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2018年12月25日

優れた「問い」とダメな「問い」

藤井聡太七段は、「詰め将棋」を解く力では既にプロ棋界でもナンバーワンである。しかし、トップ棋士には対戦成績があまり芳しくないことでも分るように、将棋の勝負ではまだナンバーワンではない。これは、詰め将棋が「正解のある具体的なクイズ」であるのに対し、将棋は「具体的な指し手を考える前に、状況判断や方針の立案などの抽象的な思考が重要になる勝負」であるからだ。詰め将棋では「何をすべきかが指示されており、それをいかに速く正確に行うか」が重要だが、将棋の勝負においては「何をすべきかを自分で導き出す力」が重要になる。詰め将棋は「問いに答える力」、将棋の勝負は「問いを作る力」がポイントになると言ってよい。

「問いに答える」には、論理が求められる。指示を速く間違いなく遂行するには、モレや見落としがあってはいけない。また、形や決まりを覚えておくのも大切である。こういう時はこうするものというパターンや定跡を知っていれば知っているほど、(いちいち考えなくてもいいから)早く正確に答を導ける。その意味では、数をこなして慣れておくのも重要で、パターンを身体で覚えて無意識に近いほどの感覚で処理できるようになれば、たいしたものだと評価される。

「問いを作る」には、グランドデザイン(大局)を描く力が求められる。将棋で言えば「現状は有利か不利か」「ペースはどちらにあるか」「互いの経験値はどうか」「勝つとしたらどのような形か」といった視点から、今、どのような方針のもとに指し進めていくのが良いのかを考える。これは、論理ではなくクリエイティブな思考である。感想戦(勝負がついた後に両棋士が感想などを述べ合う時間)の会話では、「方針を間違った」「大局観がおかしかった」といった声が聞かれるが、そもそもの「問い」が誤っていれば具体的な指し手も正しく導けないということだろう。

仕事においても、同じことが言える。「問いに答える力」ばかり磨いても、ビジネスをリードできるレベルにはなれないし、優れたキャリアを築いていくことはできない。(私が、詰め将棋のトレーニングをいくらしても大会で勝てない状況にあるのと同じだ。)たしかに、上司や周囲からの指示・要望に対して、いつも速く正確に遂行・リアクションできる「問いに答える力」のある人は優秀だと認められやすい。どんな球が飛んできても、しっかりと芯で打ち返せるバッターのようで、構えにもスキがなく安心してその業務を任せることができる。しかし、そのような「答える力」だけでは、ただの職人でしかない。(一流の職人はそうではない。)

「問いを作る力」がある人は、「この仕事の目的は何か」「顧客は誰か」「誰にどのような価値を提供しているのか」「新たな技術や知識を応用できないか」「他の仕事と組み合わせたり、再構築したりできないか」「意味希薄で止めるべきことはないか」といった観点から仕事を見直したり、目標と現状のギャップを常に意識しながら方針や行動の修正を図ろうとしたりしている。そこには、自分の仕事を見つめなおすための新たな視点を持ち、問題を発見しようとする態度がある。問題の発見を上司に依存しない、自立や当事者意識がある。熟練していく過程で得たものや、前任者や世間一般の考え方に縛られず、盲目的にならず、健全な懐疑精神を持っている。ブレークスルーや改善を実現しようとする欲求が感じられる。仕事も組織も各々のキャリアにおいても、「問いを作る力」によって進化・向上していくのである。

熟練者は「問い」を恐れ、面倒がる

あらゆる業務は、時間とともに進め方ややり方が定型化されていく。それは効率の観点からは重要だし、初心者はまずこれらを熟知し熟練していくべきだが、環境や技術的な変化はいつか必ず起こるので、その変化に合わせて目的も対象者もやり方も見直さねばならない。でなければ、その仕事の価値はどんどん低下していく。

