今月は大相撲九州場所開催の月。1年締め括りの場所だ。1年のまとめとして是非、素晴らしいドラマを見てみたい。
先場所(秋場所)千秋楽は割れんばかりの大歓声の中、朝青龍が白鵬を優勝決定戦で下し、24回目の優勝を飾った。これで朝青龍は北の湖の優勝回数に並び歴代3位。正に平成の大横綱と言っていいだろう。
「顔を見るのも嫌だ。大嫌い」と言う人。
「あの気合は見ていて気持ちがいい」と言う人。
好きか嫌いか、好みがハッキリ分かれる朝青龍。
今回はこの不思議な魅力を持つ朝青龍について、
私の感じている事を書いてみたい。
2年前のモンゴルでのサッカー問題に始まり、これまで数々の「話題」を提供してくれたのはご存知の通り。大相撲の歴史の中で問題の大きさは別として、これ程多くの言動を問題視された力士はいないのではないか。いや、昔であればもう辞めさせられていたのではないのか。
最近では優勝して土俵から降りる際に両の拳を高々と突き上げてしまった。その瞬間を見た私は正直に言ってこれでまた大相撲のしきたりや作法が崩れてしまう。と血の気が引く思いだった。しかも2度目だ。
相撲と言うのは勝ち負けだけではない。武道であるために、その精神的なところが重要だ。朝青龍が勝ち名のりを受けている向こう側では負けた力士が悔しさを「押し殺して」土俵を降りていく。その姿が彼には見えているはずだ。益してやガッツポーズをするとは相手に失礼だ。
私が現役時代勝ったときの心構えは、喜び7割。相手への礼儀3割と教えられた。「勝って奢らず(おごらず)。負けて僻まず(ひがまず)」の精神だ。朝青龍にはこの心を持っていて欲しいのだ。喜びを爆発させたければ、せめて支度部屋まで持って帰って欲しい。
何故、朝青龍がこうなってしまったのか。私はこの問題も含めて、相撲界・相撲部屋の問題を考える時、いつも親子関係に例えて見ている。
ここからはあくまで私の推測であるが、朝青龍は入門してから今日まで悪い事は悪いと、厳しく師匠から叱られた事が無いのではと思ってしまう。月日が経ち、番付をどんどん上げていき、あっという間に横綱になってしまったのでは…。何をしても叱られた事が無い子供が、善悪を知らずに大人になってしまい、その子は「何がいけないのか」となる。あの状態。
朝青龍にも本来身についていて当然のものが無く、どこか足りないものがあり、師匠を尊敬せず、しきたりを守らない反抗的な態度を取り続けているように見える。そう考えると朝青龍は悲運の横綱かも知れない。
数年前、稽古を終えた彼と話をした。とても感銘を受ける話をしてくれた。
「日本の力士は平気で親の悪口を言っている。何故だ。俺はそれが許せない。モンゴルでは絶対考えられない事だ。親は大切にするものでしょ」と彼は感情をたかぶらせて私に聞いてきた。その言葉で日本の教育のあり方を考えさせられてしまったほどだ。
横綱・朝青龍。指導の仕方によっては、心技体を兼ね備えた真の大横綱になれたのではと考えてしまう。
舞の海秀平まいのうみしゅうへい
元力士
1968年2月17日生まれ。日大相撲部にて活躍。山形県の高校教師の内定が決まっていたにもかかわらず、周囲の反対を押し切って、夢であった大相撲入りを決意。新弟子検査基準(当時)の身長に足りなかったため、…