最近、夕方コンビニの前で、子供用の栄養ドリンクを飲んでいる子どもの姿を見かける。おそらくこれから、塾に行くのであろう。子どもは、子どもなりに精一杯頑張って生きている。
今の子どもは、子ども時代を子どもとして生きることが許されない、そう思わざるを得ない事にぶつかる。将来のためにと、子どもへの期待も過剰になり、早くから押さえ込まれ、教えこまれて生きざるを得ない子どもが増えている。これは、「あなたのため」という言葉で、子どもの意思や力を無視し、自分の欲求や主体性を認めてもらえず、人間としての価値まで否定されている現実がある。そして、そのために欲求をつぶされ、大人に対する信頼も持つことができずに、自分で自分を傷つけたり、問題行動を起こさざるを得ないところに追い込まれたりし、一人の人間として、心の豊かな人間として成長・発達できないでいる。更生施設で向き合う子どもは、こういった背景を持つ子どもが多い。
平成に入り、プロの棋士が、中学一年生の長男に殺害される事件が起こった。この少年は、世間で言う名門とされる中学に通い、成績もよかったという。非行少年・犯罪少年というと、すぐに勉強ができないダメな子、生活が乱れた子という偏見が先につくようだが、この事件は、成績が優秀であり、両親も揃い家庭もしっかりしている子どもでも、事件を引き起こすということを、私たちに突きつけた事件でもあった。
まじめで教養もあり、経済的にも中流以上の家庭の子どもが、社会に適応できずに事件を起こすケースが、最近増えている。
今の社会の高学歴志向は、人間の評価尺度を大きく狂わせてしまった。人をまず学歴から判断し、学力だけが人間の価値基準として固定化されているような傾向がある。勉強のできる優秀な子どもが、人間として素晴らしい人だと、人間そのものの価値を決めているように思えてならない。
人は、それぞれに磨けば光る素晴らしい原石を持っていると思う。手先が器用で、物を作ることが上手な子もいれば、素直で心優しい思いやりのある子も。足の速い子もいる。これも、みんな素晴らしい人間の能力です。学力だけが、人間の価値基準として優先させてはならないと思う。
子どもの教育は、他人の子どもと比較せず、その子の良い原石をみつけてあげて 、そこを大人が磨く手伝いをしてあげること。そうすることで、子どもは、自分の素晴らしい点に自信を持ち、伸び伸びと自分なりの花を咲かせることができるのではないだろうか。
子どもの非行や、事件、ひきこもりなど様々な問題行動は、子どもの親に対する無意識な抗議行動でもあり、本当の愛を求める子どもにとっての、精一杯の表現形式ではないだろうか。いつの世も子どもは親を求め、親に認めてもらいたいと願ってきた。
事件や問題を起こした子どもは、起こす前に何らかのシグナルを発している。重大事件を犯した少年についても、多くの少年たちは様々な形で一生懸命信号を発していたことが分析されている。通常これは、「前兆行動」「予兆行動」と言われている。たとえば、窃盗や家出を繰り返す少年の場合のケースとして、この少年は、親の関心が薄く、十分に子どもとしての愛を受けられていなかった。少年は、親の心を自分に向かせるため、また、心配してほしくて窃盗や家出を繰り返していた。子どもが何らかの信号を出していることに早く気づき、適切な受けとめをすることが、とても重要になる。
子どもを突き放すのではなく、子どもを受けとめ、子どもに向き合いながら子どもにそった対応策を子どもと共に考えていくことが大切であり、なによりも、子どものSOSを早くしっかりと受けとめてくれる人、胸の内をしっかりと向き合って聞いてくれる人が、誰か子どもの傍にいることがとても重要になっているように思う。
社会が希薄で、たとえ貧しくなったとしても、”心”だけはどんな時も輝いている人間教育が重要になる。道を外して生きたいと心から願う子どもはいない。善くなろうという願いをすべての子どもが持っていること、そして、子どもたちが、どんな花を咲かせ、実を実らせるかは、大人の育て方にゆだねられていることを、私たち大人はもう一度認識する時に来ている。
人とは、育むとは、教えるとは、そして人の幸せとはいったい何かということが、今、子どもたちを通して、問い直されているように思う。
春日美奈子かすがみなこ
フリージャーナリスト
國學院大學大学院法律研究科法律学専攻修士課程修了。報道畑25年の経験を生かし、少年院や教護院(現・児童自立支援施設)での実習を通し、常に現場の”今”や”生の声”を大切にして、少年問題に取り組んでいる。
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