町田相談役が講演~大阪経済大学「北浜・実践経営塾」で
私が教鞭をとっている大阪経済大学では、学外の一般の人を対象に毎月ほぼ1度のペースで「北浜・実践経営塾」を開講している。各業界の実力派経営者をゲスト講師に迎えて、自らの経験に基づいた経営戦略や経営哲学、業界の現状や展望などを語ってもらい、私が毎回コーディネーターをつとめている。
先日開いた講座のゲスト講師は、シャープの町田勝彦取締役相談役だった。町田氏は1998年から2007年まで社長をつとめ、「亀山ブランド」に代表される液晶テレビと液晶事業を経営の柱に育て上げた人だ。
だがシャープは今、世界市場で韓国などにシェアを奪われて業績が悪化、今年3月期決算では3760億円もの最終赤字を出した。このため3月に社長交代を発表し、それに伴い町田氏は会長を退任し取締役相談役となった。また経営立て直しのため、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業との資本・業務提携に踏み切った。この提携を決断したのも町田氏だった。まさにホット・ニュースの当事者の登壇である。
講演で町田氏は、業績悪化の原因、鴻海との提携に至るいきさつ、そして今後の経営の方針などについて、率直に語ってくれた。
町田氏によると業績悪化の原因は、(1)デジタル商品への高いウエート(2)垂直統合の強みが弱みに反転(3)技術への過信――の3つだという。デジタル化とグローバル化の進展によって、どんな製品でも誰でもどこでも作れるようになる「破壊的変化」が起こった。デジタル家電のコモディティー化と呼ばれる現象だ。その結果、液晶パネルからテレビまでの生産を手がける垂直統合モデル、技術自前主義のビジネスモデルが崩壊したと自己分析する。
生産技術水準きわめて高い台湾メーカー
鴻海との関係については「何か商品の組み立て生産を頼もうかなと思ってトップと会ったのが最初のきっかけだった」という。鴻海はEMS(電子機器の受託生産)の世界最大手で、アップルのiPadなど数多くのデジタル機器の製造を請け負っており、シャープも鴻海に生産を委託すればコストを下げられると考えたわけだ。
ところがトップ同士の話し合いを続けるうちに、「この会社は、安い人件費、低コスト生産だけではない」と認識を改めるようになったという。生産量が日本とはケタ違いに多く、しかもその生産力と生産技術の水準の高さに驚いた。トップのものづくりに対する考え方が近いとも感じるようになったという。「このままでは日本の家電事業は衰退せざるをえない。この会社にかけてみようと思うようになった」。こうして、両社の全面的な資本・業務提携へと発展したのだった。
今年3月にまとまった両社の提携は、(1)鴻海がシャープ本体に約10%出資する(2)堺工場の運営会社に約50%出資するとともに、同工場で生産した大型液晶パネルとモジュールの50%を鴻海が引き取る――という内容で、いわば鴻海の助けを借りて経営再建を図ろうというものだ。そのためこの提携は産業界に大きな波紋を呼んだ。シャープがそこまで追い込まれているのかという衝撃、あるいは台湾メーカーの助けを借りることへの批判や懸念などだ。日本の製造業の衰退ぶりを象徴するかのようなニュースだった。
しかし町田氏は意気軒昂だった。「技術自前主義から脱却して国際分業することが必要」、「コモディティー化したデジタル家電から撤退するのではなく攻め直す。そのために鴻海と組んだ」と強調していた。
町田氏によると今後のシャープは、大量生産の製品分野では鴻海との提携を活用するが、もう一つの柱として、シャープがこれまで培ってきたコア技術を生かした新しい商品や業態、ビジネスモデルを作っていく戦略を描いている。例えば、ソーラー・パネルの実績をもとに、発電所のシステムやメンテナンス、さらには発電事業そのものへと事業を広げていくことが考えられるという。生活関連や医療、教育などの分野も有望だという。
何度も危機に直面、乗り越えてきた歴史
講演の最後に町田氏はシャープの創業者・早川徳次の人生と会社の歴史に触れ
「関東大震災、戦後のドッジライン不況など、これまで何度も危機に直面した。自分自身が社長に就任した1998年もアジア通貨危機の真っ最中で先行きがどうなるかという時だった。それらを乗り越えてきた歴史がある。現在も新たなシャープに変身しようとチャレンジしているところだ」
と復活に自信を見せていた。
確かに、シャープには早川徳次の”DNA”が受け継がれている。幼い頃に養子に出され養子先で虐待を受けて育った早川は、東京で職人として独立し事業を始めた。それが軌道に乗り成功した矢先に関東大震災で被災、会社と妻子を失くした。だがそこから心機一転、大阪に移住して小さな会社を起こし、今日のシャープを築き上げたのだった。(詳しくは本コラムVol.12『関東大震災を乗り越えた不屈の経営者~シャープの創業者・早川徳次の壮絶な人生~』)
大阪で再起できたのはラジオの国産化に成功したことだった。その後も戦後に至るまでテレビ、電子レンジ、太陽光発電、そして液晶など、常に時代を先取りして「日本初」の開発・製品化を続けてきた。早川徳次は「人にマネされる物を作れ」が口ぐせだったという。
こうした早川の考え方とシャープの歴史はまさに日本のものづくり、そのものである。しかし今、シャープだけでなく、ソニー、パナソニックなど日本を代表する家電メーカーが軒並み赤字に転落し、日本のものづくりが揺らいでいる。シャープなど家電各社が復活できるかどうかは、日本のものづくりの将来を占うものでもある。必ずやその”DNA”を受け継いで復活を遂げるであろうと期待したい。
岡田晃おかだあきら
大阪経済大学特別招聘教授
1947年、大阪市生まれ。1971年に慶應義塾大学を卒業後、日本経済新聞社へ入社。記者、編集委員を経て、テレビ東京へ異動し、「ワールドビジネスサテライト」のマーケットキャスター、同プロデューサー、テレ…
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