子供たちの目が輝いていました。教科書を見つめる目は、ガラス玉のように美しいものでした。ここはインドにある小学校。子供たちが目をランランと輝かせて勉学に励んでいました。この子供たちは様々な事情で両親や家族と離ればなれになってしまった子供たち。地域の支えで子供たちが学べる環境を作り上げ、先生たちはこう声をあげていました。「学校に行こう!」
教室の環境は厳しいものでした。バラック小屋の中の6畳程の部屋に子供たちがところ狭しと床に座り込み、先生のお話を真剣なまなざしでききいっている。
裸足の子供も多く、教科書やノートを持たない子供たちも多い。それゆえに地域や支援団体の方々が一人でも多く教科書をもてるように鉛筆やノートを支援していました。
ここには悲しみではなく大きな声と元気な挨拶、そして笑顔が広がっていました。扉がない教室、机や椅子ももちろんなく、子供たちは床に座ることがあたりまえであると語ります。黒板もボロボロ、電気はなく 窓からさす光で教科書をよむ。誰しもが宿題を発表し、描いた絵を嬉しそうにみせてくれました。
インドでは貧困が教育環境を奪っている現状があり、そこに暮らす方々が地域ごとに資金や情報を共有して子供たちの環境を整えていました。ここでの生活には大きな支障がいくつも立ちはだかっている現実があります。
家族を失うこと、教育環境を奪われること 医療施設が不安定なこと、どれをとっても子供たちに大きな壁でありました。
「環境は変えられる。」そう語る先生たちの言葉は力強いものがあります。そこで育った教育者たちが故郷にもどり学校を支えていく。そこで暮らす方にしかわからない恐怖や不安を知っているからこそ、先生たちはそこに学校の必要性を痛感していました。
授業が終わると子供たちが教室の外に飛び出してきます。先生と並ぶ子供たちの表情は笑顔に溢れていました。子供たちが自由に学べること、自由に仕事を選ぶことができること、これが先生たちの最大の目標であり、強い信念でありました。「貧困が子供たちの生きる力を奪うことを許さない!」力強いインドの先生たちの声がはっきりと聞こえてきました。大国インド、その魅力は先生や子供たちにあると実感しました。
渡部陽一わたなべよういち
戦場カメラマン
1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…