私は仕事の合間を見つけて、大相撲境川部屋へ稽古指導に行く。
元小結・両国の境川親方は日本大学相撲部、出羽海部屋時代の先輩で、私の仲人でもある。そのような関係があり、部屋に足を運んでいる。私はこの部屋の「師範代」を任され、稽古場には名札も掲げて下さっているのだが、所属全力士の名札の横には部屋の「綱領」がある。以下のようなものだ。
一、 先人故人を尊び後輩を導く。
一、 強い心優しさ勇気を持つ。
一、 今この時の積み重ねが将来である。
一、 全ては己に返る。
一、 自分で選んだ道に悔いを残さない。
一、 目で見耳で聞いたら失敗を恐れず行動あるのみ。
一、 己だけが辛いわけではない。道に迷ったら故郷、家族を思い出す。
一、 念ずれば夢は花ひらく
一、 清い心武士道こそ相撲道である
この綱領を稽古の最後に力士全員で読み上げるのだが、それを聞いていると何故か熱いものが心の奥底から込み上げて来る。それは私が現役時代支えにしてきた言葉や想いが、沢山詰まっているからだ。
恐らく境川親方も技術や体力以前にこれらの心構えを力士達に叩き込もうという指導方針なのだろう。その信念が花開いた一つのエピソードがある。境川親方が、現在幕内で活躍している豊響をスカウトしに行った時の事。
門元隆太(豊響本名)少年を必死に説得する境川親方に隆太の母は心を打たれ、息子に入門するように勧めたその時、隆太は母親に向かって「だったらお前が行けよ!」と反抗的な態度で言い放った。それを見た境川親方は「親に向かってそんな口を聞く奴は、こちらから願い下げだ!」と言って東京に帰ってしまった。
当時、境川部屋の力士は少数。小部屋だった事を考えると一人でも多くの新弟子を入門させたかったはずだ。しかし境川親方としてはそんな事よりも、母親に対する隆太の態度が許せなかったのだ。
入門 “出来なかった”隆太は高校卒業後、トラックの運転手や造船会社等で働く。
スカウトから2年が過ぎた平成16年の冬。なんと隆太は自ら境川部屋に入門を志願しに来たのだ。これには私も驚いた。母子家庭ながらここまで育ててくれた母親に悪態を吐き、学校に行けば厄介者。そんな隆太が頭を下げたからだ。
相撲界ではスカウトされて入門する若者が圧倒的に多い中、自ら門を叩く事は異例だ。尚且つ、親方に一喝された屈辱もある。これは境川親方に怒鳴られた事によって、今まで心の何処かに眠っていた彼の何かが弾けたのではないか。
おそらく真剣に接してくれた親方の気持ちを感じ取る心は残っていたのだ。
入門から1年、母校に挨拶をしにきた豊響を見た先生方は、礼儀正しくなった彼に驚きを隠せなかったと言う。戸惑いの表情さえ浮かべる先生方に対し、親方は「あいつは良い所がいっぱいあるし、心根の優しい奴だ。そこを見逃しては、腐っていくよ!」と語った。
確かに彼が小さい子供や動物に接している姿を見ると頷ける。
不運にも昨年の九州場所前に発症した網膜はく離で番付を下げる事になったが、今年の春場所では2度目の十両優勝を果たし、見事幕内に復帰。5月場所も勝ち越した。この名古屋場所では同部屋のライバル豪栄道に番付も肉薄している。追い越す日も遠くないだろう。
時代が変わろうとも色あせる事の無い言葉。この時代だからこそ益々大切になってきたこの綱領を念ずれば、「夢の花ひらく」日はきっと来ると私は信じている。
舞の海秀平まいのうみしゅうへい
元力士
1968年2月17日生まれ。日大相撲部にて活躍。山形県の高校教師の内定が決まっていたにもかかわらず、周囲の反対を押し切って、夢であった大相撲入りを決意。新弟子検査基準(当時)の身長に足りなかったため、…
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