暦の上では春を迎えていますがまだまだ寒い毎日です。今冬は大雪による被害が各地で出ており、とりわけ福島、宮城、岩手の被災地にて仮説住宅での生活をされている方々の体調が心配でなりません。
ぼくは静岡県浜松市という温暖な地で生まれ育ったものですから雪に対する免疫が少ないというか…雪が舞うことが年に数回あるぐらいで積もることは10年に1回あるかどうかというところです。ですから雪国に出かけていくと歩き方がなっていないと注意をされたものでした。
路面が雪で踏み固められているといつも情報源としている点字ブロックが分からなかったり、白杖が雪にささったりといつもの道が異次元のように感じられます。さらに寒さ対策で手袋や帽子をかぶり、マスクなどをすると皮膚感覚まで鈍化してしまい、1人で歩くことが怖いなと感じることもあります。ある意味でハード面の限界がそこにはあるのかもしれません。自然という脅威には、逆らえないなと感じています。
障害をもつ人のあらゆる可能性
ぼくにとって、障害ということを直視しなければならなくなったのは、失明した15歳のころでした。それまでは弱視ながらも不自由を感じることはほとんどありませんでした。自分では気付いていなかっただけで両親や学校の先生などが配慮してくれていたからなのでしょうが、ぼくには自覚症状は皆無でした。それが、失明となるとさすがにこれまで通りとはいきません。あらゆる場面で不都合が生じてきました。感覚で校内を歩いていても、予期せぬものが置かれていたことで転んだり、ぶつかったりしてけがをすることが増えていきました。
こういった日常生活での不具合はもちろんのこと、自分の将来についても社会の常識という大波に流されそうになっていました。ぼくは小学校4年生のころから学校の先生になりたいという夢を持っていました。最初は学校の給食が大好きだったことが夢となったのですが…15歳になっても変わることなくその夢を追いかけていました。しかし、失明したことにより、その状況は一変しました。なぜなら、当時視覚障害(全盲)で学校の先生をしているなどという情報がなかったのです。そういったことは中学3年生のぼくよりも担任の先生や両親はよく理解していたと思います。当時は視覚障害者の職業といえば、マッサージをする…というイメージがほとんどでした。つまり、これまでに例がないことに挑戦することを決意した瞬間でもあったのです。しかし、この時のぼくはそのような大それた目標とは全く思っていませんでした。誰もが将来に対する夢や希望とを抱くのと同じものを抱いているだけでした。夢を描くことに障害の有無は関係ないと強く思えるのはこの出発点があるからかもしれません。誰も障害者になりたいわけでもなければ、障害者にさせられてしまうものでもありません。障害者である前に1人の人間としての思いや考えを持つことができるかが大切なのです。障害があるから実現できないだとか、難しいだとか障害を言い訳やできない理由にしていては、前進することはできません。そのことをぼくはこれまでの人生を通じて理解することができたような気がしています。
努力し続けている限り可能性の扉は開かれている
ぼくは楽天的なこともあり、先に書いたような既成概念(障害者は可能性が閉ざされているような考え方)にとらわれず生きているところがあります。そのようなぼくであっても障害による社会的な障壁に直面したことは何度かあります。その例をいくつか紹介したいと思います。
1目は、大学院当時、ある英会話学校に入ろうとしたところ、電話での問い合わせでは問題なかったものの、実際に体験に参加しようとしたら「視覚的な教材が多く全盲の方には対応できない」などの理由から断られました。英会話って目でするの?という疑問が生まれましたし、このような理不尽な差別が存在していることを痛感しました。
2目はある金融機関で商品を購入しようかと考えていたところ、自分で資料の内容が読めない方は契約できないと言われました。代読してもらって対応する、点字の資料を用意する、パソコンの音読ソフトによりデータを読むなどの対応策はないのかと思いましたが、自分の目で読んで理解できることが条件のようでした。つまり、全盲の方をお客として視野に入れていないことは明らかでした。
これらはごく一部です。まだまだ表面化していない障害者差別は21世紀となったここ日本国内にも存在しているのです。
これらの会社や法人は何がよくないかといえば、その社内での基準が一般化してしまい、社会的正義などと向き合うことができていないことです。人間としての血の通った交流ができておらず、杓子定規な対応しかできなくなってしまっているのです。
こういった問題は法的、行政的な指導や対応が求められるところではありますが、誰もが幸せになれるようチャンスを平等にするという観点から再検討していただくことが大切だと考えています。
法的なルールなど決まりを厳しくしていけば問題がすべて解決するわけではありません。これは努力目標だから…などといって、行間の中にすり抜ける道を探すことに躍起になる方々もいるのです。
ぼくはこういった経験を通じて、この国はダメだなと思うよりも、まだまだよくなる要素があると感じています。今はまだ難しいことも明日になれば改善されるかもしれないと希望をもって生きているのです。だからこそ、今の自分にできること、自分がやらなければならないことが見えてくるのだと思います。そして、それを着実に実行していくことが閉ざされていたはずの扉を開けることにつながったのではないでしょうか。
この世の中には様々な問題が未だに存在しています。その中の1つが人権問題でもあります。その解決策はなかなか見出すことはできないかもしれません。しかし、あきらめた瞬間から「ないものとして」扱われてしまうのです。さらにいえば、どのような問題もその解決の糸口はその現場にあるということです。つまり、現実を見つめる目、本質をとらえる目が必要となります。そういった心の目を開き、直視すると共に誰もが幸福感を享受できる社会を見据えて生きていきたいと思っています。
河合純一かわいじゅんいち
パラリンピック競泳 金メダリスト
生まれつき左目の視力が無く、少しだけ見えていた右目も15歳で完全に光を失いました。それまで見えていたものが全く見えなくなることは中学生の私には大きな衝撃でした。しかし、私には幼い頃からの二つの夢があり…
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