インド、首都ニューデリーの建築現場。気温45度。子どもは足首をロープで縛りつけられている、その脇で母親はレンガを一日中運んでいた。母親は日射病におかされながら、仕事を続けた。
子どもたちがおかれている生活環境は過酷だ。母親がレンガを運び続けている横で、赤ん坊は足首をロープで縛り付けられて、座り込んでいた。お手洗いにも自由にいけず、排泄物があたりに散らばっていた。
インドの出稼ぎ労働者は家族全員で都市部にやってきて、スラム街に住み込みながら日々の糧を得ていく。子どもを学校に通わせるのならば、両親の手伝いをさせることが優先される。そのため文字の読み書きをできない子どもは普通にどこにでもいる。
出稼ぎ労働の現場は危険極まりない労働環境で、早朝から夜中まで続けられる。保険というものはない。その日一日、家族が食事に代わる賃金を得ることができれば、まだ幸せだという。賃金が支払われず、家族を食べさせていけなくなると、最悪の場合、子どもを譲るという大義をたてて売り払ってしまうこともある。
これはインドに限ったことではなく、世界中の生活環境が過酷な国々ではよく見られる光景である。
またもう一つの現実も忘れられない。諸外国では病気になったら病院にいけばよいという常識も通用しなかった。イラク、バグダッドにある中央病院では患者は診察をうけることはできない。というのも病棟はあるが薬は無い、医療機器が無い、とどめは医者がいないという信じがたい状況にたたされていた。ベッドに横たわる少年を見ていると、診察や薬の投与は一度も無く、母親が脇にそっと付き添っているだけであった。
過酷な環境が子どもたちを苦しめる。苦しみの連鎖が延々と続く。助けるすべはあるのか!?カメラマンとして外国に飛び込み、何よりも葛藤に苛まれる瞬間である。
イラク人の母親に聞いた。「生活環境をかえることができるなら、外国に移り住みますか?」「イラクから離れるつもりはありません。いかに苦しくとも自分の国で生きていきたいと思っています。」
この言葉はイラクに限らず世界中の国々で共通した答えであった。どの国でも両親はそれこそ身を削って子どもを育て上げていた。子どもは親の背中を見て育つ。いかに過酷な状況であれ寡黙に家族を養っていく姿に胸が震えた。
渡部陽一わたなべよういち
戦場カメラマン
1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…
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