テロとの戦い最前線と呼ばれるパキスタン。そこで暮らす子供たちの声を聞いた。パキスタンの学校の中をのぞいてみると、そこには日本の教育事情とは全く異なるカリキュラムが組まれていた。
マドラサと呼ばれる宗教学校。この学校はイスラム教の国々では一般的であり、イスラム教徒として生きるための知恵、哲学、道徳、歴史、一般教養などの知識を習得する。子供たちは床に座り込み、コーランと呼ばれるイスラム経典を読み込んでいく。顔を前後に振り子のように揺らしながら音読を繰り返す。宗教という存在が絶対であり、子供たちの教育そのものがイスラム教によって成り立っていた。
そんなイスラム教育事情の中でも、若者たちの文化には変化がみられる。首都イスラマバードの洒落たレストランでは、地元の若者たちがカフェを楽しんでいた。学生たちの風貌やファッションからはイスラム色が消え、女性はサングラスやパンプスをはき、男性たちも欧米風のシャツを着こなしていた。お茶をしながら音楽、恋愛、ファッションを語り、政治や経済まで幅広く自分の意見をぶつけ合う。言葉も母国語ではなく英語を使っていたことが印象深い。逆に同じ若者同士でも保守的な方々はひげを伸ばし、イスラム教の教えを大切にする。若い世代がそれぞれの意見を主張する。新世代パキスタンが姿を見せ始めていた。
不安定な国内情勢、テロリストによる混乱、大地震や洪水で家屋を失った国民たち。直面する現実に希望を見いだすことは難しい。だからこそ家族で、兄弟で、地域で生き延びるために手を結ぶ。村の路地裏で遊ぶ子供たちは貧しくとも力強い笑顔を浮かべていた。兄弟同士で小さな子供たちの面倒を見る、食料は地域でわけあい、教育環境も村全体で整えていく。子供たちは働き、そして勉強する。そこには塾も部活もテレビゲームもなかった。村の仲間同士で助けあうこと。パキスタンの伝統が今もここに流れ、その慣習を次世代に引き継いでいた。礼拝所のモスクでお菓子を買う女の子たちに出会った。動乱の続くパキスタンでも子供たちの表情は確かに輝いていた。
渡部陽一わたなべよういち
戦場カメラマン
1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…
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