会社には様々なルールがあり、組織はそのルールに則って運営されている。組織や職務の分掌、業務の遂行・権限・決裁、ヒト・モノ・カネ等に関わる諸規程がたくさんある。人事分野では、等級制度・評価制度・給与制度・報奨制度・福利厚生制度・教育制度や、就業に関わる規則などがある。そして、従業員の処遇や育成、組織の活性化や働き方に関して不具合があれば、これらの制度を変えることによって対応を図る。バブルまでのだいたい右肩上がりに成長してきた時代には不具合を感じることは少なかったが、それ以降、人事の諸制度のあちこちに不具合がはっきりと表面化してきており、ここ三十年くらいの人事は、制度改定の歴史であったと言ってよい。
ところが、残念ながら、ここ三十年で取り組んできた様々な制度改定が功を奏したという実感がある人は少ないだろう。むしろ、処遇や育成はいっそう困った状況になり、組織の活性度は低下し、多様な働き方を望む人たちへの対応にも仕組みがついていけていない、というのが多くのビジネスパーソンの感じるところだと思う。なぜ、制度改定がうまくいかないのか。
それは、アインシュタインが「我々の直面する重要な問題は、それを作った時と同じ考えのレベルで解決することはできない」と述べたように、根本的な人事のパラダイム(人や組織に関わる見方・考え方)を変えられないまま、制度改定に取り組んできたことが原因だ。人事が直面する重要な問題を解決するには、その制度を作った時の考え方や見方とは、異なるレベルの考え方を持たねばならない、ということである。
等級制度で言えば、「肩書きや昇格は、働く人たちを動機づけ、働く人たちの目標となる」という考え方が根底にある。実際、男性正社員たちは一生懸命になって”椅子取りゲーム”に励んだ。しかし今、人生と仕事のバランスを取りたい女性や若者は、そのような椅子には大して興味を持たない。肩書きよりも、職務内容ややりがいや身に付くスキルに重きを置く人も同じだ。このような人たちの中には、肩書きとは「世間一般には通用しない、単なる社内幻想」だと見ている人もいるだろう。旅行者が、その商店街だけでしか使えないポイントカードをもらっても意味がないと思うのと同じで、このような人たちには肩書きや昇格は、動機づけにも目標にもならない。等級制度を見直す会社は多いが、依然として「肩書きや昇格は、働く人たちを動機づけ、目標となりうる」という考え方のままなら、このような問題が解決することはない。評価制度は等級制度に紐づいたものなので、これが思ったように機能しないのも当然である。
定期昇給には、「従業員は、この会社で長く働くことを考えている。定期的に少しづつ給与が増えていけば先々への希望を持って働いてもらえるし、長く勤続する意味も感じてもらえる」という発想がある。年功序列・終身雇用の思想そのものである。もっとも、昇給を実施する根拠は、その期間における能力の向上ということになっているが、それは建前に過ぎない。何歳でも、誰であってもどの期間においても、同じように人の能力が向上しつづけるということは有りえないからだ。人材の流動化が進んでいる現代では、最初から転職を含めたキャリア形成を想定している人もいるだろうし、入手できる情報も増えたので、「半年前より数千円上がった」という事実より、「同じような仕事をしている人たちの世間的な給与水準は、どれくらいか」という事実のほうが重要だったりもするはずだ。このように、定期昇給という仕組みが普及した当時と今では、まったく環境が違うのに、いまだに「評価点で1点の差を、昇給額のいくらの差に換算するか」といった些末な制度改定を検討しているようでは、まったく問題の解決にはつながらない。
人材育成では、「若者は未熟で戦力としては大したことがなく、年数を重ねるごとに成長して、強い戦力になっていく」という考え方がある。実際、たいていの会社の研修体系は(無意識に)そうなっているし、仕事の任せ方や裁量も多くの現場で「年齢」や「経験」を理由に決められている。その結果、能力のある若者がその力を持て余し、持て余すだけならまだマシで、手を抜くクセやサボリ癖がついたり、あげくに「自分はまだ若いから能力が足りない」と思い込んだりしてしまう。経験が豊富というだけで上長を任された年配者が、自分よりも能力が高く、伸びしろも大きい若手を指導して駄目にしてしまうケースも少なくないだろう。また、「放っておいたら、従業員は何も勉強しない」という思い込みも根強い。人事が従業員を上から目線で、レベルが低いと決めつけているように見える。これらの結果、仕事では若手を信じて任せるようなことはしないし、年次や階層に連動した画一的な研修が繰り返される。
就業ルールについても、「皆で一緒に来て一緒に変えるのが平等で、職場の士気も保たれる。個人の勝手な都合や振る舞いを許していては不公平感が高まり、一体感が失われる」というような思想がある。朝来たらラジオ体操で始まり、夕方は皆の仕事が終わるまで待って、時どきは飲みにも行くといった昔の職場で支配的だった考え方だ。このような考え方が、出産・育児・介護などで休業するのをはばかられる雰囲気を作り、早く帰れない、有給休暇が取りにくい空気、フレックスタイム、テレワークなどの自由な働き化の導入に反対する人たちの根拠にもなっている。働き方に関わる様々な制度を導入しても、導入しただけで上手に運用されることはないのは、同じような人たちが同じように働き、それぞれの私的な状況は我慢するという、同質性の維持を価値とするようなパラダイムを排除あるいは転換できていないからである。
制度改定は、現状の制度ができた当時のパラダイムはどのようなものだったのか、を振り返る必要がある、そして、それが環境変化に耐えうるものなのかどうかを検討し、もはや通用しないのであれば、新たなパラダイムを言語化しなければならない。効果的な制度改定には、具体的な設計に入る前に、パラダイムを見直すというプロセスが欠かせないのである。
川口雅裕かわぐちまさひろ
NPO法人「老いの工学研究所」理事長(高齢期の暮らしの研究者)
皆様が貴重な時間を使って来られたことに感謝し、関西人らしい“芸人魂”を持ってお話しをしています。その結果、少しでも「楽しさ」や「気づき」をお持ち帰りいただけていることは、講師冥利につきると思います。ま…
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