ところが熟練者というものは、往々にして自らの旧いフレームや手法にこだわり、状況変化に鈍感になったり、かたくなになったりする。「問い」は現状を否定的・批判的に見る視点を含みがちなので、熟練者ほど「問い」を恐れることになる。また「問い」は、熟練者も含めて居心地のよさに安住している人にとっては、極めて面倒なコミュニケーションだ。つつながなく回っているのに、なぜ、目的だ価値だといった“そもそも論”を吹っ掛けられなければならないのか。余計なお世話だと思うだろう。「問う」側にはそんな気持ちが伝わってくるから、だんだんと熟練者にモノが言えなくなってくる。面倒くさい人だと思われたくないから、「問い」を立てなくなる。

上司にとって熟練者は頼もしい。だから、熟練度をもって「優秀」としたくなる。が、「問いを作る力」がなければ熟練者がいくらたくさんいても、現場が主導するイノベーションは起こらない。熟練者は「問い」を恐れるし、「問い」とは面倒なものなので、優秀な熟練者が増えれば増えるほど、「問い」が減少していき、その結果、仕事の価値が徐々に低下していく。もちろん、熟練者を育てていくことが大事な仕事であるし、熟練度をもって「優秀だ」とするのは合理的である。大切なのはこのジレンマを理解し、熟練者に対してさらに上の能力としての「問いを作る力」を求め続けること、また組織として「問いを作る力」を養い、問いのあふれる現場を作ることが肝要なのである。メンバーの仕事は、「マネジャーがどう問いかけるか」によって左右されると言ってもよい。

「問い」とは何か

「問い」とは、仕事の状況をヒアリングするような単純な質問のことではない。報告・連絡・相談といった類の話でもない。「問い」とは、『“顧客や環境”と“自分たちの仕事の提供価値”について大局・高所・本質から捉え直し、最適な状態を目指すきかっけを創ろうとするもの』である。それは、仕事にミスやモレがないようするためのコミュニケーションに比べて、はるかにクリエイティブだ。正解がなく、誰もが容易には回答できない困難な質問である。人によって見方や考え方が違うから、合意にはパワーを要するし、そのプロセスは創発的でなければならない。「問い」とは、日常的に発せられる質問とは異なる「クリエイティブ・クエスチョン」である。

質問を以下のように分類すれば、「①創造のための問い」が、クリエイティブ・クエスチョンに当たる。現状について健全な懐疑精神を持ち、ゼロベースで環境変化や顧客価値の観点から、仕事を一緒に考え直してみようとする問いである。

問いの分類

それ以外の問いは、クリエイティブ・クエスチョンではない。「⑤把握のための問い」は、もっぱら単なる業務管理者によってなされる質問だ。「④相互理解のための問い」は、良好な関係や空気の中で仕事を進めようとする人達が得意とする。「③診断のための問い」は、上司が部下を育成しようとする際や、他部門や他社とのジョイントで業務を進めるケースの前段でなされる。「②協調のための問い」は、チームでシナジーを生み出そうとするものである。

変革を担う者は、クリエイティブ・クエスチョンを投げかけるスキルと姿勢が必要だ。生産性向上への努力も、クリエイティブ・クエスチョンがなければ微小な改善にとどまるだろう。組織や人を進化させつづけるマネジャーは、クリエイティブ・クエスチョンを上手に投げかけている。自律的に進化する人材は、クリエイティブ・クエスチョンを自らに投げかけるとともに、「私は今、どのような問いに答えようとしているのか?」を忘れないので、日常の業務に埋没し、思考停止に陥ることがない。

川口雅裕

川口雅裕

川口雅裕かわぐちまさひろ

NPO法人「老いの工学研究所」理事長(高齢期の暮らしの研究者)

皆様が貴重な時間を使って来られたことに感謝し、関西人らしい“芸人魂”を持ってお話しをしています。その結果、少しでも「楽しさ」や「気づき」をお持ち帰りいただけていることは、講師冥利につきると思います。ま…

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