世論の期待が低い小沢新党~熱気があった19年前とは対照的
小沢一郎氏がついに民主党を離党し、7月11日に新党を結成する。今回の小沢氏の動きは、政治改革をめぐって自民党を飛び出し、新生党を結成した19年前を思い起こさせる。19年前の1993年は、その直後の総選挙で小沢氏の率いる新生党など非自民勢力が躍進し、細川内閣を誕生させた。小沢氏は今回も政界再編を描いているのだろうか。
だが19年前と今回では大きな違いが二つある。まず、今回は世論の支持がないことである。19年前は新生党のほかに、細川氏が率いる日本新党、武村正義氏の新党さきがけなど新党ブームが巻き起こり、政権交代に対する期待が高まっていた。一種の熱気のようなものが感じられたといえる。当事者である政治家も興奮していた。
しかし今回は、どの世論調査をみても小沢氏、あるいは小沢新党に期待する人の割合は10~20%台にとどまっており、世論は熱気どころか、むしろ冷ややかだ。
小沢氏らの行動も少しもたもたした印象がある。今回、小沢氏らが衆議院本会議で消費増税法案に反対票を投じたのが6月26日、離党届を出したのが7月2日、そこから新党結成(7月11日)までさらに9日間……結局、造反から新党結成まで半月かかった。その間、離党するかしないかで輿石幹事長と何度も会談したり、離党届を撤回する議員が出たりなど、やや白けさせる場面も見せられた。19年前の造反(宮沢内閣不信任案に賛成)も6月だったが、そこから自民党離党・新生党結成までわずか5日間で一気に突き進んでいったのとは対照的だ。
消費増税への態度は正反対~「国民福祉税」を推進
もう一つの大きな違いは、消費税に対する小沢氏の立場だ。小沢氏はあくまでも消費増税に反対して民主党離党・新党結成へと動いたわけだが、当時は逆だった。
小沢氏らが押し立てる形で1993年8月に誕生した細川内閣にとって最大の課題は政治改革だったが、それに続いて消費税引き上げ問題が懸案となっていた。そんな中、1994年2月に細川首相は緊急記者会見を開き、「国民福祉税構想」を発表した。
当時3%だった消費税を国民福祉税に衣替えし、税率を7%にするというもので、事実上の消費税引き上げだった。驚いたのは、その発表が深夜の午前1時過ぎだったことだ。私は当時テレビ東京で「ワールドビジネスサテライト(WBS)」を担当していたので、オンエアが終わってから局で記者会見を中継で見ていたが、突然の深夜の記者会見、しかもその内容が国民福祉税ということで、きわめて唐突に感じたことを鮮明に覚えている。
その国民福祉税構想は、実は小沢氏が大蔵省と組んでまとめたものだった。当時の武村正義官房長官は消費税引き上げに反対していたため、小沢氏は国民福祉税構想を武村氏に知らせず、細川首相を説得して発表させたのだ。しかしその直後から武村官房長官や社会党など、与党内部で激しい反発が起こり、国民福祉税はわずか数日で白紙撤回に追い込まれてしまった。
それほどまで強引に消費税引き上げを推進しようとしていた小沢氏が、今度は消費税引き上げに反対して離党し、新党を結成するのである。こうしたこところが「小沢氏は”政策より政局”の人」と批判される理由なのではないだろうか。
消費税引き上げに国民の批判が多いのは確かだ。だが、新党を結成する以上、「消費増税の前にやるべきことがある」と言うだけでは済まない。その「やるべきこと」を具体的に示すとともに、消費増税なしにどのように財政再建を実現するのか、その道筋を明確にする責任があるだろう。小沢新党が国民の支持を広げられるかどうかは、その「政策」にかかっていると言えるだろう。
“政局より政策”の政治を!~細川内閣からの教訓
あえて付け加えるなら、小沢氏が主導した細川内閣もまた「政策より政局」の内閣だった。宮沢内閣への不信任案提出から始まって、総選挙、そして細川内閣誕生といういきさつから、細川内閣の最大の課題は小選挙区導入を柱とする政治改革だった。そのため細川内閣と与野党は政治改革をめぐる政治的な駆け引きに時間を費やし、まとまったのは翌年の1994年1月になってからだった。そのことが一因となって経済政策は遅れをとったと言わざるを得ない。
細川内閣が発足した1993年8月は全国的に冷夏となり、折からの円高も加わって、回復しかけていた景気はたちまち腰折れしてしまった。細川内閣は9月になって6兆円規模の景気対策を打ち出したが、それでは不十分だった。当時はバブル崩壊後の不況が大底局面を迎えていただけに、本格的な景気テコ入れが必要だったにもかかわらず、永田町の関心はもっぱら政治改革に向けられていた。政治改革協議がまとまらないため、その翌年度(94年度)予算案が年内に編成できず、越年してしまったほどだ。
そして前述の国民福祉税問題をめぐる与党内の対立激化がきっかけとなって、細川首相は94年4月、内閣発足からわずか8ヵ月で投げ出すように退陣してしまうのである。その後を継いだ羽田内閣もわずか2ヵ月で終わり、まさに政局は混迷の度を深めたのだった。この細川、羽田両内閣の時期(だけではないが)の経済政策の立ち遅れが、バブル崩壊後の低迷を長期化させる一因となったと断じざるを得ない。
あれから18~19年。現在もまた経済政策はきわめて重要な局面にある。消費増税だけでは財政再建は不可能であり、どのように財政再建を進めていくのか、さらには経済活性化を進めて日本経済の成長力をどのように高めていくのか――小沢新党をはじめ各党が、目先の選挙対策ではなく中長期的な視点での経済政策で競う、そのような政治を期待したいものである。
岡田晃おかだあきら
大阪経済大学特別招聘教授
1947年、大阪市生まれ。1971年に慶應義塾大学を卒業後、日本経済新聞社へ入社。記者、編集委員を経て、テレビ東京へ異動し、「ワールドビジネスサテライト」のマーケットキャスター、同プロデューサー、テレ…
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