昨年末、まさに、2010年の幕を閉じようとしているとき、二日間連続して身近な人が他界しました。この世を去った二人は共に親戚ですが、一人は、癌を患い、51歳という若さで亡くなりました。年末に、まして二日間連続で二人の身近な人を亡くすという悲しい経験の中において、私自身にとっての2011年は、まさに人間の「生」と「死」について哲学することでその幕が開けました。
そもそも、私たち人間は、普段、何不自由なく生活していると、「生きていられる」ということに対して無頓着になる傾向にあります。例えば、私たちは、健康であるときには「健康であることのありがたさ」に対して無頓着・無神経になってしまいますが、病気になると、改めて「健康の尊さ」について再認識するものです。「健康でいることは当たり前の事実ではない」、そして、「”健康で生きていられること”も当たり前の事実ではない」ということは、毎日幸せに暮らしている私たちにとっては、”何らかの緊急事態”が起らないと、なかなか真剣に考えようとしないことなのだと思います。
仕事人生において、「働く」ということは、即、「生きる」ということです。逆に述べるならば、「生きる」ということは、「働く」ということでもあります。
田舎の風景や働く農民の姿を描いたバルビゾン派を代表するフランスの画家、ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)は、作品において、「一個の人間が汗を流して働くことの尊さ」、即ち、「労働の尊さ」を表現しました。私の仕事場である銀座書斎には、ミレーの代表作の一つである「馬鈴薯植え」が飾られてありますが、書斎を訪問する方々の中には、しばしば、じっくりとこの絵画を鑑賞し、自分自身の「生き方」「立ち位置」「人生観」「価値観」等を出発点とし、人間にとっての「労働の尊厳」について深い思索を試みています。
思うに、「一個の人間が汗を流して働く」ということの尊厳について”確かな実感”として深い理解を得るためには、それなりの人生経験を積むことが必要不可欠でしょう。例えば、かりに若い世代の人間が”理屈”として「人間の労働の尊さ」を知っていたとしても、それは”想像の域”としての認識です。世の中には、多種多様な人生経験、あるいは、数々の困難や辛苦を実体験しなければしっかりと理解できない境地や事物がたくさんありますが、人間は、それらについて自分自身の経験を通して少しずつ学ぶ一方、同時に、親や人生の先輩、職場の上司などからも学ぶ機会があるわけです。一般に、「子供は親の背中を見て育つ」と言われますが、会社組織においては「社員は上司の背中を見て育つ」というのが理想であるといえます。
読者の皆さん、今回は是非、「一個の人間が汗を流して働く」ということの意味・価値について深い思索を試みてください。特に、この問題は、新入社員や若手社員を対象とする社員教育(研修)において極めて重要な意味を成す問題となります。
社員教育(研修)において「一個の人間の”労働の尊厳”」について多角的に再考することは、「部署内におけるチームワーク力」を強化することに直結するばかりでなく、必ずや、国内・海外で会社が取り組むすべてのビジネスにおいて相当な威力を発揮します。
原点に戻るならば、そもそも「ビジネス」という代物は、規模の大小にかかわらず、そのすべてが「個々の人間の汗の一滴一滴」で成り立っているもの。一個の人間が労働で流す”一滴の汗の重さ”を哲学することは、究極的には、「商行為としての”ビジネスの本性”」を達観するための重要な足掛りとなるものであると私は捉えます。
生井利幸なまいとしゆき
生井利幸事務所代表
「ビジネス力」は、決して仕事における業務処理能力のみを指すわけではありません。ビジネス力は、”自己表現力”であり、”人間関係力”そのものです。いい結果を出すビジネスパーソンになるためには、「自分自身を…
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