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2011年05月25日

夢追人として生きる ~東京の母に誓う~

 風薫る季節、5月は5年前に結婚式を挙げ、披露宴を開いた月です。なんだか新婚当時を思い出す季節でもあります。結婚5年目を木婚式というそうです。やっと樹木のようにまで成長したということでしょうか。硬度は金属や宝石には及びませんが大地に根をはり、天に向かって幹を伸ばし、年輪を重ね枝葉を広げていると思うとうれしくなります。台風にも負けないしなやかな大木へと育てていきたいと決意を新たにしました。そして、英国のエリザベス女王夫妻のようにダイヤモンド婚式が迎えられるよう幸せで健康でありたいと強く願います。

「東京のお母さんとの別れ」
 そのような中、先日大変悲しい知らせが入りました。去る4月21日に元キャンディーズのスーちゃんこと、女優田中好子さん(享年55歳)が急逝されました。ぼくと好子さんとの出会いは2002年夏のことでした。映画「夢追いかけて」の製作記者会見の時でした。この映画は同作の拙著を原作とした実話を基にして製作された映画であり、ぼくも本人役で出演させていただきました。この映画において、純一の母親を演じて下さったのが田中好子さんでした。以来実の親子のようにお付き合いさせていただきました。講演会の講師依頼が増えてきたのも、この映画のおかげといっても過言ではありません。
映画が公開された2003年は休職して大学院にて学んでいる時期でもありましたので、東京にて生活をしていました。文字通り東京のお母さんとしてお会いする機会も多かったです。そのような場においていろいろな事柄について相談にのっていただきました。アテネ(2004年)・北京(2008年)の両パラリンピックに出場すべきか、先に述べた結婚、それにいいたるまでの恋愛など…あらゆる悩みに対して母のように温かくアドバイスをしてくださいました。披露宴にもご出席いただいたのが昨日のようでもあります。

「お母さんの後姿」
 ぼくは東京の母である好子さんから多くのことを学ばせていただきました。中でも以下に挙げる2つは大きな影響を受けました。それは「気配り」であり「プロ意識」でした。
 多くの方がおっしゃっているように好子さんはだれに対しても気配りされている方でした。ぼくと一緒に食事をすれば、お皿やスプーン、フォークの位置をぼくの手をとって教えてくれ、コップが空になればお水をついでくれました。それは本当に自然体そのものであり、無意識の気配りでした。このような姿から目配りはできなくても、さりげない気配りができる教師として復職したいと思うようになりました。
 また、好子さんは女優として撮影に入る前に自分の台詞はもちろんのこと、全ての台詞を覚えていました。そうすることにより、自らの演技が深まると考えておられたようでした。ぼくは中学教師として働いているころ、子どもたちの声と名前を記憶していました。子どもたちの自己紹介を録音し、繰り返し聞くなどして声と名前とを一致させ覚えたものでした。それをすごい努力だという方々がおられますが、ぼくにはそのような思いは全くありませんでした。それは好子さんの仕事にかける思いを目の当たりにしていたからです。その努力からすれば、担任の教師が声で名前を覚えること、授業であつかう教科書のページを覚えることなどはプロとして当然だと考えていました。好子さんの後姿は、仕事に対する責任というものを教えてくれました。

「お母さんとの約束」
 映画「夢追いかけて」のプロモーション番組で好子さんがぼくのことについて次のように話してくれていたのを思い出しました。それは「純一から挑戦し続けることを忘れないということを教えてもらった」というコメントでした。
ただただ自分の夢を叶えようと生きていることを素直に評価していただいたこと、障害の有無、目が見えるか見えないかは関係なく夢を追いかけ前進する生き方を見てくれていたことが何よりうれしかったです。最も手のかかる息子ではありましたが、自慢のお母さんであり、ひまわりのように周囲を明るくしてくれるお母さんに一歩でも半歩でも近づけるよう頑張っていかなければならないと思っています。
 4月25日、春らしいさわやかな陽気に包まれながら好子さんは天国へと旅立たれました。告別式に参列してご本人のお声でのメッセージを聞き、これまでのことが走馬灯のごとく駆け巡りました。そして、「天国から皆さんのお役に立ちたい」というメッセージを聞いて、人生の終焉が近づきつつもこのような夢をもたれていたことを知り、ぼくは驚くと共に息子の1人として何かしなければと強く思いました。
だからこそ、ぼくはまだ夢を追いかけているのだと思います。そして、夢を実現するために生きているのです。これからも夢追人(ゆめおいびと)の1人として、ぼくは夢のもつパワーについて、どうすれば夢がかなえられるかを天国のお母さんの分まで伝え続けていく使命があると思っています。その手段としては講演会、文章、水泳などを通じてということになるでしょう。1人でも多くの方々に伝えていきたいと思っています。それがぼくに今できることだから。こちらのコラムもその場の1つと考え、これからも精一杯頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。
 このことを天国のお母さんと硬く約束いたします。溢れる思い書ききれない気持ちを心に留め、謹んでご冥福をお祈りしペンを置きます。

河合純一

河合純一

河合純一かわいじゅんいち

パラリンピック競泳 金メダリスト

生まれつき左目の視力が無く、少しだけ見えていた右目も15歳で完全に光を失いました。それまで見えていたものが全く見えなくなることは中学生の私には大きな衝撃でした。しかし、私には幼い頃からの二つの夢があり…

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