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2009年12月10日

命の尊厳を考える

 毎日のように起きる事件や事故。
その中によく孤独死や人間関係の希薄化などという言葉を耳にする。確かに私も地元の町内会行事に積極的に参加しているわけでもなく、正直なところ煩わしさが無いと言うわけではない。

 先日、新聞で「直葬」という言葉を見た。
通夜や告別式をせずに、火葬と納骨だけで参列者はごく少数。セレモニーも簡素に終らせるのだそうだ。その理由に次のようなものがあった。

・死後、若い人達に迷惑や負担をかけるのは耐えられない
・葬式に呼びたい人がいない
・何もされたくない
・肉親がいない
・寺と付き合いが無い
・費用の事を考えて葬式を遠慮してしまった
 …と理由は様々だ。

火葬や遺品整理などの事務を託されるNPO法人には平成5年の創設以来、約2200人の死後事務の契約があるそうだ。

このような「直葬」とい言われる形を否定するつもりはない。ましてや経済的な事情と言われてしまえば、私も閉口してしまう。

しかし、亡くなった方を送り出す時にこの形式が日本中に定着してしまうと今を生きる若者、特に子供達の「死者や命」に対する尊厳が薄くなってしまうのではないかと言う不安が心をよぎる。

日頃から私は葬式を子供達の授業にうまく活用できないかとさえ考えている。そこで死について何かを感じ取って欲しいと思っているのだ。故人が何を話し、どんな希望や思いを持っていたか。肉体は無くなってもその想いは生き続けると言う事を。

 飛躍し過ぎると言われるかもしれないが7~8年前の靖国神社の代替施設問題議論が湧いた事を思い出す。戦争で散った若い命は代替を望んでいるのか。その遺族はどうなのか。生きている人達の意見だけで動くのは、やめて欲しい。

 亡くなった方々の気持ちは大切にしたい。しかし親族や他人に迷惑をかけずに消えるように死にたいと「直葬」を望む人達には、何かひっかかるものがある。

矛盾していると、お叱りを受けるかもしれないが、故人を大勢の知人が盛大に送ってやるようなお節介なら、許してもらえるのではないか。もしかすると草葉の陰で喜んでくれているような気がするのだが。

舞の海秀平

舞の海秀平

舞の海秀平まいのうみしゅうへい

元力士

1968年2月17日生まれ。日大相撲部にて活躍。山形県の高校教師の内定が決まっていたにもかかわらず、周囲の反対を押し切って、夢であった大相撲入りを決意。新弟子検査基準(当時)の身長に足りなかったため、…

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