「私の自立を助けてくれた」大きな出来事は3つです。
1つは恋人の変わらぬ愛、2つ目は自動車の運転ができたこと、3つめは<おしゃれ>。
1年7ヶ月の入院。22歳で入院して24歳になっていた。
握力が0で、ちょうど「熊手」のような指をしていた。ボタンをひっかける、とかチャックをつまむ、というのは得意ではなく、何も付いていないトレーナーをかぶり、ゴムの入ったジャージをはいていた。手術のために頭を丸坊主にしている上、元々173センチと長身の私が車椅子に乗っていると「あなたは男の子」ですか?と聞かれることもあった。
そんなころから彼は病院の外へ連れ出した。「どうせ、車椅子の生活になるのだから、早く社会に慣れたほうがいい」と思っていたようだ。病院の周りは、住民も車椅子を見慣れている。が、繁華街へ出るようになるとどうしても人の目が気になる。
でもそのことについて、私も彼もお互い、口に出して話したことがない。どちらかが、言い出すと、次から外に出かける勇気がなくなりそうな気がしたから。でも何も悪いことをしたわけではない、と自分にいい聞かせ、私は胸を張って、彼は人のいるところへドンドン押していった。
「おしゃれをする喜び」
最初は病院の近くのおそばやさん、次に駅ビルの中のレストラン。そのうち、渋谷や新宿といった、おしゃれなお店に変わっていった。
でも、どこでもトレパンだと恥ずかしい。彼は私には言わない。しかし、周りに気兼ねだと思う。
小奇麗な服を着たくても、それが私にできるか、どうか全く自信がない。でも、一大決心をして、週末までにジャージではなく、普通の洋服を着る訓練をやっていた。その姿を見て、彼は驚き、また、「時間が5分短縮できたよ」というと自分のことのように喜んでくれた。
<相手に恥ずかしい思いをさせたくない>一心でおしゃれをしてきたつもりだった。
が、あるとき、次の外出の服を悩みながら、すごく充実している自分に気がついた。
驚きだった。
モデル時代よりもはるかに大きな制約の中、不自由な選択しかできなかったにも関わらず、「私はおしゃれをすることにモデルの時にも感じなかった喜び!」を感じていたのです。もし、これがトレパン姿のままの外出が続いていたら、病院の生活リズムも引きずっていたと思う。
これは、家に居がちな高齢者や障害者にも言えるのではないでしょうか?
洋服を替えて外出をする!日常生活に変化をつけることによって、緊張感が出て生きることへのハリになるような気がする。どんなリハビリよりも効果があった気がします。
鈴木ひとみすずきひとみ
バリアフリーコンサルタント (UD商品開発とモデル)
1982年ミス・インターナショナル準日本代表に選出され、ファッションモデル等として活躍するが、事故で車椅子生活に。自殺を思うほどの絶望の淵にいたが、恋人や家族の愛に支えられ生きる希望を見いだす。障害者…
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