱い思いだけを文字にしても、上滑りしたものになってしまいます。
企業にとって経営者が熱い思いを生み出すことは、大きなプロセスではありますが、それだけではいけません。決して自己満足ではいけないのです。いかに現場の社員に伝え、共有し、活用するか。すなわちどれだけ業績に向かって行動できる社員を作り出せるかがもっとも大事なことであり、理念を共有させる本来の目的です。その為の手法のひとつがクレドなのです。
渡邊:そうですね。クレドを作成してからの部分も難しい。でも、重要な部分なんですよね。
吉田:本当にそこは難しいですね。クレド(「CREDO」:ラテン語で信条、志、約束の意味)は、一見すると企業理念が書かれた名刺大ほどの小さなカードです。高級ホテルを世界で展開するザ・リッツ・カールトン・ホテルや医薬品大手のジョンソン・エンド・ジョンソンが自社の企業理念をそう呼んで、高業績の原動力として活用していることで、数年前から有名になりました。クレドの目的は、いきいきとした組織風土をつくり、業績向上に寄与する社員を育てることです。しかし、そのカードは、単純に企業理念を羅列しただけのものではありません。その点が、一番みなさんにお分かりいただきたいところですね。
クレドは価値基準とスピード感を与える
吉田:現場の社員が理念を理解し行動するためには、ふたつの動機付けの要素が必要です。 ひとつめは「理念を守ることで業績はよくなる」ということ。ふたつめは「理念を守ることで、自分の仕事が楽しく、意義のあるものになる」ということです。このふたつを社員に向けてきちんと解説することが、とても重要です。理念やクレドというものは、宗教や道徳、倫理の教科書ではなく、企業の業績向上と自分たちの仕事の有益性に直結するメリットがあるということを理解してもらうのです。そうでなければ社員は動きません。
渡邊:確かに自分にメリットがあるのとないのとでは、行動への真剣さやスピードが違いますよね。
吉田:そうなんですよ。例えば、「誠実であれ」という言葉をいつも投げかける社長がいたとします。ただそれだけでは、社員として何をどのように行動することが誠実なのかということがわかりません。誠実に行った行動が、いかに企業の業績につながりお客様が喜んでくださるのかを<絵解き>してあげるのが、クレドの役割なんですね。
渡邊:そのクレドが果たす役割の例として、吉田社長のご著書の中にいいエピソードがありましたよね。クレドを活用しているスーパーで、お客様が買ったばかりの卵を割ってしまった。それを見た従業員がすぐ新しいものと無料で交換して差し上げたという部分です。そのスピード感は、まさにクレドの<絵解き>によるものなんですね!
吉田:そうそう、そのエピソードはいい例になりますね。 そのスーパーのクレドには、「お客様の不快、不満、不信をなくすことが、私たちの仕事です」と書いてあるだけで、当然ながら卵が割れたときの対応マニュアルなど一切書かれていません。例えばこのときこの従業員の方が、上司に卵を無料で交換しても良いかとの確認作業を行っていたとしたら、その間にお客様は帰ってしまったかもしれません。従業員がクレドに書かれていることを自分なりに<絵解き>をした結果、こうした行動になったのです。 この行動を起こしてお客様に感謝をいただいた従業員の方は良いことをしたことで気分もよくなり、またそのお客様は卵を交換してもらった行動に感謝をし、このスーパーに対してまた来店したくなる気持ちが強くなる。このように理念と行動がスピード感をもって繋がるための手助けが、クレドだということもできますね。
この従業員の方は、クレドに書いてあることを実行に移したのではなく、クレドの言葉を自分で考えて自分なりの行動をしました。クレドは行動するための指針ではなく考える指針、つまり<価値基準>です。自分たちには何かできるのだろうというボトムアップを生み出し、羅針盤として自分たちの仕事の味方になってくれるのです。
渡邊:現場でいかにスピード感を持って対応できるかということは、とても重要なことですよね。それがお客様の満足にダイレクトにつながっていきますから。
