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コラム 人権・福祉

2008年07月20日

両親を津波で亡くした子どもたち/スリランカ津波孤児たちの家

2004年12月26日、スマトラ沖地震が発生。マグニチュード9・3の巨大地震は高さ15mの津波を引き起こし、震源地から約1000km離れたスリランカ沿岸部までものみこんだ。犠牲者は30万人に達した。

渡部陽一コラム写真2008.07-1スリランカ北部にある孤児院に二人の姉妹があずけられた。年齢は14歳と13歳、髪の毛はぼさぼさで、服も泥だらけ、持ち物は何もなく靴もはいていなかった。挨拶をしてもうつろな目をこちらに向けるだけで言葉を発することはなかった。少女たちの手を引いてきたのは、孤児院の院長先生である。少女たちは割り当てられた6畳の部屋に入り、パイプ式二段ベッドに腰掛けた。部屋の中には同年代の少女たちがあと4人いた。

院長の話を聞いた。「この姉妹は津波で両親を亡くしました。地震発生時、姉妹は父親から山へ逃げるようにいわれ駆け出しました。両親は沿岸部に停めてある漁船を確認する為にその場に残りました。そのまま津波が漁村を丸呑みし両親の姿が消えました。ここは津波で両親を亡くした子どもたちの救済の家なのです。」

渡部陽一コラム写真2008.07-2この孤児院には女の子しか見当たらない。男の子の校舎は別な場所にあるという。年齢は0歳から18歳までで総勢約100人、それぞれが津波孤児であり境遇が重なっていた。入居したばかりの姉妹の周りを少女たちが取り囲み、しきりに語りかけている。動揺している二人に対し、みな手を引っ張って教室や食堂、談話室など校舎内を案内していた。

孤児院での生活は規律に縛られた厳しいものであった。衣食住すべてを自分たちで賄わなければならず、孤児同士で順番に洗濯や食事の用意、井戸水のくみだしをこなしていた。当番からはずれた子供たちは屋外に作られた青空教室で毎日5コマの授業をこなしていた。その授業も幅が広く、算数や歴史といった基礎学習からダンス、絵画さらにはヨガにまで及んでいた。早朝から日が暮れるまで休む暇のない時間を過ごしていた。唯一の娯楽は夜8時から1時間だけテレビをみることであった。

渡部陽一コラム写真2008.07-3この孤児院には日本文化とのつながりもあった。日本で教育を受けたスリランカ人男性が師範代として少女たちに空手を教えていた。女の子たちは空手着に着替えて、師範代の号令にあわせて日本語で「イチ、ニ、サン」とかけ声をかけながら正拳突きを繰り返す。乱取りでは直接殴り合う激しい練習までも行っていた。

師範代は語る。「少女たちには心身ともに強くなってもらいたい。両親を亡くした悲劇から立ち直り、自分の身は自分で守る意識をもってほしい。日本の空手道を通じて少女たちを支えていきたい。」

渡部陽一コラム写真2008.07-4姉妹はこれからこの孤児院で育っていく。そして18歳になったらここを卒園し村に戻るのか、孤児院に教師として残るのか決断を迫られる。この孤児院が彼女たちにとっての救いの家となることを祈ってやまない。

渡部陽一

渡部陽一

渡部陽一わたなべよういち

戦場カメラマン

1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…

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