競争が激しく、生き残りが厳しい外食業界において、国内外に60店舗を構え、創業35周年を迎えたお好み焼き「千房」。その経営手腕だけでなく、社会教育家として人材育成にも注目が集まる中井社長に、「千房」を創業するまでのエピソードと、その経営理念にこめられた想いをうかがった。
「千房」創業のきっかけ
私は中学を卒業してすぐに、奈良の田舎から兵庫・尼崎の乾物屋へ丁稚奉公に出されました。実家は農家で兄妹は7人。家が貧しかったので、とにかく商売人として自立を目指さなければならなかったんです。とはいっても、まだ15歳。大家族の生活から、いきなり見ず知らずの土地で生活するわけですから、故郷が恋しくて恋しくて仕方なかった。何度も「辞めたい」、「実家に帰りたい」と泣き言をこぼしていましたが、父親からは「何があっても1年間は帰ってくるな」と言われていましたし、母親からも泣きながら「石の上にも3年。辛抱しなさい」と説得されていました。なんとか厳しさに耐えながら頑張っていましたが、実家を出て半年が経った頃、父が病気で亡くなりました。危篤の知らせを聞いて急いで実家へ戻ったのですが、最期の瞬間に立ち会うことはできませんでした。父は最期まで「政嗣はまだか」と私の名前を呼びながら到着を待っていたそうです。 厳しさや苦しさにはなんとか耐えることができましたが、「寂しさ」には耐えられないと身をもって知りました。特に父は慈愛に満ちた人でしたので、この時の辛さは今でも忘れません。そこから本当の意味で「早く一人前にならなければ。自立しなければ」という想いが強くなりましたね。
丁稚奉公先の乾物屋では5年間お世話になり、次は、姉の夫が経営する洋食レストランでコックの修行を始めました。この義兄からは本当にいろいろなことを教わりました。調理人としてのイロハはもちろん、お金のことや経営のことまで。教わった言葉は今でも覚えているほどです。その義兄がある日、電柱に貼ってあったビラを見て「お好み焼き屋で独立しろ」という話を持ってきた。老夫婦が敷金・保証金なしで後継者を探しているというのです。私は西洋料理のコックを目指していたので、「なんでお好み焼き屋なんかやらなきゃいけないんだ」と断りました。お好み焼きを食べるのは好きでしたが、自分が商売にするなんて考えもしていませんでしたから。でも義兄から「独立したいなら、体で経営を覚えなさい」と諭されましてね。当時すでに結婚していたので、妻と二人で大阪・長居でお好み焼き屋「喜多八」を引き継いだんです。
ところが独立して6年目。店がようやく軌道に乗り始めた頃に、大家さんから「悪いけど年内いっぱいで店舗を明け渡してくれ」と契約解除の話が来ました。当初から、敷金・保証金なしの代わりに、家主が必要な時はいつでも出て行くというのが条件だったんですね。そこで次の店の物件探しに奔走しました。前々から、梅田やキタ・ミナミといった繁華街に店を出すことを夢見ていたので、不動産屋さんに相談したところ、千日前のビルの2階が空いていると。ただし、初期費用で3500万円が必要だと言われました。金額を聞いて天を仰ぎました。なにせ当時の貯金は80万円しかなかったのです。ところが当時、取引のあった信用組合の理事長さんが、「500万を値引いてきなさい」と。そうすれば担保なしで3000万円を貸してくれるというのです。まさに地獄に仏、でした。
あとから聞いた話なのですが、私が出前に出ている時、店を訪れた理事長さんに妻が私の金銭出納帳を見せていたらしいんです。私は、「早く自立するためには、お金を貯めなければ」と、丁稚奉公時代からお金の収支を欠かさず記していました。それこそ、10円拾ったとか、散髪した、とか、細かいことまでしっかりと。理事長さんはそれを見て、「どんな担保よりもすごい裏づけだった」と仰ってくれました。 そういった多大な支援を受けて、1973年、ミナミの千日前に「千房」1号店が誕生したのです。
経営理念はどのようにして生まれたのか
◆社訓
出逢いは己の羅針盤
小さな心のふれあいに己を賭けよ そこから己の路が照らされる◆経営理念
創業の目的を忘れることのないよう心掛け「マナア」の心を基盤に置き