吉田:そうですね。このスピード感や自分たちには何ができるかという現場からのボトムアップを生み出す方法として、社内コミュニケーションの重要性を挙げる方も多くいますが、クレドがあるだけで会話のきっかけ作りにもなりますよ。また、社員の退職、転入などの入れ替わりがあっても、びくともしない企業が出来上がるのです。
ありがとうの声が動機付けになる
渡邊:それはとても心強いことですよ!そのクレドの効果をさらに発揮させる方法で、吉田社長が行ってらっしゃる「サンクスボイス」というのがありますよね。私は、とても興味を持っているんですよ。
吉田:ありがとうございます。サンクスボイスは簡単に言えば、「ありがとうの声」です。お客様をはじめ、自社のステークホルダーとやりとりした感謝の言葉と、そのとき社員がとった行動をクレドに照らし合わせて、社員全員で共有するためのツールのことです。ステークホルダーとは、一般的には自社のお客様、社員、取引先、地域社会、株主の5つの立場の方のことで、辞書には<企業利益の共有者>とあります。私は、<私たちの仕事に影響を与え合う人>と説明しています。ですから、ここに家族やライバル会社を加えることもあります。 このステークホルダーに対して責任を果たし、満足していただく、感謝していただくということがクレドの本質です。そしてその行動が、結局は企業の業績を上げることにつながるということをこのサンクスボイスで解説するのです。
理念が浸透しないと悩んでいる企業様には、まずはステークホルダーを確認することをお願いしています。それによって、誰に対してどのような具体的行動をとるのかということが、わかりやすくなります。クレドというツールを使って、そこから生まれた「ありがとうの声」を集めることで、経営者が話していたことはこういったことなのかと社員たちは気づくことができます。またステークホルダーの満足を追求する行動に情熱をもてるようなり、そうしたクレドに準じた行動が、自然とボトムアップとして発生してくるわけです。トップダウンとボトムアップの両方が生まれ、はじめて双方が向き合える瞬間が生まれるんですね。 お金のことを考えているだけでは、できないこともたくさんあります。いかに自社のステークホルダーに満足を与え、そのリターンとして自分たちへの感謝をいただくか。その<循環>ができたとき、自分たちの仕事の意義や存在価値が感じられ、さらに前向きに仕事に邁進することができます。
渡邊:その通りだと思います。業績を上げるという欲も大切ですけれど、強欲は良くないですね。そうなると相手から奪うという発想につながりますから。逆にお金がないのに理念だけがあるというのも成立しない。お金をもらいながら、なぜこの仕事なのかという理念も必要。両輪があってこそ、人は動きやすくなるんですね。それがわかれば、目の前の事務作業やマナーひとつにもその行為の先にある<循環>の価値を見出せて、やる気にもつながると思うんです。すべての場面で何のために働いているのかという根本の部分を理解し、自分のなかに落とし込んでもらいたいと思います。この市況だからこそ、一丸となりたいですからね!
吉田:本当にそうですよね。いかに自身を奮い立たせて熱くなって働いてもらうかというときに、是非サンクスボイスを活用してもらいたいですね!ありがとうと言われ、自分の存在を認めてもらえる動議付け。今更「ありがとうの声」なんて古臭いという考えもあるでしょうが、私たち日本クレド株式会社のお客様はこの考えに立脚し、この厳しい時期でも素晴らしい業績をたてていらっしゃいます。それだけではなく、地域社会になくてはならない存在として活躍されています。やはりそうした事実を信じて、私たちも経営者と社員、そしてステークホルダー全てにメリットを与えられる普遍的な存在としての企業理念づくりと浸透のお手伝いをしていきたいと思います。
文:馬場真由香 写真:上原深音
(2009年4月 株式会社ペルソン 無断転載禁止)
吉田誠一郎()
組織と個人の間に「信頼」というベクトルをつなぐのが、クレド:企業理念です。 多様な考え方・価値観をもった個人がそれに共感し、 組織内で多大なパワーを発揮するためのツールです。 私たち日本クレド株…