新聞の地域欄に、「町長が地域の子供たちと一日、車椅子で町の中を体験しました」という記事をご覧になったことはありませんか?そして、たいてい最後の結びは、こんな言葉。
「見逃すくらい、ちょっとした段を上がることができず、突っかかった」「押すのも横に流されそうになり、まっすぐ進むのもむずかしい」「短時間だけれど、乗っていて疲れた」「車椅子の人は大変なのだな、ということが、よく分かった」
私はこういう記事を読む度に白けてしまう。子供の体験学習が悪いのではない。世間の人が道や建物の段差を気にしてくれることで、行政のバリアフリーも進むだろう。みなが障害者を理解してくれる気持ちにも感謝している。
「しかし、この体験学習が実は怖いことを潜んでいる気がしてならない。」
障害者の気持ちを理解し、身近に感じようとしている試みが逆の効果になってしまっている、と。行政は子供たちに「弱者に対し、優しい思いやりをもつ子供であってほしい」と事業をやっているに違いない。私が怖いと思うことは、子供たちが、「車椅子の人は大変なんだな。僕はこうならなくて、よかった」と思う危険。
さらに思いが進んで、「もし、自分がこうなったら一生立ち直れない」
という恐怖を植えつけられるのではないだろうか?
体験学習をすることは賛成である。あと、もう少し準備をすれば、もっと実り多いものになるはずである。ここで使っている車椅子は病院の玄関にある、大きくて重いもの。あのタイプの車椅子で、こぐことはできるが、本来押す人のために作られている。ほんの少しの移動には便利だが、長く乗るには快適ではない。外のガタガタ道や車のトランクに積むことや狭いところで小回りが利くようには作られていない。広い廊下や段差のない、病院の中で乗るものである。
それは、後輪の軸が体の真下ではなく、後ろについているため、こぐには重い上、漕ぎしろが短い。また、前輪が上がりにくくなっているために段差を乗り越えるためには、屈強な力が必要である。日ごろ車椅子を乗っていない人が、ほんの数時間、そのタイプの車椅子に乗って大変であること、は当然である。
しかし、自走式の車椅子で、自分にあった車椅子を選ぶと、10センチ近くの段差は自力で乗り越えられる。毎日漕いでいると使う筋肉は自然に鍛えられるので、段々楽に漕げるようになるので横に流されることもなくなるし、要領よく動けるようにもなる。
入院経験のある人が、思いやりの気持ちで私に、こんなことを話してくれることがある。
「入院中、車椅子に乗ったことがあるけれど、本当に大変でした。僕にも車椅子の大変さが少しは分かりましたよ」 「ありがとう」と私は厚意に感謝し、笑いながらこう言う。
「一週間しか乗らないから大変なのです。6ヶ月乗れば慣れますよ」
と。もちろん、それには条件があって、自分にあった、漕ぐために作られた車椅子であること。
今の学習は
「度の合わないめがねをかけて、目の見えない人の気持ちが分かりました」
と言っていることに似ている。
もし、体験学習をするなら、いろいろなタイプの車椅子を準備し、そこに一人、説明のできる車椅子ユーザーが案内役にする。「意外に、こんなこともできるのだ」ということも発見でき、車椅子で生活することに希望がもてるはず。良い点も悪い点も知り、もっと地に足の着いた現実的な学習ができるだろう。
鈴木ひとみすずきひとみ
バリアフリーコンサルタント (UD商品開発とモデル)
1982年ミス・インターナショナル準日本代表に選出され、ファッションモデル等として活躍するが、事故で車椅子生活に。自殺を思うほどの絶望の淵にいたが、恋人や家族の愛に支えられ生きる希望を見いだす。障害者…
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