「羽中田へ、慈恵医大の松本より。先日、NHKの番組でこんなことを言っていました。人間の運命で最も大切なものは何かという質問に対して『出会い』という答えを出していました。自分の全てをさらけ出し、自分の持っている力を出し切った時、相手になってくれる方、ないしは物が全てを出して応えてくれる。それが結論だったようです。自分の持っている力を余すことなく出し切り、相手の力を引き出しながら自分のものにしていく、君のそのサッカーに対する姿がこの話に当てはまると思います。 (中略) 羽中田、病気も怪我も気力だよ。自分で治そうとしなかったら治らない。あの、検見川のグランドいっぱいやったサッカーを思い出して頑張れ。羽中田、怪我は自分で治せ」
これは現在、J2のサガン鳥栖で監督をしている松本育夫氏から頂いたメッセージである。21年前、テープに吹き込まれたこの声を私は病院のベッドの上で聞いていた。
さて、私のサッカー人生の第一幕をここで綴ってみたい。サッカーとの出会いから事故で車椅子の人となるまでの話である。
今から31年前、小学3年生だった私は7つ年上の兄の影響でサッカーを始めた。当初は、サッカーに対する特別な思いなど持っていなかった。野球も好きで王さんのファン。テレビっ子でもあり、友達と一緒になって夕方までよく遊ぶ。つまり何にでも興味を持つ男の子だったのだ。ところが、そんな私がサッカー小僧へと大変身した。それは、ボールを蹴り始めてから1年後の夏のことである。
当時、西ドイツで開催されたワールドカップサッカー。この大会の決勝をテレビで観戦した。地元西ドイツ代表とオランダ代表の激突。時差があるので日本での放送は夜中だった。キックオフからどのくらい時間が過ぎた頃だろうか。テレビの前で涙を流す9歳の私がそこにいたのだ。
オランダのキャプテン、ヨハン・クライフのプレーに心を奪われていた。
芝生の上を蝶が舞うような優雅なプレースタイル。味方に指示を送るキャプテンシー。このときから、サッカーに対する私の意識がガラリと変わった。・・・・・いつの日か、ヨハン・クライフのような選手になってワールドカップに出るんだ。
私に夢を与えてくれた瞬間だった。
それから私はいつも白黒のサッカーボールと一緒。寝るときもご飯を食べるときも。中学に行っても高校に行ってもサッカー一色の生活は変わらなかった。高校時代は日本一になることを目指し一心不乱に苦しい練習に耐えた。真の喜びとは我慢と努力の先にあることも知った。
そして、私の人生を一変する衝撃の訪れ。それは高校を卒業した年の8月7日のことだった。原因は定かではない。走行中にバイクの前輪がパンクした。ハンドルをとられるとともに転倒。投げ出された身体が路面の上を踊った。
この瞬間から、脊髄損傷の怪我を負った私の足は2度と動かなくなり、サッカー人生の第一幕が閉じたのである。
事故後、病院のベッドの上で聞いた松本氏のメッセージは私にあることを気づかせてくれた。立つことも歩くこともできなくなった私。当然、大好きなサッカーもできるはずがない。
「もう僕には何も残っていないんだ。」
失意のどん底を漂うばかりだった。しかし、「何も残っていない」というのは間違いだったのだ。私がサッカーに注いだ情熱と同じ深さだけ、サッカーは私に様々なものを返してくれていた。
<数々のすばらしい出会い> それがサッカーからの贈り物だった。
今後、私を心で立ち上がらせてくれた、その出会いについて紹介していきたい。
羽中田昌はちゅうだまさし
サッカー解説者
サッカーの名門・韮崎高校にて2年連続全国大会準優勝。韮崎高校の黄金期のエースとして、その名を轟かせるが、高校卒業後、交通事故に遭い、脊髄を損傷、下半身不随の生活を余儀なくされる。その後、県庁に9年間勤…
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