6月に入り田植えの時期を迎え、各地では田植えがすべてすんだ所、また田植え真っ最中といった所も見受けられるのではないでしょうか。きれいに植えられた苗が風に心地よさそうに揺れる頃、蛙の合唱が聞こえてくる光景が遠い幼い頃の懐かしい思い出でもあります。しかし今では、その長閑な自然の贈り物でもある蛙の鳴き声を、身近で耳にする機会が少なくなったように思います。
田植えが終わると共に、昔は水が張られた田んぼの上を蛍が舞っていたのも脳裏に浮かんできます。蛍は綺麗な川や、農薬のない田んぼでしか見ることができないもので、今では見られる場所も限られています。古きよき時代の日本の原風景、そこには技術や文明の発達はみられませんでしたが、自然の生態系が邪魔されることなく息づいていました。
今の若者や子どもたちが、イチゴは冬の果物だと思っていることに驚かされます。実際イチゴは、春先4月から初夏にかけての果物です。技術が発達し本来の旬を待てない人間がもたらしたこのようなことが、それぞれの季節にあるべき居場所をなくしています。本来あるべき居場所が人間の自然に背いた行動によって失われているという現実が、自然界を見ても伺えます。
人の世界、特に子どもの世界でも本来、温もりがあり安心して身を置くことのできる家庭や家族が居場所とはならず、大人たちの勝手な行動による境遇の中で、どこにも行き場のない子どもたちが数多く存在しているのも現実です。
子どもたちを受け入れ、育てていくという社会のシステムが崩れてしまっている一方で、社会に適応していくには、色々な障害を抱えていたり、精神的に弱い部分をもつ子どもたちが増えてきています。その子どもたちが自立していくには、時間をかけて、周りが専門的に援助していかなければなりません。
彼らは福祉や司法、医療の狭間にいる子どもたちです。子どもが社会において一人で生きていくことは、並大抵のことではありません。そうした子どもたちを周りがどう援助できるかが、とても重要になります。
また、犯罪に関わった人や非行少年の再犯防止には、刑事施設・少年施設での処遇を受け社会に戻った後、どのようにして実質的な意味で社会に受け入れその人の居場所を確保できるか、どのようにして生活再建を支援することができるのかという、社会の受け皿が重要な課題になります。
人が真っ直ぐ歩みを進めていくうえで大切なことは、植物を栽培することに例えれば、適していない環境で育てられてきた植物に対して、本来持つ力で自然に育つための環境を整えること、つまりその植物に適した肥料や水そして日の光が当たるような環境を整えることであると思います。
命あるものは全て、本来あるべき姿や時、そして場所があるものです。それが確保されて始めて安心して花を咲かせ実をつけることができるように思います。人も同じ。「そこだからこそ、立ち上がり実れる」という場所があります。
忙しい世の中、大人も子どもも日々歩みを進めながらも、心の中で自分が心地よいと思える居場所を探しているように思えてなりません。人は誰でも何かと戦っています。自分の弱さであったり、恐怖や悲しみ、そして見えない不安など、様々なことに心を迷わせ、時には心を震わせながらも歩みを進めています。それが生きるということなのかもしれません。だからこそ魂が喜ぶ「本当の心の居場所」を恋い慕っているのではないでしょうか。
幸せの基準は人それぞれですが、各々自分自身が心地よいと思える居場所を見つけた時、社会はもっと優しく穏かになるような気がします。
貴方は、今、心の居場所をお持ちですか?
春日美奈子かすがみなこ
フリージャーナリスト
國學院大學大学院法律研究科法律学専攻修士課程修了。報道畑25年の経験を生かし、少年院や教護院(現・児童自立支援施設)での実習を通し、常に現場の”今”や”生の声”を大切にして、少年問題に取り組んでいる。