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コラム 人権・福祉

2005年02月01日

アテネパラリンピックがくれたもの(前半)

 私は事故以来、20代は車椅子陸上、30代は水泳をやっていた。陸上ではイギリスでの世界大会に出て優勝することができたが、そのきっかけは国体に出場したこと。

その頃、事故から1年で、まだ入院をしていた。トイレでの服の脱ぎ着に20分かかり、お風呂の出入りも自力ではできなかった。障害のレベルも最重度のため、人の手を煩わせていた。そんな中、国体出場の誘いを受けたが、周りの人に迷惑をかけると思い断った。

その時、リハビリの先生が言った言葉
「君にはきついようだけれど、これから先、全く人の手を借りずに生きていくことはできない、迷惑がかかるから出ないなんて言っていたら一生、外には出られない。君にはその頼む勇気が必要なんだ」

どきっとした。自分では車椅子の生活を受け入れたつもりでいたけれど、実はそうではない。他の人と同じことができなければ半人前だ。どこか、自分に劣等感を持っていた。本当は心の奥底では気づいていた。それを明らかにされてしまった。

頼む勇気をもつ。
私にとって、国体に出ることは、陸上での優勝を狙うというよりも、たとえ、障害があろうとも一人前の大人として出発したい、ありのままの自分を、価値のあるひとりの人間として認めたい、という決意でもあった。

自分で言うのもおかしいが、今までの人生であれほど激しく訓練したことはなかった。
そして私はついに1位でテープを切った。

 本当のゴールはまだまだ先にある。でも私はこのとき、どこまでもどこまでも走っていけそうな気がした。
その後も陸上を続けていた。しかし、陸上も水泳にしても、年齢のピークがあり、だんだんタイムが落ちていくと、張り合いがない、達成感がなくなる。

年齢に関係なく、大会に出てドキドキしながら試合に臨めるものはないかな、と模索していたところ、今から6年前、偶然スポーツセンターでビームライフルという競技に出会った。はじめは不思議なくらいド真ん中に入り、周囲から<ゴルゴ鈴木>と呼ばれたくらい。

しかし、なぜか練習すればするほど成績が落ちていく。コーチに「なぜでしょう?」と聞くと彼は、あっさり答えた。「それが実力です」
やはりそんなに甘いものではありません。

そのうち「つまらないから、やめてしまおうかな」と思っていた。当時、練習していたスポーツセンターの入り口には一段の高い段があり、そこを車椅子の私のためにスロープを作ってくれた。「まいったな。スロープがピカピカの間はやめられないぞ」と義理を感じ、いやいや続けていた。でも、あるとき、大会に出て、私よりもっと重度の障害の人がとてもイキイキと楽しそうに競技に参加し、点数も私より高いのを目にしてから考えが変わった。

「なぜこんなに楽しそうなのだろう?」

その理由を知りたい。何よりも、それまでの私は自分の障害をどこかで言い訳をしていたのだと、気付いたのです。
練習場で車椅子の人は私だけだから、点数が悪くても当然だと思っていた。そういう自分を恥ずかしく思い、私のなかで取り組む姿勢が変わった。本気で取り組めば、障害の重さなんて関係ない。

ある日、気がつくと何も考えずに的を狙って集中している、<無>の自分に気がついた。この経験のあとでは、なぜか、すがすがしい気分になっている自分がいて、嬉しくなった。

その後も練習を重ね、ビームライフルからエアライフルに転向をした。エアは反動がありビームより難しい。何よりもエアには国際大会があり、その先にはアテネがある。

「夢が実現するかもしれない」 

鈴木ひとみ

鈴木ひとみ

鈴木ひとみすずきひとみ

バリアフリーコンサルタント (UD商品開発とモデル)

1982年ミス・インターナショナル準日本代表に選出され、ファッションモデル等として活躍するが、事故で車椅子生活に。自殺を思うほどの絶望の淵にいたが、恋人や家族の愛に支えられ生きる希望を見いだす。障害者…

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