南アフリカ・サッカーワールドカップが開催された。アフリカ大陸初のワールドカップの開催に、世界中が歓喜の渦にのみこまれた。
日本で語られるアフリカのイメージは、動物が自由に闊歩し、狩猟生活を送る方々がいる地域、だからこそ、アフリカワールドカップ開催は祝福と驚きに満ちあふれたものとなっていた。イメージで語られるアフリカがそこにあった。
大陸というくくりではなく、アフリカの一つ一つの国を見ていったらどうだろう。現在アフリカ大陸には54の国がある。
東のケニア、西のセネガル、南の南アフリカ、北のエジプト。そこに住む人々の慣習、文化、言葉、すべてがまったく異なる。子供たちの生活環境をとっても千差万別で、英語圏、フランス語圏、アラビア語圏と、使う言葉だけでも異文化の様相が見て取れる。
だからこそ、アフリカに住む子供たちの声を聞いてみたい。アフリカの一つ一つの国に目を向け、そこに住む子供たちの生活を実際に見届けてみた。
アフリカ西部、ガーナに住む子供たちは、毎日、お揃いの制服を着て学校に通っていた。もともと学校が無かった地域に小中学校が開校し、周辺一帯はもちろん、遠方からも子供たちがスクールバスに乗って勉強にやってきていた。ここには子供たち誰しもが学校で学べるという”新しい環境”が出来上がっていた。子供たちは初めて、学ぶ喜びに触れたのだった。
アフリカ中東部ウガンダの子供たちは、伝統的な土壁の家屋に住んでいた。そこには水道もガスも電気も無く、日本とは大きく異なる生活環境があった。
子供たちは、自宅にいる時には上半身裸でかけまわり、両親の農作業を手伝う。小さな弟たちに水浴びをさせたり、髪の毛をアフリカ版三つ編みに編んであげていた。お手伝いを終えてから学校に通う。紫と黄色のグラデーションの入った真新しい制服を着込んで、元気よく学校に歩いて通っていった。
アフリカの一つ一つの国、そこに住む一人一人の子供たちの声を聞き続けたい。
渡部陽一わたなべよういち
戦場カメラマン
1972年9月1日、静岡県富士市生まれ。静岡県立富士高等学校 明治学院大学法学部卒業。戦争の悲劇とそこで生活する民の生きた声を体験し、世界の人々に伝えるジャーナリスト。 世界情勢の流れのその瞬間に現場…
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