私は熱狂的に近い将棋ファンです。中学生のときに出身地である神戸の地下鉄で、若き日の谷川浩司九段の発しているオーラを見てから、弱いながらもずっと将棋を楽しんできました。あれから33年くらい経ちますが、将棋という競技がしっかりファンの心をつかみ続け、徐々にではあるもののファン層を広げているのは、個性的で才能あふれる棋士を輩出し続ける将棋界の人材育成システムと無関係ではないでしょう。今回は、私達の組織が、将棋界の人材育成に学べる点を3点挙げたいと思います。
一つ目は、棋士全員に、先人の棋譜や将棋の歴史に対する尊敬の念が感じられることです。実際に棋士の方々に確認した訳ではないのですが、将棋雑誌や将棋専門紙のインタビューを読んでいますと、それがよく分かります。木村、坂田、大山、升田といった故人の名局や名手を覚え、その個性的な棋風や思考の深さと新しさに興味を持ち、尊敬や愛着を寄せているような発言を見ることができます。江戸時代の名人世襲制の頃から続く歴史にも造詣が深く、今、自分達が将棋を指せている(将棋は「打つ」とは言いません)のは、多くの先輩たちの努力と、将棋に理解を示してくれたファンやスポンサーのおかげだという感謝の気持ちも伝わってきます。
さて、企業において、ほとんどの社員が自社の歴史や先人の努力を知っており、尊敬や感謝の念を持っているということがあるでしょうか。新入社員の頃に教えてもらったが忘れてしまった、会社案内に書いてある程度しか知らない、という人が多いでしょう。ベテランが昔語りをすることも、すっかり減りましたので、企業組織ではどんどん過去の記憶が薄れてしまっています。クレドを作ろう、企業理念を明確にしようというのも、上記のような状態に陥り、組織へのロイヤリティ低下を実感した経営者が多いからでしょう。私は、そんなことをするよりも、『正面から、会社の歴史を詳しい物語として理解させる』ほうがよっぽど有効なのに、と将棋界と比較をしながらいつも思っています。
二つ目は、礼儀作法や気遣いがしっかり出来ること。マナーをちゃんと覚えるのは簡単なことですが、棋士は例えば、先輩と対局するときは、たとえ自分の方が段位が上でも、先輩より早く来て下座に座って待っておく、といった気遣いをごく日常的に行っています。昔、NHK杯の青野九段対谷川九段戦では、「(先輩である)青野九段は、着物で対局することがあるから」という理由で、谷川九段は着物を持参で対局場に来たそうです。先輩がスーツなら、このままスーツで、着物なら着物に着替えるつもりだったということです。将棋のイベントに行っても、ファンへの気遣いやサービス精神は、棋士に共通した素晴らしい点だと感じさせられます。
今は、気遣いや気配りができなくなった人が多いですね。私に他人のことが言えるかどうかは難しいのですが、多くの人が若手に対して、また周囲の人に対する不満として、この点を挙げるのを聞きます。将棋は盤上の勝負なので、相手を気遣うかどうかは結果に関係ないのですが、ビジネスは顧客に好感を与えられるかどうか、組織が円滑に回るかどうかは結果に大きく影響します。そのため、棋士よりビジネスパーソンの方がよく気遣いが出来る、というのが本来あるべき姿かと思いますが、実際は逆であるのは不思議なことです。単純に考えれば、『師匠や先輩が弟子や後輩のしつけをきちんとしている将棋界と、上司が部下を放ったらかしている会社の差』ではないでしょうか。
三つ目は、「研究会」と言われる勉強会が、多く存在していることです。棋士たちは、基本的には、勝負の世界のライバル同士です。勝つために、進化していく定跡(囲碁は「定石」)に関する情報や、誰がどう指したという情報を仕入れ、研究を重ねた上で次回の対局に備えます。本来であれば、いつか対局するかもしれない相手に、手の内は見せたくないはず。そう考えれば、研究会など成立しないと思うのですが、実際にはかなり盛んに行われています。私は、ほとんどの棋士が、目の前の勝ち負けよりも、「強くなる」ことを目的にしているからではないかと思います。自分の知識を隠したまま目の前の対局に勝利しようとするよりも、研究会で披露して皆にもんでもらい、切磋琢磨するほうが、将来にとって良いと考えているのではないかと想像します。
こんな会社があったら、素晴らしいだろうと思います。何人かが集まって、テーマを持って勉強を続けている。仕事上の成功や失敗を共有して、そこから何か学ぼうとする人達のグループがいくつもある。会社は何も言っていないのに、そんな活動が行われていたらどうでしょうか。現状では、会社が用意した研修を社員に無理やり受けさせているとか、上司に言われて初めて皆で仕事上の経験を披露・共有するといった組織が、ほとんどでしょう。それは目的や向上心の差で、勝負の世界と企業組織とは違うと言われそうですが、そうは言わずに、『自主的に学ぶ、インフォーマルなグループが出来てくる』ための仕掛けを検討してみてはいかがでしょうか。
川口雅裕かわぐちまさひろ
NPO法人「老いの工学研究所」理事長(高齢期の暮らしの研究者)
皆様が貴重な時間を使って来られたことに感謝し、関西人らしい“芸人魂”を持ってお話しをしています。その結果、少しでも「楽しさ」や「気づき」をお持ち帰りいただけていることは、講師冥利につきると思います。ま…
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