西アフリカ・ガーナという国には広大な森が広がっている。そこで暮らす子供たちの学校は森の奥深い場所に建てられていた。通学路の距離は片道5km、徒歩で2時間かけて学校に通う。森を抜け、延々と続く赤土の道をひたすら歩いていく。靴を履いていない子供たちも多く、その足の裏はゾウの皮膚のように堅くなっていた。
学校で授業を受ける子供たち。笑顔と緊張の時が過ぎる。そして再び森の中へ帰っていく。ここに住む子供たちは二つの責任を背負っていた。一つは学校に通い勉学に励むこと、もう一つは両親のお手伝いをして家族を助けること。子供たちは大人たちにとって貴重な働き手であり、お手伝いをしない ことは食事にありつけないことを意味していた。
帰宅後、宿題はさておき、まず子供たちが行ったことはお手洗いの修理であった。村の手洗い場はシンプルそのもの。深さ1mの穴を掘り、丸太を横に並べて出来上がり。用を足すときは並べた丸太の上に足を乗せてバランスをとる。この簡素で壊れやすい便所を補強することが子供たちの第一のお手伝いである。森に出向いて便所用の枕木、さらには食事用の薪として重宝する木々を集め頭に乗せて帰ってくる。その木々をお手洗いとして使われる穴に並べれば完成となる。
第二のお手伝いは水汲み。家族の水浴び用の水を大きなタライになみなみと注いで、やはりここでも頭に乗せて持ち帰る。戻ってからは即、小さなお盆に水を移し替え、一番下の子供の体を洗うことも大切な仕事である。
第三のお手伝いは運んできた薪で火をおこし、森で採れた野菜や果物を臼と杵ですりつぶして調理していく。出来上がった食事を小さな子供たちに食べさせたらお手伝い終了。初めて自由な時間となる。
ここから学校の宿題を一気にこなし、日が沈む前には床につく。太陽の浮き沈みで時間を計る子供たちにとって日が沈むことは眠る時間を意味していた。 「明日の学校が待ち遠しいです!おやすみなさい!」子供たちはそういって蚊帳を立てた寝床に潜り込んでいった。
渡部陽一わたなべよういち
戦場カメラマン
1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…
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