覚えているでしょうか。もう20年以上前の本「飛鳥へ、まだ見ぬ子へ」その後、映画にもなった。
井村和清さんという医師が、がんで亡くなる直前まで綴っていたもの。今でもよく覚えている文章がある。
「患者にとって、辛いことは3つあります。1つは病気が治らないこと、2つめはお金がないこと、3つめは誰からも気にかけてもらえないことです。この中でもっとも辛いのは「誰からも気にかけてもらえないことです」。この言葉が強く、そして辛くわたし自身の胸を締め付けた。
まるで自分だけが別の世界に取り残されたような錯覚
私が事故に遭い車椅子生活になったのが20年前、22歳の時。担当医師が告げた言葉。「君の足は、たぶん動かないでしょう。君はまだ若いのだから気を強くもって生きていってください」
その直後は「これは私のことではない」と現実逃避し、次に「何か悪いことをした罰だろうか」と自分を責め、「なぜこんなことになってしまったのか」と思いつつ、現実を受け入れる。しかも、現実を後ろ向きに受け入れる。「どうやって死ねるだろうか」と。
よくよく考えてみると「歩けないイコール死にたい」ではないのです。歩けないことによって、もうこの世の誰からも必要とされなくなったに違いない。怪我をする前の友達は以前のように付き合ってくれないのではないだろうか、まるで自分だけが別の世界に取り残されたような錯覚をしていた。
孤独や疎外感が「死」と結び付けていた。
恋人からの手紙
その当時、恋人がいた。結納の2週間前の事故だった。自信や希望を失っていた私に恋人は言った。
「僕がひとみの足になってあげる」「とりあえず5年、いや3年でもいいからがんばってみようよ。もし、それでもがんばれなくなったら生きることに疲れたら、その時は一緒に死ねばいい」
病室のベッドの中で何度も何度も繰り返し、この手紙を読んだ。私を必要と思ってくれる人がいる。その人が一緒に生きようと言っている。それが肉親ではない、他人が。このことがどれほど私を励ましてくれただろうか。障害があることによって、人間としての価値まで劣ってしまった、半人前なのだ、と卑下していた私に希望の光をくれた。
今ならば、違う。身体的障害や社会的地位、男女や年齢が、その人の人間としての価値には関係しない。皆、同じだけの価値があるのだ、と思える。それが心の奥底にあれば、どんな状況においても気持ちは崩れない。しかし、体が病んでいるとき、人は正常の判断をしにくいもの。その時に誰かが、その人を必要だと、こころから思ってくれること、それを本人が気づくことが、どれだけ救いになるだろうか。
南こうせつさんが私にこんなことを言ったことがある。
「究極のボランティアは、命をくれた親に対し、一生懸命生きることだ」と。
しかし、孤立無縁の中で人が積極的に、しかも明るく生きることは、簡単ではない、どこか気持ちが歪んでしまう。
21世紀は心の時代と言われながら自殺者は減らないし、心を壊す人も増えている。原因は複雑になり、多様だろうが、しかし、最終的な気持ちの支えは「誰か心から気にかけてくれる存在」のような気がする。死を考えていた私が、恋人の愛によって生きる気力を取り戻し、社会復帰をした。
私は思う。障害を持ったことによって、その人の人生が一生浮かび上がれなってしまうものではない、と。むしろ、障害以前よりもさらに、成長した生き方をしたいものです。
私の場合、障害をもったことによって、より一層生きる機会を余分に与えられたと考えている。
次は誰かのために何かをできるだろうか
よく人は他に優しさを渇望するが、どれほど自ら人に心を与えているだろうか。
鈴木ひとみすずきひとみ
バリアフリーコンサルタント (UD商品開発とモデル)
1982年ミス・インターナショナル準日本代表に選出され、ファッションモデル等として活躍するが、事故で車椅子生活に。自殺を思うほどの絶望の淵にいたが、恋人や家族の愛に支えられ生きる希望を見いだす。障害者…
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