都心の電車の中は、いつものことながら混雑していた。そうした中、新宿から目の不自由な方が盲導犬と一緒に電車に乗ってこられた。新宿という駅は、乗降客の流れが多く、しかも激しい場所でもある。その日も押し合って乗り込もうとする人であふれていた。その方は、その人の波に押し込まれるような格好で中に乗り込まれた。しかし、誰も席を譲ろうとする人はいなかった。
「あぁ、なんとかしてあげられたらいいなぁ」と思いながら私は、遠くからその方の様子を見ていた。
その時、ある若者がその男性の傍らに寄り添い、自分が盾になってその男性が他の人から押されないで、ゆっくりとできる空間をつくっている姿を見た。
若者は人から押され、顔を赤らめながら踏ん張ってその男性の盾になっていた。
その姿は、本当に立派だった。
若者は、茶髪にぶかぶかのズボンという格好をしていた。身なりがしっかりしていて善良そうな顔をした人が、見て見ぬふりをしていた。社会から、とかくはみ出しているとみなされてしまうような人が、自分の体を盾にして弱い人を守っていた。私にできることは、盲導犬の足が心無い人に踏まれないように守ることしかなかった。その時の車内の人々は、人にも犬にも冷たかった。その光景は、今でも思い出す。
電車が、渋谷に着くと人々は自分のことだけを考えて我さきにとホームに降りようとする。男性が人に揉まれそうになりながら降りる時もその若者は、押す人間の盾になってまた空間をつくり安全にその男性をホームに送り出してあげていた。
自分の姿も声も、その目の不自由な男性に知らせぬまま空気のような存在として、一人の人間を何食わぬ顔で守った若者の姿に、日本もまだまだ捨てたものではないと思い、一人微笑んだことを覚えている。
今の世の中は、とかく格好や学歴、その人の背景を見ながら人を判断することが多く、それによって人の評価を決めその人間の本当の姿を見ようとはしない。偏見や色メガネで人を見ることの危険性を改めて考えさせられたことでもあった。若者の格好だけを見たらその姿に誰もが眉をひそめるかもしれないが、その服の下にある裸の彼の心は他の誰よりも純粋で思いやりのある優しいものだった。
学歴主義という風潮が強い今の社会は、形や数字といったもので人の価値を決めることが多い。何故、そんな世の中になってしまったのだろうか。それは、社会に生きる大人に自信がないからだと思う。自信がないから愛や優しさといった形のないものは信じられず、お金、学歴、地位、権力、そして子どもに対しては偏差値といった形あるもので判断し評価している。そして、大人もその形あるもので評価する社会の中で自分自身を守ろうと躍起になって生活している。
それぞれが自分を中心に回り、他の人を尊重しないで歩き続ける限りいつまでたっても人の「和」をつくることはできない。そんな大人社会で子どもが子どもらしく伸び伸びと育つはずがない。
社会には、色々な職種の人たちがいる。そういう人たちがいてこそ社会だ。それぞれの能力や存在をお互い認め合いながら互いに手を繋いで輪をそして、人と人の和を育んでいくことが今の社会においてとても重要なことになっていると思う。弱い者の姿に目を背けるのではなく、その弱い者の姿をはっきりと見据えそれを支えながら大人と大人が手を繋ぐ社会になれば、弱い立場の子どもやお年寄りの心が見えてくるように思う。
教育は、机上のものだけでなくそれ以上に子どもの傍にいる大人の生きる姿が子どもの学びに大きな影響を与えます。子どもの手本になるような心豊かな大人として今、あなたは子どもの前に立っていますか?
春日美奈子かすがみなこ
フリージャーナリスト
國學院大學大学院法律研究科法律学専攻修士課程修了。報道畑25年の経験を生かし、少年院や教護院(現・児童自立支援施設)での実習を通し、常に現場の”今”や”生の声”を大切にして、少年問題に取り組んでいる。
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