アフガニスタンでは従軍カメラマンとしてアメリカ軍兵士たちと長い間、時間をともにしました。戦闘の続く最前線ではカメラマンである自分自身も防弾チョッキを着込み、兵士と行動をかさねながら、ベースキャンプを点々と移動していきます。その折、移動手段として最も多用されていたのが、アメリカ軍の軍事車両、通称クーガーと呼ばれる軍用トラックでした。この紛争地用のトラックは、車高も車幅も日本のトラックの約2倍ほどあり、見た目はロボットのような無骨な表情をしていて、トラックそのもののボディーは防弾使用になっていました。
このクーガーがアメリカ軍に導入されている目的は、戦場という過酷な環境で任務を確実に遂行するためであると断言していました。紛争地での移動ではIEDと呼ばれる道ばたに仕掛けられた爆弾の攻撃を受けることがあります。こうした地雷に対してもクーガーは車両を防御する以上に乗組員である兵士を守る力を備えていると聞かされました。クーガーの座席は、外見からは想定できないほどコンパクトに作り込まれていて、兵士を輸送するだけでなく、軍用のGPSを使った最新通信機器が所狭しと備え付けられています。猛暑のなかであっても、クーガーの車内はエアコンが起動されており、兵士の体を冷やすだけでなく、車内の軍事機器の熱を取り除く機能を果たしていました。
最前線を移動するクーガーの車窓から見える村人の暮らしぶりは一見、穏やかな様相を見せています。しかし走り抜けるクーガーを見つめる村人の眼差しは悲しみと怒りの熱を帯びたものでした。彼らの声が何度も聞こえてきました。「アフガニスタン国民の、アフガニスタン国民による、アフガニスタン国民の為の政治を願う。」この言葉こそ、アフガニスタンの本音に触れた瞬間でした。
現在、アフガニスタンではイスラム過激派組織による反政府活動やテロが続発する事態となり、治安が急激に悪化しています。オバマ大統領はアメリカ軍の駐留を延期せざるをえないことを発表しました。アフガニスタン国民の声はいまだ届かず。これがアフガニスタンの立たされている現状であります。
渡部陽一わたなべよういち
戦場カメラマン
1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…