また日中関係がおかしくなった。私は中国に駐在し、もう8年以上もここで仕事をしている。これまでも小泉首相の靖国神社参拝問題や日本の安保常任理事国立候補、尖閣諸島での漁船衝突事件などで何度か日中関係が悪くなった時期があったが、今回のは相当深刻だ。直接の引き金は、日本が尖閣諸島を「国有化」したことにある。しかしそれだけでこんなに中国人が”怒り狂う”のも何か納得がいかない。
「国有化」が胡錦濤主席と野田首相の会談直後だったことで、タイミングが悪かった云々が言われているが、私は今回の事件は、中国という国家がもともと考えていて底流に存在していたものが、一気に噴出したものだと思っている。今回は、北京にいて私が普段から感じ取っていたことをまとめてみたい。
中国の現共産党政権における政策や外交、国際社会での振る舞いを日常からよく観察していると、この国には大きく3つの目標があることがわかる。この3つはある種国家原則と言い換えてよいかもしれない。
一つは、「中華民族の復権」である。ご存じのように中国は有史以来、長きにわたり世界の大国であり、経済面においても文化面においても世界をリードしてきた。しかし清朝末期の19世紀半ば頃から欧米列強に国土を侵略され、20世紀に入ると日本にも侵略された。さらに1949年の新中国設立後も国内の混乱が続き、経済は大きく低迷した。長い中華帝国の歴史の中でこの期間は、大国中国にとっては”屈辱の150年”だったのだ。
中国は1980年頃から始まった改革開放政策で経済成長を取り戻し、2010年にはついに名目GDP(ドルベース)で世界2位になるまで回復した。経済大国になった今、中国はかつて奪われた(と中国が思っている)土地や資産を回収し、再び中華民族の大国として世界のリーダーに返り咲くことが国家の悲願となっている。
ここで重要なことは、この目標が現政権の共産党のものだけでなく、中国の全国民、はたまた世界にいる華僑たちや台湾人の一部にも共有されていることである。私の周りの知識人で靖国や安保理事国問題の時はどうでもいいと言っていた人が、今回の領土問題だけは「100%中国のもので、必ず日本から取り返さないといけない」と堅く信じていることには驚いた。だからこの国では中華民族復権のためにやる行動は、例えそれがどんなに野蛮なことであったとしても、国民や華僑の支持が得られやすいのだ。
さて、実は今回の尖閣諸島領有権の問題は、第2次世界大戦後に欧米が中心になって定めた世界秩序への挑戦の過程だと考えてもよいと思う。中国は自身を戦勝国だと位置づけているが、当時新中国は主要国から承認されていなかったため、サンフランシスコ条約締結国には入れなかった。だから中国は今、この条約で決められた欧米中心の”戦後スキーム”を認めないという行動に出始めたのだ。尖閣諸島領有化の主張もその流れの中にある。
第二の目標は「大国としての生存」である。第一の目標とも少し重なるが、こうして復活して大国は今後も長く生存していかなければならない。そして13億人の人口の生存に必要不可欠なのは、他ならぬエネルギー資源である。だから自らの生存のための資源確保は国家の大命題であって、極端に言えば外交はそのためにやっているようなものだとも言える。
現代中国の”平和的台頭”政策は、周辺国と衝突をすると結果的に資源獲得などで不利になり、自らの生存に影響を及ぼすという過去の経験則からきている。しかし現在の中国はエネルギー多消費型のいわゆる”粗野な”発展をしてしまっているため早晩資源が不足し、自らの生存が脅かされてしまうのではないかという恐怖を感じている。過去の飢餓や貧困を経験したこの国は、この恐怖感たるや我が日本とは比べ物にならない。
だから良い面から言えば、中国は国内の省エネルギー化などは今後、それこそ死ぬ気でやるだろう。しかし一方では、資源獲得(=生存)のためには手段を選ばないということになる。北京のある著名な大学教授は授業で、「島(釣魚島)はいらない、その変わりあそこの資源をくれ」とまじめに日本人学生に言ったそうである。
第三は「社会の安定」である。現在の中国は貧富の格差や官僚の腐敗、国民の拝金主義などによるモラル崩壊が、客観的に見ても世界のどの大国よりもひどい状態にある。現政権が最も恐れているのは、こうした国民の不満と不安が大きな社会運動となり、ひいては政権崩壊に向かってしまうことである。
よく知られているように、江沢民時代に始まったと言われる愛国主義教育は、「反日」というわかりやすい方向に国民を導くことで国民の間に深く浸透し、特に今の若い世代はすっかり”洗脳”されてしまった感がある。私は9月16日に北京の日本大使館前で起こった反日デモをこの眼で見てきた。デモの先頭に立っていたのは目付の悪い人たちであり、とても一般市民の蜂起には見えなかった。
日本でも報道されているように、今回のデモは中国当局も容認した”官製デモ”であることは、私のまわりのいろんな状況からも推測がつく。今回の日本政府の「国有化」は、まさに政権交代の不安定期にあった現政権にとっては、国民を結束させる格好の”材料”となってしまった感がある。
今回の尖閣諸島領有化問題は、上述した大国中国の3つの目標を達成するための”琴線”にぴたっと嵌ってしまったのだ。「第二次大戦後の欧米主導スキームの否定」、「生存するためのエネルギー資源として譲れない海域」そして「不安定化する国民を結束させられる反日」。
国家のシンクタンクのある研究者が先日私にこう言った。中国が何らかの経済制裁手段を取ると我々中国にもかなり影響が出ると思います。どのくらいの影響があるか日本側は試算していますよね。そのデータをもらえませんか?」
北京(現政権)は、”国家の悲願”を達成するために今後も一切の妥協はしないだろう。しかしその行動が世界の中で自らにどのような形で跳ね返ってくるか、実はそのことがわからないままなのではないか。中国は、やり方や程度を一歩間違えると、本当に中国は自滅してしまうかもしれないと気づき始めている。そのことが彼らの自制につながることを期待したい。
松野豊まつのひろし
日中産業研究院代表取締役
1955年大阪生まれ。京都大学大学院工学研究科衛生工学課程修了。株式会社野村総合研究所経営情報コンサルティング部長を経て、2002年に野村総研(上海)諮詢有限公司を設立し(野村グループで中国現地法人第…
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