いま世は坂本龍馬ブームである。NHKの大河ドラマが直接のきっかけだが、ブームの背景には、坂本龍馬のようなリーダーの再来を待ち望む、現代人の願望があるのだろう。今日の状況は経済の先行きが見えず、政治も混迷のきわみ。こうした時代を乗り越えて新しい時代を切り開いていくには、坂本龍馬のような人材が必要なことを、誰もが感じているのだ。
ではなぜそこまで坂本龍馬は人々をひきつけるのだろうか。龍馬の優れた資質と魅力は、①時代の流れと先行きを見通す先見性②グローバルな視野③ビジョンに基づく戦略・方針④人を動かす交渉力――の4つにまとめることが出来る。特に、薩長同盟から大政奉還に至る動きにそれはよく表れている。
優れた先見性で薩長の変化見抜く
まず第1の先見性。龍馬は幕府の支配体制がもう限界に来ていることをいち早く見抜き、新しい政治体制が必要と考えた(その具体案は後の「船中八策」に示されている)。その中心的存在として薩摩藩と長州藩が手を組むべきだと考えるに至り、薩長同盟を仕掛けたのである。当時、薩摩と長州が犬猿の仲だったことを考えると、ケタ外れの先見性と言える。
しかも薩摩、長州それぞれの藩の変化と先行きをも見抜いていたのである。薩摩も長州も攘夷論の急先鋒だった。薩摩は横浜・生麦で行列の前を通りかかった英国人を殺傷し、薩英戦争を引き起こした(1863年)。長州は下関沖を通過した米艦などに砲撃をしかけ、欧米4カ国艦隊との交戦に発展する(下関戦争、1863~64年)。しかし両藩とも、欧米の圧倒的な軍事力の前に大敗を喫した。そこで薩摩、長州は攘夷が不可能なことを悟り、攘夷を捨てたのだ。外国に侵略されないためには自らの力をつけるしかないと決断して、英国などから軍事技術や経済援助を導入、藩の軍事力や経済力を向上させた。薩摩は一足先に偏狭な攘夷論から脱していたが、長州でも1864年に高杉晋作が藩の実権を握って改革を始めた時期だった。龍馬はそうした変化を見て、薩長同盟は可能と読んだのだろう。
当時、最もグローバルな日本人
このことは第2のグローバルな視野にも通じる。偏狭な攘夷論では日本は生き残れないと薩長を説得、欧米列強に侵略されないような新しい日本を作るために奔走した。当時のほとんどの武士が「藩」という立場でしか物事を判断したり行動できなかったのに対し、龍馬は藩の枠を超え、世界の中で日本の進むべき道を常に考えていた。自らは、日本初の商社といわれる亀山社中を長崎で設立して貿易業を営み、グローバルな視野を磨いていた。龍馬はおそらく当時の日本人で最もグローバルな視野を持った人ではないかと思われる。
第3は、ただ先見性やグローバルな視野を持っていただけでなく、それをもとにした明確なビジョンと戦略をもっていたこと。それは、1867年6月に龍馬がまとめた「船中八策」によく表れている。「船中八策」では「政権を朝廷に奉還し、政令は朝廷より出すべき事」と大政奉還を掲げ、議会開設や憲法制定、官制改革などを提言している。これをもとに同年10月に大政奉還が行われた。また暗殺される直前の同年11月には「新政府綱領八策」を執筆し、これらは明治政府の骨格となった(しかし周知のように、本人はその実現を見届けることは出来なかった)。
粘り強い交渉で同盟成立にこぎつける
第4は人を動かす交渉力。龍馬が最初に薩長同盟を仕掛けたのは1865年のことだった。龍馬は長州の桂小五郎を説得、龍馬の盟友・中岡慎太郎が薩摩の西郷隆盛を説得して、下関での会談を約束するところまでこぎ着けた。これだけでも大変な交渉力だ。ところが西郷が会談場所に現れなかった。桂小五郎は激怒したという。普通ならこれで話しが終わるところだが、龍馬はあきらめなかった。そこでとった奇策が、亀山社中が薩摩藩名義で7000挺余りの銃をグラバー商会から買い付けて密かに長州藩に回す、その見返りに長州は米を薩摩に供給するというものだった。これは、幕府の攻撃にさらされて武器が不足していた長州、米が不足していた薩摩の双方にとって大いにメリットのある”裏取引”だった。こうした地ならしを積み重ねた結果、1866年1月についに京都で薩長同盟が成立した。実はこの同盟成立のときも、龍馬の交渉力がいかんなく発揮されている。京都で桂と西郷の会談が開かれたものの、龍馬の到着が遅れ、なかなか進展しなかった。10日以上たってから龍馬が到着して両者を説き伏せ、ようやく同盟が成立したという。
龍馬は交渉力に優れていただけでなく、人をひきつける魅力があったようだ。桂や西郷だけでなく、勝海舟にもかわいがられていたし、前福井藩主・松平春嶽をはじめ多くの大名や公家の知遇を得ている。大事を成すには人間的魅力も必要なのかもしれない。
こうしてみると、この4つの資質は現代の政治にも経営にも通じるものである。「平成の坂本龍馬」の登場を待望するだけではなく、坂本龍馬から多くのことを学び取り、政治や経営に生かしていく努力が必要だろう。
岡田晃おかだあきら
大阪経済大学特別招聘教授
1947年、大阪市生まれ。1971年に慶應義塾大学を卒業後、日本経済新聞社へ入社。記者、編集委員を経て、テレビ東京へ異動し、「ワールドビジネスサテライト」のマーケットキャスター、同プロデューサー、テレ…
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