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コラム 人権・福祉

2005年03月01日

アテネパラリンピックがくれたもの(後半)

アテネに出るためには【国の枠】というものを獲らないと出られない。それはオリンピック(パラリンピックも同じ)のない3年の間に、決まった国際大会に出場する。そこで基準点以上を最低2回出さないといけない。それで、0.6人が日本の枠となる。つまり3人が基準点以上を出すと約2人の出場枠をもらえる。

しかも、国の枠であって、個人の枠ではない。たとえ、私が獲ってきた枠でも国内予選で負ければ、ほかの人がアテネに行く、というわけ。

この枠を獲るために、アテネの前の年は約2ヶ月海外で過ごした。仕事をセーブし、家事も大幅に手抜きし、許す時間を射撃につぎ込んだ甲斐もあり、念願のアテネ出場を勝ち取った。 世界選手権とパラリンピックの一番の違いは、みんな国を背負ってきていること。 国によってはメダルを獲ることで選手、コーチを含め、その後の地位や待遇、収入が大きく変わってくる。残念ながら汚い側面もある。

たとえば私の場合、試合の直前に、ある国の審判員が私の銃にクレームをつけてきた。
事前に銃剣査というものがあり、公式練習もあるにも関わらず、試合5分前にやってきて動揺させる。
あれこれと問答があって結局クレームは却下されたが、すでに試合は始まっている。2試合目にも同じことをされ、それが意図的なものだと気付いた。理屈では、気にすることはないと分かっているのに、私は胸がドキドキして収まらない。アドレナリンが異常分泌して小さなものが見えなくなってしまった。

結果は、ひどい点数だったが60発すべて、一発たりともいい加減な気持ちでは撃たず、ベストを尽くしたと思う。

今までの私の人生も投げ出さず、ひとつひとつ問題を乗り越えてきた
だから、わたし自身のためにも投げてはいけない、と自分に言い聞かせつつ、とても苦しい試合だった。
そして、もう1つ心に大きくあったことは、アテネに出られなかった選手のこと

今の日本では障害者がスポーツで食べていくことはできない。特に射撃というマイナーなスポーツはスポンサーも付きにくい。しかし、世界のトップになるためには、努力だけでなく、経済的負担、海外に行く時間の余裕も必要です。その割に注目されない。そんな中、一緒に海外遠征に行ったが、無念にも、アテネには選ばれなかった人たちもいる。

また、それ以外にも、海外に行かずとも、国内でがんばっている多くの射手がいる。
ある人は、国際大会に出るため、休みを取ったならば会社に居づらくなるので行けない。障害者は一般の人よりリストラの対象になりやすい。また、ある人は海外へ遠征する費用を捻出できない。障害をカバーするためのサポーターを頼めない。それでもなお、射撃をやめずに国内の大会に出てくる選手のことを思うと、私には、いい加減な試合はできない。

せいいっぱい努力することが彼らに報いることだと思う

4年後の北京に出られるかどうかは分からない。それまでにやるべきことは分かっている。審判よりルールを熟知し理論武装をすること。実は相手は理不尽なことを言っていると悟っているはず。だから「これは侮れないぞ」という気持ちにさせる。

同時に少々のことには動じない強い精神力を養うことです。
この20年で、障害者スポーツは、リハビリから競技スポーツになってきた
今度は次に障害を持つ人のために、道を切り拓くこと、もっと楽にスポーツができる環境をつくることも今、私たち、障害をもつアスリートの与えられた役割ではないか、と思っている。

鈴木ひとみ

鈴木ひとみ

鈴木ひとみすずきひとみ

バリアフリーコンサルタント (UD商品開発とモデル)

1982年ミス・インターナショナル準日本代表に選出され、ファッションモデル等として活躍するが、事故で車椅子生活に。自殺を思うほどの絶望の淵にいたが、恋人や家族の愛に支えられ生きる希望を見いだす。障害者…

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