転院する前の病院では、「本人がまだ若く、ショックを受けるから絶対に言ってはならない!」 ドクターからそう言い渡されていたそうです。 しかし、神奈川リハビリテーションセンターの私の主治医、H主治医の考えはこうでした。
「歩けないことを教えてあげないと、いつまでも歩くことを望んでしまう。それでは本来のリハビリが進まない!」
相談もなく突然の告知に母と姉は泣き崩れました。
「何故?何故言っちゃうんたすかぁぁ・・」
ドクターは気にもせず、病室を出て行きました。本来なら一番ショックを受ける私が二人を必死に慰めていました。
「なんで二人が泣くんだ!一番つらいのは俺じゃないかぁぁ!」
次の日から、リハビリの専門療法士がベッドサイドまで訓練をしに来てくれました。リハビリというのはその人の症状に合わせ、ドクターを先頭にチームを組んで治療を進めていくのです。私の場合は、ドクター、看護婦、PT、OT、体育、心理、ケースワーカーという7人のチームでした。簡単な説明をすると、ドクターは治療経過、看護婦はドクターのサポートと共に日常生活、PTは身体的訓練、OTは生活動作訓練、体育は体力増強訓練、心理は知能、精神面チェック、ケースーワーカーは社会復帰への相談窓口というような役割があるようです。体育は身体の状態が落ち着かないと運動が出来ませんので、落ち着いてから始まります。なので、体育以外は、早期から訓練が始まります。中でも、OTは関西の方のリハビリ学校の実習生が来ていたので、熱心にベッドサイドへ来てくれました。実習生なので勉強熱心です。
私が昼に独り暇な時でも時間を楽しめるよう書見台を作ってくれました。と言っても、手が動かないので口に棒を加え、棒の先にゴムサックのようなものを取り付け、ページを捲るのです。しかし、中々うまく捲れません。私は天井を向いたままの仰向け状態で、本は表紙を天井側で文章面は私の顔の方に向いています。つまり、本は私に対してうつぶせ状態な訳です。なので、重力でページが捲れてしまいます。もちろん書見台に固定しているのですが、1ページを捲ろうとすると、数ぺージがくっ付いて捲れてしまうのです。そうするともうお手上げです。捲ることも戻すことも出来ません。しまいに口の中は唾液が溢れてしまいます。「先生、もういいよ」 そういうと実習生は必死に知恵を出し考えてくれます。毎日そのようなことの繰り返しでした。試行錯誤をしているうちにいつしか時は流れて行きました。
運ばれてから1週間が経ちます。
季節は梅雨に入り何処も彼処もムシムシと蒸し暑くなり、梅雨明けが待ち遠しい季節となりました。
そんなある日、一人のドクターが私のところへやって来ました。この間のH主治医とは違うドクターです。
「はい、濱宮くん、ちょっと手を動かしてみて」 私は言われる通りに動かそうとしました。しかし、怪我をしてから1週間以内に動き出した所以外は動きません。「う~・・ん」 ドクターは言いづらそうに口を開きました。
「濱宮くん・・・残念だけど、もう手もこれ以上動かない。」 私の心中を気遣ってかH主治医とはまるで違い、申し訳なさそうな声でした。
(えっ!てっ!手も治らない!・・・そんな馬鹿な!そんな事ってあるのかよ・・・。)
私は脊髄損傷という言葉、そして歩けなくなる。という事は知っていました。しかし、手が動かなくなる怪我があるとは知りませんでした。さすがに驚きました。車椅子ならなんとかなるだろうと考えていましたが、まさか手までが動かなくなるなんて・・・。ショックです。このまま、寝たきりで一生を過さなければならないのか。18歳という若さで寝たきりなんて・・・。お風呂も食事もトイレもすべて親にしてもらわなければならないなんて・・・。親に対する申し訳なさでいっぱいです。ここまで苦労して育ててくれて、これからは私が親孝行をしなければならないのに。申し訳ない・・・。
