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2014年03月03日

浅田真央選手のメンタルを考える

 感動と興奮のソチオリンピック、17日間の熱戦の幕が閉じました。今テレビではちょうどその熱戦の裏側に密着した特集が流れています。
 
 個人的には、いえ、皆さんの大多数が同意見だと言ってもいいぐらいだと思うのですが、今大会で最も印象に残っているシーンを挙げるとするならば、やはり浅田真央選手のFPの演技ではなかったでしょうか。何度観ても目頭が熱くなります。そこで勝手ながら、あの衝撃のSPの前あたりから、「浅田選手のメンタルに何が起こり、そしてどうどん底の状態を脱出し、あのFPに繋がったのか!?」を武田的に検証したいと思います。
 
 私の経験の中で、今回の浅田選手と似たシチュエーションを思い出してみたのですが、2つの記憶が思い出されました。一つは『良性発作性頭位めまい症』を発症したときのことです。耳慣れない病名だとは思いますが、これは2012年のロンドンオリンピック前に女子サッカーの澤穂希選手もなられた病気です。耳の奥にある耳石というものが何かの衝撃やきっかけで欠けてしまい、その小石状になってしまった耳石が頭の方向や角度が変わりパラパラと遅れて落ちてくると、視点がグニャ~と歪んだり、ぐるぐる回ったりして見えるという症状が出ます。診察を受けられないまま遠征に発った私は原因不明の三半規管の異常に「アスリートとしての人生は諦めなければならないかもしれない」とそんな考えが頭をよぎりました。1日、2日、3日・・・と時間が経過しても一向に上向かない身体の状態に、不安と焦りはもちろんのこと、「めまいが襲おうが失敗は許されない」という状況で試合に出なければならない恐怖心は、かつて味わったことのないものでした。言うまでもなく、演技は自分史上最悪の出来でした。まともに倒立姿勢が立てないのですから。帰国後、すぐ病院に行き病名と症状を知りました。幸い数週間の後には完全に回復することができ、その半年後、私は同じプログラムでアジア大会に臨みます。回復後は練習で一度もめまいの症状は出ず、プログラムも以前以上に練り上げられ熟練された感覚がありました。にも関わらず、アジア大会の本番直前、これがフラッシュバックというやつなのでしょうか。「またあのグニャ~となる気持ち悪い感覚になってしまったらどうしよう・・・」と急に不安がよぎるのです。試合当日のウォーミングアップでも、実際に症状は出ていないのにグニャ~っとなっている気がするのです。「そんなはずはない。そんなはずがない。」と何度も自分の不安を打ち消し続け、この試合をどうにか無事泳ぎ終えることができました。この記憶から私は思ったのです。
 
 もしかしたら、浅田選手も団体戦でのトリプルアクセルの記憶が鮮明にあり『絶対失敗してはいけない』とあまりに強く思うがゆえに、その思いの強さと反比例するように失敗の記憶がフラッシュバックし、余計に意識してしまう。それが繊細な感覚が必要な筋肉に微妙に影響を起こしてしまったのではないか、と思うのです。例えば、「意識しすぎ=過度の緊張」をしてしまっているときの私は、筋肉がぎゅーっと固まってしまい、伸びやかに使えなくなります。それによって水の流れや中心軸の感覚がいつもより感じ取れなくなったり、妙に水温が冷たく感じ、呼吸を深くできないような状態になりました。こういう状態のとき、たいてい陸上動作のポーズをとった時に足元がぐらついたりします。そうなってしまっている自分に気づいているのですが、あらがえない何かがあります。フィギュアスケートの専門的なことは言えませんが、私なりに浅田選手のSP冒頭の構えのポーズを観て、腹筋のインナーマッスルに力がこもっていない感じがしましたし、滑り出しには「いつもより脚に力が伝わっていない」ように感じました。ジャンプ前の助走の速度に勢いが感じられなかったこと、特にジャンプの踏切り直前の肩甲骨の下がり方が、上手くいったときのジャンプよりも足りない気がしたのです。
 
 そしてもう一つ似ているシチュエーションだと思ったのは、講演でも内容の一部をお話しさせて頂いているのですが、シドニーオリンピックのデュエットフリールーティンの決勝のことです。この時すでに立花美哉さんとデュエットを組ませて頂くことになって4年目の年になっていましたが、私にはいくつかの課題があり、それを完全にクリアできていないという不安を抱えていました。試合で自信を持って臨むためには練習の時にしっかり『課題をクリアできた!私はできる!』という成功体験をより多く積むことだと思うのですが、この時の私はまだ不十分でした。4年間オリンピックに向けてトレーニングを積んできているにもかかわらず、不安材料を完全に払拭できないままだったのです。そんな状態ではありましたが、シドニーオリンピックに発つ前には少なからず調子は上がってきました。同調性の部分に関しては、反復練習によって考えなくてもお互いのタイミングが合うようになってきていたのです。しかし現地入りし、選手村から一旦離れ、オリンピック本番用のプールとは別の場所で最終調整をしていたのですが、徐々に微妙な狂いが生じてきました。考えなくても合っていた部分にバラつきが出だしたのです。最初「あれっ!?私の感覚がおかしいのかな?いや、何も起こっていない。大丈夫。」と打ち消すように、気にしないようにしましたが、最初はごまかしていても次第に不安や焦りが大きくなっていきます。そしていよいよ本番を迎える時には「課題も克服しきれていないし、良かった同調性の部分も狂いが出ている。もう少し練習したかった・・・」という気持ちが出てきて、これまでやってきた実績や自信が揺らぎ、自分を信じることができなかったのです。結果、ちょっと意識すれば起こらないケアレスミスを決勝でしてしまうことになりました。筋肉の状態も感覚の鈍さも前述したとおりの状態になってしまっていたと思います。浅田選手もSPの時は、心の底から自分を信じることができなかったのではないでしょうか。
 
 しかし、そこからたった1日で浅田選手は心を立て直し、あの世界中の人々の胸を打った、オリンピックの歴史にも残る会心の演技をしました。ご本人も後日言っておられたように、結局やるしかないんです。どんなに不安や焦りで迷いが出ても、本気の本気で取り組んできた練習や努力は体の感覚の奥底に必ず染み込んでくれているのです。それを強く信じるのです。「私はできる」のです。
 
 浅田選手の演技直後の涙は、何度観てももらい泣きしてしまいます。自分の記憶と 重ねてしまうからだと思います。私も最後と決めて臨んだアテネオリンピックで、ようやく自分との勝負に勝つことができました。抱えていた課題の克服は8年目にしてようやく「できた」と言っていいと自分で思えました。そして、「私はできる。試したい。やってみたい。」と、そう思える気持ちで臨みたいと思っていましたが、それも叶えることができました。結果は2位。優勝に手が届きませんでしたが、晴れやかでした。スキーモーグルの上村愛子選手も今回のソチで相通ずる思いがあったのではないかと観ていました。
 
 それにしても、スポーツは人の心に勇気や感動を与えることができるすごいパワーを持っているなと、改めて思います。2020年の東京オリンピック、パラリンピックがこれからますます楽しみです。

武田美保

武田美保

武田美保たけだみほ

アテネ五輪 シンクロナイズドスイミング 銀メダリスト

アテネ五輪で、立花美哉さんとのデュエットで銀メダルを獲得。また、2001年の世界選手権では金メダルを獲得し、世界の頂点に。オリンピック三大会連続出場し、5つのメダルを獲得。夏季五輪において日本女子歴代…

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