「花火大会と水泳大会」
7月の第1土曜日は、ぼくにとって2つの意味ある日でした。
1つは海開きです。ぼくが住んでいる浜松市西区舞阪町の弁天島海浜公園の海開きを祝って花火大会が行われるのです。数々の花火が大空に広がる様子、圧倒的な破裂音、心の中にあったもやもやとしていたものが吹き飛ばされてすっきりとしたという感覚になります。
その花火大会は東日本大震災の被災された方々に配慮して本年は中止ということとなりました。がっかりとしている方々も多いはずです。ぼくは間違いなくその中の1人です。
そして、もう1つは水泳の地区大会です。中学生時代や中学教師をしていた時の思い出でもあります。この地区大会は、次のブロック大会、県大会、そして東海大会へとつながっていく大切な大会です。大会には選手も指導者も目標をもって臨みます。その目標を達成するために練習に没頭したものでした。どうして、あそこまでのめりこむことができたのか…考えてみました。
「なぜ、ぼくは今もなお泳ぎ続けているのか?」
前回までは子育てや教育にたずさわっている方々に向けての思いを書いてきました。今回からはビジネスマンの方々へ仕事で役立つポイントを書いていきたいと思います。
今回は「やる気」と「目標」です。人はいつやる気になるのか。自分自身の課題でもありますが、自分の水泳を通じて振り返ってみることで皆さんに何かヒントをお届けできればと思います。
「バルセロナパラリンピック(1992年)」
中学校までは地元の公立中学校にて学んでいましたが、15歳(1990年)に失明しました。その直後、東京の盲学校へ進学をしました。そこで出会ったのがパラリンピック出場という目標でした。17歳、高校2年生にして初の海外旅行でした。大会出場というよりもまだ海外に初めていける喜びが大きかったです。マスコミからの注目はなく自分らしく泳ぐことができました。おかげで銀2、銅3個のメダルを獲得することができました。しかし、金メダルが取ることができなかったという悔しさもありました。
「アトランタパラリンピック(1996年)」
ぼくはバルセロナパラリンピックでの忘れ物を取りにいくため、アトランタパラリンピック出場ではなく、金メダル獲得を目標としました。この目標を達成するために大学時代があったといっても過言ではありません。大学3年生(21歳)の夏、多くの方々のサポートにより、アトランタにて金2、銀1、銅1のメダルを獲得することができました。
「シドニーパラリンピック(2000年)」
アトランタにて金メダルを取ったことにより、シドニーパラリンピックというものへの思いは一時、薄れたこともありました。しかし、教師となり、子どもたちに水泳を教えていると自分もまだまだ泳げる。泳ぎたいという欲求が強くなってきました。そして、生徒から「先生シドニーに行かないの?」「金メダル取ってきて!」という声に背中を押され、練習に取り組みました。仕事をしながら世界一を目指すというのは本当に大変なことでした。しかし、一緒に世界一を目指す仲間の存在が大きかったです。この大会でぼくは日本選手団の主将、水泳チームのキャプテンとなったのです。そして、個人としての金メダルだけでなくリレー競技での金メダルを目指したのです。結果はリレーでは当時の世界新記録で金メダルを取ることができました。この金メダルを含め、金2、銀3という結果でした。そして、生徒たちの期待にも応えることができたのです。
「アテネパラリンピック(2004年)」
2大会連続の金メダル、リレーでの世界新記録という目標を達成していたぼくにとって、アテネパラリンピックを目指すためには覚悟が必要でした。世界のレベルは上がり続けていく中、このまま仕事をしながらで太刀打ちできるのだろうか。大きな不安がありました。そのような中、休職して大学院への進学を決意しました。研究と練習との両立にチャレンジしたのです。29歳、スポーツの聖地であるギリシアのアテネで世界の頂点に立つため、練習に邁進していきました。結果は金1、銀2、銅2という結果でした。50メートル自由形では3連覇を達成することができました。
また、シドニー後に拙著を原作とした映画「夢追いかけて」が完成しました。ご覧いただいた多くの方々からの声援にも応えたいという気持ちも強くなっていたことも自分をアテネへといざなったのだと思います。
「北京パラリンピック(2008年)」
アテネ大会で個人としてはやれることをやりきったという達成感のようなものがあり、北京パラリンピックはどこか他人事のような思いがありました。しかし、いつまでたってもパラリンピックの報道は変わらず、選手や関係者の環境は厳しさを増していました。このことを伝えていかなければならないと思った時、選手であることが一番メッセージが発信できるのだということを再認識し、33歳での出場を目指しました。アテネ後、教員として復職していましたが、北京の年には県の総合教育センタ-で教職員の研修を担当していました。職場の暖かい理解もあり、銀1、銅1のメダルを獲得することができました。この時期には静岡県内の小中学校や高等学校、特別支援学校などにて講演をする機会が増えていました。自分が訪問している時間だけでなく、泳ぎを通して、児童生徒へのメッセージを届けられるということも大きな力となりました。
「やる気と目標」
こうやって振り返ってみると、5大会出場時の立場がそれぞれ違うことに気づかれることでしょう。高校生、大学生、教師、大学院生、教育委員会指導主事。それぞれの年齢も違うのですが、同じ環境で同じことを続けていても自分自身の「やる気」につながらないのです。自分が良い環境だと思う状態はとても感謝すべきことですが、人はそのことに対してついつい当然であるがごとく振舞ってしまうものです。であるならば、環境を変えること、変わることにより、さらなる成長のチャンスを手にし自分のものとしていくことが大切ではないでしょうか。環境が変わったり、自分が変わっていくことに臆病になってはいけません。前向きに変わっていくということが成長なのです。環境に対して自分を順応させていったり、自分が変わることで環境を変えていったりすることが重要なのです。
もう1つ気づかれる点があるかもしれません。それはどの大会にも金メダルを取るといった目標はありつつも、それ以上の目的があるということです。同じ目標であ
っても、それを目指す目的が違うことにより、自分自身の「やる気」を高めていたのです。「やる気」を持続させることが何よりも難しいのです。しかし、「やる気」も「目標」もよくよく考えてみれば、自分の中にいつでもヒントが隠されているものです。「目標」への高い達成意欲が「やる気」につながるのですから。
「節電対策?」
次回はぼくが考える「チームワーク」について書きたいと思います。言い換えれば人間関係づくりといってもよいかもしれません。
例年よりも早い入梅はとても早い梅雨明けという結末でした。すでに真夏のような日差しと高い湿度で体調不良を訴えている方も多いのではないでしょうか。過度な節電により熱中症も急増しているようです。十分気をつけてください。
ぼくが個人的にお勧めしたい節電対策は「プール」です。水の中はやっぱり涼しいですから。さらに適度な運動で健康にもなれますよ!
この夏、なでしこJAPANの優勝や世界水泳(上海)での日本人選手たちの活躍に触発され、今日もまたぼくは泳ぎに行くのでした。
河合純一かわいじゅんいち
パラリンピック競泳 金メダリスト
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