将来にわたり堅実な会社運営を行う【マ】真心 思いやりと奉仕の心
【ナ】仲間 信頼と友情 そしてファミリーの心
【ア】味 食哲学の革命 それは味に楽しさを盛り込んだ心
社訓と経営理念は、千房を株式会社化する時に私が決めました。企業が「国」だとしたら、当然、国民をまとめるためには「憲法」が必要だろうと。まず、ほかの企業の社訓や経営理念をたくさん見てみましたが、どれもいまいち分かりづらい。ですから、従業員に伝わる言葉で作ろうというのが大前提でした。
まず社訓にある「出逢い」ですが、これは「出合い」とも、「出会い」とも意味が違います。「出合い」は偶然、かつ瞬間的なもの。「出会い」は、お互いが会いましょうと約束したもの。「出逢い」というのは、<出合い>や<出会い>を経て、「あなたに逢いたい」という人の想いが込められたものです。一つひとつの小さな「であい」を大切にすることで、それが「出逢い」に発展する。そして「出逢い」が自分自身を成長させ、己の歩む道を教えてくれる。このことは私の経験から実感したことでもあるんです。
私自身、たくさんの出逢いによって「千房」が生まれたと思っています。丁稚奉公ではまず忍耐というものを覚えました。義兄のレストランでは、調理人として一から叩き込まれましたし、「喜多八」では商売のなんたるかを体で学びました。人間ひとりの力で出来ることなど、たかが知れています。でも、たった1つの出逢いで人生が大きく変わることがある。ですから私も含め、千房はこの「出逢い」を大切にして成長していこうという想いを社訓に込めているのです。
経営理念については、創業当時のキャッチコピーがベースになっています。それは、武者小路実篤の「共に咲く喜び」という言葉です。創業当時はわずか5名の従業員しかいませんでしたが、人を使って経営をしている以上、社長だけが幸せではいけないと思いました。みんなが幸せにならなければ意味がない。そう考え、仲間意識を大切にするという意味でこの「共に咲く喜び」をスローガンに掲げていたんですね。経営理念はこの創業の目的を忘れることのないよう、ということが大前提になっています。
さらに、理念の核となっているのは「マ・ナ・ア」の「ナ」。仲間意識、ファミリーの心です。私は丁稚奉公時代に家族と離れ、父親を失い、寂しさを知りました。貧しい家でしたが、慈愛に満ちた両親に愛情いっぱいに育ててもらいましたので、より一層、家族の温かさが身に染みました。ですから、この<ファミリーの心>は、創業当初から物凄く強調している点なのです。
大阪弁で「逢(お)うたが因果」という言葉がありますが、私は出会う人には皆、何かしらのご縁があると思っています。大阪風に言えば、「もうあんたとは因果やんか、しゃあないやんか」といった感じ。大きく言えば、人類皆兄弟です(笑)。これは、従業員同士だけではなく、お客様、業者・従業員の家族、友人など、千房に関わる全ての人が含まれます。それに、一人の人間を大切にするということは、その背後にいる多くの人を同時に大切にしていることにもなると思っています。だから従業員には常々、「家族や友達を大事にしなさいね」と言っています。普段の生活の中でできないことを、仕事でできるはずがありませんからね。
社訓も経営理念も、それによって従業員の動きを管理・制約するものではありません。同じ志のもと、全員が目指す方向を示すためのものという位置づけです。社訓や理念が根幹にあれば個々人のやり方は問わない。ですから千房には接客マニュアルというものは存在しません。その代わり、従業員には常々、「やらかす千房」を合言葉にしています。大阪弁で「やらかす」とは、「失敗する」、「ヘマをする」といった意味ですが(笑)、千房では「『や』わらかな発想で、『ら』しさを大切にして、『か』んがえたことは、『す』ぐにやる!」を意味しています。決まりきったマニュアル通りに接客していても、柔軟な発想やアイディアは出てきませんし、千房のオリジナリティは育ちませんからね。
経営理念を社員に浸透させるために
社訓も経営理念も、文字にして唱和することが目的ではありません。実行することで、初めて意味を持ち、光輝いてくるもの。ですから、実行という点では徹底しています。