私はこみ上げる涙を堪えるのに必死でした。と、共に幼き頃が走馬燈のように浮かんできます。父が死ぬ前日に花火をしてくれたこと、おしっこチャンバラ、父が倒れたときのこと、母が走って伯母を呼びに行ったこと、冷たい廊下で父の治療を待ったこと、母に連れられピクニックへ行ったこと、雨漏りする我が家を「俺が建ててやる」と言ったこと・・。
「仕方ないですね・・・」 私は、込み上げる涙を堪え、呟きました。18才には過酷な一瞬でした。
その2、3日後、H主治医が再び来て私に言います。 「濱宮くん、頭の金具を外そう!」
「早く車椅子に乗って本格的なリハビリをした方が良いよ」 そう言って金具を外す準備をさせ始めました。
金具がめり込んでいる頭部分を消毒します。(うわぁ 冷てぇぇ)H主治医は、ゆっくりと金具を抜きました。麻酔もせず引き抜くのです。とはいえ、さほど痛みはありません。(ズボッ!うっわぁ)
「終わったよ」 H主治医は淡々と事を成していきます。「濱宮くん、お風呂入れるからね。入れてあげて」 傷口を消毒しガーゼを当てながら看護婦に指示を出します。(えっ風呂?いっいいよ!まだ金具を抜いた傷口が塞がってないよぉ)
「よかったわねぇ~ 何日ぶりぃ?」 看護婦が言います。 (だっだから・・傷口が塞がってないよ 入りたくないよ)
「・・・一ヶ月ぶりだぁ でも・・いいよ 入らない」 私はそう答えました。
「何言ってるのぉ ダメよぉ」 と看護婦。(だっだから・・傷口が塞がってない!っていうの!)看護婦は入浴の予定を立てに詰め所に戻ります。
「傷口が塞がってないのに入れるかよぉぉ 勘弁してくれよぉ」 私は独りでつぶやきました。
「濱宮くん、ご飯よぉお待たせぇ、お風呂ねぇ午後に入れるって!よかったね」 看護婦が昼食を運びながら言いました。
「えっいいよ 傷口が塞がってないから」 さっき金具を外したばかりなので私はお風呂を断りました。
「何言ってるのぉ~ せっかく入れるんだからぁ 入らなきゃダメよぉ」 どうやら拒めそうにありません。
(あぁぁ~ぁ) 私のため息です。「さて、ベッド上げるね。座位とっていいって、今日からリハビリよ」 そういうと、首にスポンジの固定具を付け、ベッドの背もたれを上げ出しました。少しずつ、少しずつあげられていきます。
「大丈夫?」 看護婦は私に訊きます。人間は長い時間横になっていると身体がその体制になれてしまうそうです。通常だと心臓により血液が身体中を巡るわけですが、また、足先などに行っても筋肉の収縮などで頭などの上方に戻る機能が働くのですが、寝たきりの水平状態になると、ましてマヒがあると血液が充分に循環しません。身体が機能しなくなるのです。なので、寝たきりの水平状態から、少しでも頭が上に上がると、脳に血液が回らず気絶をしてしまうのです。看護婦は私の様子を観察しながら慎重にあげていきます。「カシャカシャカチャ」 背もたれがあがります。私は静かに身を任せます。
今まで天井しか見えなかった視界が広がります。 「カシャカシャカチャ」 背もたれをあげる音が病室に響きます。そして、徐々に看護婦の姿が見えてきます。頭、顔、首、肩、胸・・・。顔しか見えなかった看護婦の姿が・・・。徐々に徐々に全身が見え始めました。
「見えた!見えたよ!」 1ヶ月振りに見る人間の全身姿に、私は嬉しさと感動を隠せませんでした
つづく
濱宮郷詞はまみやさとし
コラムニスト
「何故、自分だけが、寝たきりに・・・」 毎日、死ぬ事ばかり考えていた。 そんな時、あなたと出逢い、あなたがそばに来てくれた時、生きる事に決めたんだ。 あなたが与えてくれた命。目の前には「無限の可能…
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