2012年(平成24年)がスタートしました。今年はスポーツ界にとってはオリンピック・パラリンピックの年です。4年に1度、閏年の世界的ビッグイベントに今からわくわくしてしまいます。
私が考える人権
今回からの3回は「人権」について考えていきたいと思います。多くの人は中学校の社会科公民的分野での学習で日本国憲法の授業で扱われたのではないでしょうか。あるいは、歴史の授業で市民革命のところでふれられたのかもしれません。
いずれにしても自分達とはどこか遠いところにあるもの、身近なものとは思えていない方が多いのではないでしょうか。
それは人権というものを意識せずともすでに守られているから気づかなくなってしまっているだけなのです。
ぼくもご多分に漏れず人権とは縁遠いところで生活していました。
しかし、15歳で失明をしてからというもの、「河合純一」という1人の人間としての人格よりも「障害者」というカテゴリーで見られ、判断されるような場面に直面することがでてきました。
これまでは考えたこともなかった受験であっても、特別措置の申請や事前の話し合いなどが必要になりました。願書を書いて、検定料を払い込めば受験できるというこれまで当たり前だと思っていたこともできなくなっていたのです。
こういった大学入試のような大きな問題については先人の方々の普段の努力により多くの権利を勝ち取り、その恩恵を受けながら自分は大学受験をし、教員採用試験も受けることができたのです。
これは公的な機関との関係においての話です。ぼくが大学受験をしていた90年代前半でも視覚障害者の受験拒否は少なからずこの国内にも存在していました。拒否とはいわず、「十分な配慮ができないので失礼にあたる…ゆえにご遠慮いただいている」といったものでした。こういった差別的なことが横行していること、自分自身のこととして直面しないことにより、人権意識は希薄化しているのだと思います。
いじめは人権侵害
教育現場では人権教育というものが存在し、様々な人権について触れる機会があります。人種、宗教、民族、性別、住んでいる地域、障害の有無など…しかし、子どもたちにとって、最も身近な人権問題はいじめです。いじめはいけない、人を傷つけてはいけないのだから…というのは誰もが応えることでしょう。
しかし、このような綺麗事をどこの子どもが信じるというのでしょうか。大人たちの社会にもいじめが存在しています。テレビではいじめを助長するかのごとくバラエティ番組で放送されています。
少なからず悪口や陰口をたたいている姿が子どもたちに見られているのです。こういう状況下でいじめを撲滅するというのは困難を極めることでしょう。だからといってあきらめるわけにはいきません。
このいじめというものは誰もが加害者となりうるし、被害者ともなりうるところが難しいのです。いじめられる理由などあってないようなものだからです。
普通ってなんだろう?
子どもたちに夢を尋ねると「普通でよい」とか「平均的な生活」といった答えが返ってきます。
ぼくはこういう答えを聞くたびに「普通ってどういうこと?」「平均ってどれぐらい?」と具体を求めるようにしていました。
おそらくぼくは失明したことにより、「普通」ではなくなり、「平均」でもなくなりました。だからといって不幸なのか…といえば違います。
ぼくは自分の中に幸せのものさしをもてる人生を子どもたちに送ってほしいのです。
普通なんてものは時代や環境によって異なるのですから。日本でいれば日本語で話したり書いたりするのが普通ですがアメリカに行けば英語でコミュニケーションをとるのが普通となります。年収が1億円を超えている人は平均以上だから必ず幸せかといえば、そうばかりではありません。自分の中にぶれることのない幸せのものさしを作り出してほしいと願っています。
真の個性とは…
子どもたちの中で個性や自分らしさを表現するために髪の毛を脱色、染色したり、制服のズボンを下げてはいたりする子が見られます。こういう子どもたちを見ると、ぼくはとても悲しいというか寂しい気持ちになるのです。
個性、個性といいながら、そういう子どもたちは結局のところ同じような姿になっているからです。つまり、個性ではなく流行を追いかけているに過ぎず、個性とは程遠い姿になってしまっているのです。
ぼくは個性というものは見かけで表れるようになるまでには、時間がかかるものだと思っています。ましてや表面だけ取り繕うものが個性であるわけありません。個性や自分らしさがにじみ出てくるようになるには、それなりの苦労や経験が必要なのです。
それぞれの年齢や所属している組織で決められていることを守ることは必要なのです。プロ野球の選手であっても、サッカーの日本代表であっても、試合中のユニフォームはもちろんですが、試合の会場などへ移動する際にはスーツを着て移動しています。仕事だからです。楽に移動するのであればジャージなどが便利かもしれませんが、自覚をもっているから正装をしているのです。自分らしさを発揮すべきところ、それはピッチやグランドであることを誰よりも知っているからこそ、できることなのです。
自分自身に自信を与えていく人生が幸せなものさしをつくることにつながるのだと思います。
そして、自分自身が幸せを享受できるようになって、自分以外の人の幸せへと目を向けられるようにもなるのです。いま、当たり前だと思っていること、人権を再度見つめなおすことが自分らしさを発見する鍵なのかもしれません。その鍵を手に入れさえすれば、今年の干支である辰のように人生の上昇気流に乗れるはずです。
河合純一かわいじゅんいち
パラリンピック競泳 金メダリスト
生まれつき左目の視力が無く、少しだけ見えていた右目も15歳で完全に光を失いました。それまで見えていたものが全く見えなくなることは中学生の私には大きな衝撃でした。しかし、私には幼い頃からの二つの夢があり…
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