Ⅰ.私は死にました。
昭和五十六年五月二十四日
「あっ危ない!」
その叫び声と共に、私は、地上5メートルの高さに放り上げられ、
そして、そのまま硬い地面へと墜落してしまいました。
「ドスン」
地面に叩きつけられたその瞬間、観客席から悲鳴が上がりました。
そして、自分では気づかぬうちに私の身体は死んでしまいました。
身動き一つしない私を心配そうに、近くにいた関係者達が寄って来ました。
そして、その中の一人が私に聞きます。
「大丈夫か?立てるか?」
いつまでも横たわる私のことを心配してくれたのでしょう。
「いえ、立てません。」私は応えました。
周囲の人たちの顔色が段々と険しくなっていき、
そして、今度は右手を持ち上げられました。
「手はあがるか?」と聞かれ、
私が手を上げようとした瞬間、その手を離されました。
すると、私の右手は、まるで意志を持たない人形のように
「すとん」と垂れ下がってしまったのです。その時、初めて気づいたのです。
「手も動かない・・・」
墜落する前まで自分の意志で自由に動いていた
自分の手が動かなくなっている・・・。
そして、私はその瞬間から生まれ変わったのです。
長い苦難の始まり、そう、重度障害者という第二の人生が始まったのです。
Ⅱ.父の死
昭和三十八年四月四日
私は、K県Y市で生まれました。
3800グラムという大きな赤ん坊で、
また、乳児の時から他の赤ん坊とはちょっと違うようでした。
「郷詞ちゃんは横にするとコロッと寝返りをうってたばい。」
九州なまりのやさしい母方の伯母が、よく話をしてくれたのを覚えています。
「蔦ちゃん、この子は他の子と違うばい、随分足腰の強い子ばい。」
蔦ちゃんこと、私の母親にそう言っていたそうです。
確かに伯母の言う通り、幼稚園の頃から運動能力が発達し
小中学生の頃から開花し始めました。
昭和四十三年六月七日
私が5才の時でした。
もう、三十四年も前の事なのに、今でもはっきりと覚えています。
朝食の時、当時、私が大好きだった「ワカメの味噌汁」を食べていたんです。
8時過ぎでしょうか。3才年上の姉が学校へ行き、
いなかったのでその位の時刻だと思います。
その時、突然私の後方から奇声が聞こえたのです。
「あばぁばぅうぅぅ」
その声は、叫び声とも、うめき声とも言えない、不気味な声でした。
つづく
濱宮郷詞はまみやさとし
コラムニスト
「何故、自分だけが、寝たきりに・・・」 毎日、死ぬ事ばかり考えていた。 そんな時、あなたと出逢い、あなたがそばに来てくれた時、生きる事に決めたんだ。 あなたが与えてくれた命。目の前には「無限の可能…
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