例えば、千房では従業員をクビにするには社長の許可がないとできません。店長がいくら「クビにしたい」と言っても認めない。「クビにするなら、経営理念にある<ファミリーの心>を抹消しなさい」と言います。だって出来が悪いからといって親が子供を見捨てますか?親はいつでも子供の味方ですよ。それが、まさに<ファミリーの心>。単に皆で仲良く・楽しくということだけではないんです。
あるいは、アルバイトの子の親がサラ金で180万円の借金を抱え、その子の給料までもが差し押さえられることがありました。店長に勤務態度を聞くと、「あの子はまじめに働いてくれています」と言う。それなら会社が肩代わりしてあげなさいと指示しました。毎月の給料から、無理のない程度に差し引き、完済するまでに3年ほどかかりましたかね。でもその後、そのアルバイトの子は社員になりました。
ただ、こういう例をお話すると「千房はなんでもありですか?」と聞かれますが、うちは更生施設ではありません。ファミリーといえども企業ですから、ちゃんと上司の言うことを聞いて、真面目に働いているからこそ見捨てないんです。ただ、このことで、ほかの従業員がどれだけ安心したか。「アルバイトであっても千房は見捨てない。頑張ろう」と。だから1人に対してやっているように見えて、実はスタッフ全員にしていることに値するんですね。何があっても絶対に見捨てない。この姿勢を貫くことによって、身を以って経営理念を現場に浸透させているのです。
それから創業当時から続けているのが、毎月の手書きのメッセージ(※写真参考)です。給料日に毎月、全従業員に配っています。一方通行ではありますけれど、スタッフの数が増えて一人ひとりと話すことができないので、「社長ってこんな人なんだ」、「こんなことを考えているんだ」ということが、じわーっとでも伝わればいいなと思って続けています。それこそ、一人ひとりに語りかける気持ちで、正直に書いています。パソコンやメールなど、いろいろと便利な時代になってきていますが、こういった、いわゆるアナログの部分を大切にしていきたいですし、それが人の心を打ち、届くものなのだと信じています。
“創業の精神”をリレーすることが企業の成長に繋がる
千房もお蔭様で創業36年目に入りました。大阪の千日前に始まり、現在ではフランチャイズと海外店舗も含めて60店を展開しています。従業員たちに「千房の良いところはなんですか?」と聞くと、ほとんどが「家族」、「ファミリー」と答えます。また、お客様から従業員へのお褒めの言葉を頂くと「ああ、理念が浸透しているな」と感じます。従業員に逢いたくて何度も足を運んでくださるリピーターのお客様もいらっしゃいますし、従業員同士が仲良くやっているのを見ると本当に嬉しくなります。社訓も経営理念も、創業時に私が考えたものではありますが、今では従業員の中でそれぞれの形で根付いると感じる瞬間ですね。
私は企業経営を「駅伝」と捉えています。決してマラソンではない。タスキを繋いでいくことが重要なのです。 経営理念はいわば、“タスキ”ではないでしょうか。もちろん、それを表す言葉が古くなったら、伝わる言葉に代えてもいいでしょう。ただ、核となる創業の精神はきちんと伝えて、守っていってもらわなくてはならないと考えています。
経営理念は、言葉にして掲げるだけでなく、現場に浸透して初めて機能します。「これが我が社の理念だ」としたところで、それだけではあまり意味がない。ですから、浸透させるための行動は怠ってはならないですし、徹底して行なうことが重要です。従業員が同じ志のもと、同じ方向を目指す。この姿勢こそが企業の成長や発展に繋がると、私はそう考えています。
文・写真:上原 深音 (2009年3月 株式会社ペルソン 無断転載禁止)
中井政嗣なかいまさつぐ
千房株式会社 代表取締役
中学卒業後、乾物屋へ丁稚奉公し、商売人としての第一歩を踏み出す。自ら金銭出納帳をつけ、給料にはほとんど手をつけずに、独立を目指して資金を貯めた。この10代の頃からの堅実な金銭感覚を銀行に信頼され、開業…
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