アルメニアとアゼルバイジャンによるナゴルノ=カラバフ紛争。領有権問題を巡り複雑に絡みあうナゴルノ=カラバフ問題について触れていきたいと思います。これまでアルメニアとアゼルバイジャン、そして旧ソ連の歴史がナゴルノ=カラバフに絡み合ってきました。ナゴルノ=カラバフとは高い場所、高山地域にあるカラバフという意味。紀元7世紀ごろにはこの一帯にアルメニア人が居住していた背景があります。ソ連時代はアルメニアとアゼルバイジャンは同じソ連構成国であり、ナゴルノ=カラバフはアゼルバイジャン領内にある自治州でした。その理由はスターリン時代にアルメニア人の民族主義高揚を警戒しアルメニア系住民が多く暮らすナゴルノ=カラバフをあえてアルメニア側に編入させず、アゼルバイジャン領内の自治州に分断させ取り込ませた背景があります。
1991年のソ連崩壊後にアゼルバイジャンとアルメニアがそれぞれ独立するとアゼルバイジャン領内にあるはずのナゴルノ=カラバフ自治州も独立を主張。ナゴルノ=カラバフに住むアルメニア系住民支援のアルメニアがアゼルバイジャンと第一次の紛争を開始。結果はアルメニアが大勝。ナゴルノ=カラバフはアルメニア領域に組み込まれます。2020年の第二次ナゴルノ=カラバフ紛争ではトルコの軍事支援を受けたアゼルバイジャンが勝利。ナゴルノ=カラバフを自国領土に再編入しました。アゼルバイジャンはトルコ系住民が多く暮らしイスラム教シーア派の国。アルメニアはアルメニア正教(キリスト教)であり、かつ第一次世界大戦時にオスマントルコ帝国と対峙した連合国側にアルメニアが軍事同盟参戦したことでトルコ側にとっての敵対国。ここからアルメニア人大虐殺事件につながっていった背景があります。
現在のナゴルノ=カラバフにはアルメニア系住民約12万人が居住していたのですが10万人以上がアルメニア側に避難しました。今回の紛争ではアゼルバイジャンが勝利、アルメニア側が敗北を認めました。この戦況にはロシアの平和維持部隊がアルメニアの支援要請に応じなかったことがあります。というのもロシアはウクライナ戦争における兵力の分散と不足、さらにアゼルバジャンとトルコの関係を重視したと考えられます。アゼルバイジャンはトルコ系住民でありイスラム教国。アゼルバイジャンを同盟国としてトルコが軍事支援。アゼルバイジャン側はトルコに石油・天然ガスを供給。両国は事実上の同盟国でありロシアにとってはウクライナ戦争におけるトルコの仲介力は戦時外交のキーマン。トルコを意識した外交戦術に舵取りした結果、事実上アルメニアがロシアに切り捨てられた形になりました。
それゆえアルメニアのパシニャン首相は旧ソ連国でありながらウクライナ戦争におけるロシア軍事侵攻を支持せずの立場。旧ソ連圏国家で構成するロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)の合同軍事訓練に参加せず訓練場所も提供しませんでした。アルメニアがロシアに切り捨てられたと判断したことで自国安全保障のためアメリカや欧州の軍事連帯にシフトすることは必然の状況であります。敗戦となったアルメニア側はナゴルノ=カラバフをアゼルバジャン領土として認める決断しながらもアルメニア支援の欧米諸国の外交支援介入の余地を残しています。ナゴルノ=カラバフをめぐるアルメニア支持の欧米諸国とロシアが支援するアゼルバイジャンの対立構造が南カフカス地域で激化する可能性が高まっています。
渡部陽一わたなべよういち
戦場カメラマン
1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…
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