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2016年07月20日

私のラグビー人生 ①~ラグビーとの出会いと生きる実感~

幼少のころはとにかく体力があり余り、近所では有名なやんちゃ坊主であった。小学生の頃のある日、風呂に入る私の話題を父と母が小声で話すのが聞こえた。なぜか内緒にしようと思う話しほど人には良く聞こえてしまうところが面白い。

内容は「あいつは悪い事ばっかりしかしよらんから、なんか激しい運動をさしたほうがええな。」というものであった。
「何がええの?野球か相撲かな。」と母が聞くと、父がきっぱり「野球と相撲は八百長やからな。」と切り返し、私は風呂にもぐって笑いを抑えるのが大変であった。

その他諸々運動の種類は出たがまとまらず、テレビのチャンネルを変える父が「これや。これやらそう。やっぱりタップダンスやで。」母も並んで「これはええわ。」と盛り上がり始めた。本気でやらされたりでもしたらたまったものではない。

蝶ネクタイに、サスペンダー、エナメルの靴を履く自分を想像すると、間違えなく近所から仲間外れにされることは間違いなし。私は慌てて風呂を出て、先輩から野球部に誘われていてもう断れないと嘘をついてその場をしのいだ。

しかし、親は一枚上であった。翌日学校から帰ると、なんと、新品のグローブとボール、バットが玄関に置いてあった。「今日から練習やろ。」と母に言われ、嘘などついたとなると、このバットが違う威力を発揮することになるので、私は道具一式を抱え慌てて家を出た。

夕暮れまで時間をつぶし家に戻ると父が「野球はええ、お前がやる気になったんやから、俺も今日から阪神ファンや。」とテレビにくぎ付けになっていた。八百長じゃなかったのか?結局、野球をやっている友人にチームに入れてくれと頼み、私のスポーツとの出会いが始まったのである。

その当時はまさにスパルタ時代で、学校前に朝練、学校後に夕練、土日も朝昼夕の3部練習である。これだけ時間がなければ必然的にいたずらやワルさもできなくなり、すっかり私の更生ぶりに、周りはスポーツの偉大さであると感心仕切っていた。

腕力のあった私はピッチャーに任命された。朝から100球、昼から100球、土日は400球。ほとんどボールをウォーミングアップもなくただただ投げさせられ続け、そのうち肘に激痛が走るようになってしまったのである。

私は何とか中学校までひじの痛さを我慢して投げ続けていたが、あまりの痛みに病院に行くと、それは野球肘だと診断された。あまりの酷使に軟骨が割れ関節内で動き回るのである。
破片がたまに関節の間に挟まったりするとその痛みは麻酔なしで虫歯を抜くより痛い感覚であった。ボールが投げれないようでは、野球はできない。結局私はしばらく休部して様子を見ることになった。

そんな当時たまたま私のいた中学校にはラグビー部があり、それも同じクラスに部員が5名もいたのである。ラグビー部の連中は仲間を集めて遊ぶのがうまく、クラスの皆を楽しくするのが得意であった。野球部を休部したニュースを聞いて、ラグビー部の連中が「ラグビーはボール投げないから肘は痛ないぞ。」「一度やってみて気に入れば入部するのはどう?」とかなんとかって言ってラグビー部に入ることを進めてくれ、一度だけ体験してみることとなった。人間は一人では生きていけないことをラグビーで学ぶ連中は、人を持ち上げるのもうまかった。

そして練習一日目、ラグビーのジャージ、短パン、ストッキングを借りてグランドに出た、ストッキングは女の子が履くものだと思い込んでいたので、恥ずかしくてたまらなかった。
運命の二日目、その日は練習試合であった。大阪城のお堀を埋めたグランドでは、ラグビー部に誘ってくれた陽気な連中たちの教室で見せる笑顔はなかった。体がきしみ、肉弾戦が続く音には迫力とかっこよさを感じ、いつもの彼らがやけに男前に見えた。

ハーフタイムを迎え、監督が大西と呼ぶ声が聞こえた。慌てて近寄ると「後半行ってこい。」の一言であった。
「せ、先生、ルール知らないんですけど。」と言うと「ボールを持ってない敵にタックルするな、ボールを前に投げるな。よし行け!」と言い返され、そのまま仲間たちにグランド真ん中に引っ張りだされた。生まれて初めてのラグビー試合出場となったのである。

無我夢中であっという間に終わった試合であったが、手足のすり傷からは血が滲み、体中が打撲、しかし体の芯からあふれる汗と爽快感はこれまで体感したことのないものであった。試合後の皆の顔も教室よりもはるかに嬉しそうに見える笑顔であった。私自身も体中の充実感に、生れてはじめて人間として生きていることを実感した。

そんな中、先生がやってきて、「大西、お前にはセンスがある、日本代表も夢やないぞ。」と肩をたたいて立ち去って行った。この体全体の充実感と共に初めて褒められる喜びを感じた私は、その瞬間ラグビーをやるために生まれてきたのだと実感、自覚した。

人は褒めるタイミングで大きくその後の行動を変える。私は先生や仲間に教えられたこの瞬間の喜びと充実の体験を、今もできるだけ多くの子供たちに感じてもらいと心がけている。

あの試合後の夕暮れに浮かぶ大阪城を思い出すと、今も体中に生きていること、人間であることを実感した喜びが蘇る。もう38年目を向かえるラグビー人生である。「一度やってみて気に入れば入部するのはどう?」、人を持ち上げラグビーに誘った人の数は計り知れない。

大西一平

大西一平

大西一平おおにしかずひら

プロラグビーコーチ

1964年生まれ。 大阪工大高で花園優勝。高校卒業後1年間ニュージーランドへラグビー留学。明治大学時代には3年時全国大学選手権ベスト4、4年時にはキャプテンを務め全国大学選手権ベスト8に導く。その後…

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