最初に一つ。もし、前回のコラムを読まずに、このページを読み始める方は、vol.3の「サグラダ・ファミリア」をクリックしてほしい。それに目をとおしてから今回の「完結編」を読んでもらいたい。話の結末をもったいぶり持越しにしたことをお詫びしつつお願いする。
日本円にして配当金が5000万円ということ知り、会話が途絶えてしまった我が夫婦。しかし、意外にも早く立ち直ったのである。負け惜しみだと言われるかもしれないが、暫くしてこんな思いに達したのであった。
「ねー、まゆみちゃん(妻)、ライトアップされたサグラダ・ファミリアにあんなに感動できたんだもん、きっと、それでいいんだよ」
妻は軽く頷いていた。しかし、それは逆に無理やりにでも忘れたかったのかもしれない。
そして、時が流れて5年後、私はバルセロナでの留学を終え日本へ帰る飛行機の中では、ふと、こんなことを考えていたのである。
……そうだ、あれはやっぱり当たらなくてよかったんだ。だって、もしも当たっていたら、この世に僕が書いた3冊の本は誕生していなかった。バルセロナに来て一番苦労したのはお金。生活費が思いのほか多くかかった。山梨県庁で9年間働いて得た退職金と貯金はすごい勢いで減っていく。作ったばかりのスペインの貯金通帳を見るのが恐ろしいほどであった。
だから、バルセロナの地でサッカーの勉強を続けるのには、何としてでも金を稼がねばならなかったのだ。でも、車椅子に乗っている僕に異国の地でバイトの口などあろうはずもない。そこで何をしたか。一生懸命に書いたのである。小学校の頃に反省文しか書いたことのない僕が、もがき苦しみながら必死に書いたのである。スペインサッカーの情報記事やバルセロナでの生活を綴ったエッセイを。
気がついたら1冊の本ができあがっていた。「みんなの声がきこえる・車いすのサッカー修業」がそれである。そして、2冊目。これも、「グラシアス・サッカーからの贈り物」という題のエッセイ集だった。更に3冊目は絵本の物語を書かせてもらった。車椅子の監督とサッカー少年の成長を描いたもの。監督を目指す僕の理想も含まれている。題は「そこからはじまる」にした。
もし、最初にキニエラ(サッカーくじ)の配当金5000万円を手にしていたら、どうなっていたのか。お金の苦労はしなかったはず。つまり本を書くことなどなかったのであろう。5000万円がない、お金がないという「ない」が僕に3冊の本を与えてくれたのである。
また、2番目にバルセロナで苦労したのはスペイン語だった。渡西前、言葉の準備を全くしなかったため、当初スペイン語はちんぷんかんぷんだった。冷や汗を流しながらスペイン語学校の入学手続きをしたり、滞在許可証の申請をしたことを思い出す。妻と辞書を引きながら幾通りものスペイン語の文章を作って挑んだ。
ここでも、きっと5000万円を手にしていたなら、通訳の人を頼んで簡単に済ませていたに違いない。この苦労が後々、スペイン語上達に繋がり、より多くの経験と友人を得ることができたのだ。更に、私は歩くことができない。この歩けないの「ない」が、また多くのものを与えてくれる。まず人の優しさ。歩けていたときよりも、多くの優しさを実感している。
「ない」ということ、それは大きな可能性を秘め、たくさんのものを与えてくれるのだ。
羽中田昌はちゅうだまさし
サッカー解説者
サッカーの名門・韮崎高校にて2年連続全国大会準優勝。韮崎高校の黄金期のエースとして、その名を轟かせるが、高校卒業後、交通事故に遭い、脊髄を損傷、下半身不随の生活を余儀なくされる。その後、県庁に9年間勤…
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