原発事故の推移を見ていて不思議なことは、なぜ関係者は日本の原発では事故は起こりえないと信じることができたのか、ということだ。絶対に安全などということはないと、それこそ科学や技術を学んだ人なら分かることだと思う。政治的な理由で「安全神話」をつくることが必要だったとしても、それはあくまでも関係する自治体やら住民を説得するためのもの。それ以上でもそれ以下でもない。
「神話」をつくりだしてそれを広めているうちに自分たちもすっかりその神話に取り込まれる。「ミイラ取りがミイラになる」とはまさにこのことだ。そういった神話は容易に一般市民にも広がる。振り返れば戦前の「不敗神話」もそうだった。「日本は外敵に侵略されたことがない」という歴史的な事実が、明治時代に日清戦争、日露戦争と立て続けに大国に勝ったことで、不敗神話が生まれた。
外敵に侵略されたことがないのは、四方を海という天然の要害に守られていたからだ。古来、船で軍隊を送り込むのは、なかなか難しいことである(軍事技術が発達した今でも本質的にその難しさは変わらない)。日清戦争はともかく日露戦争は、ロシアの勢力拡大を抑えるというアメリカやイギリスの思惑がなければ、圧倒的な国力の差が最後には物を言って、日本が敗れていたかもしれない。そういったことを忘れて勝利の美酒に酔いしれたのは、政府よりも国民である。
第一次世界大戦で漁夫の利を味わった日本は、陸軍も海軍も内心ではアメリカとの戦争を恐れていたにもかかわらず、恐れているということを言い出せなくなっていた。そしてずるずると太平洋戦争にのめり込んでいく。神話を政治的に利用していたのに、そこに足を取られていく様は皮肉である。何だか原発の安全神話に似ている。
神話はこれだけではない。バブルが弾けて20年、失われた20年と言われ続けている中で「それでも日本の製造業、中でも中小企業の技術は世界でも群を抜いている」と主張する人々が多い。たしかに中小企業の技術がなければ日本の製造業がここまで発展することはなかったと思う。
現に東日本大震災でも東北の太平洋側に立地していた部品会社が被災したことで、サプライチェーンが壊れ、その影響は国境を越えて海外のメーカーにまで及んだ。それほど日本が作る部品に多くのメーカーが依存していたことを発見したことは驚きでもある。
だからといって、この神話が不滅であるなどと考えないほうがいい。韓国がキャッチアップし、さらにタイやベトナム、中国など新興国がどんどん進化している。いかに日本が前を行こうと、必ず後ろから追いついてくる。今の日本に必要なことはこの技術が生きている間に、それを利用して何をするかを考えることだ。
一つの例がある。アップルのiPodだ。この製品にはもちろん日本の部品や技術が随所に使われていた。しかし日本の先進技術を象徴するような企業であるソニーは、このiPodに遅れること2年、ようやくハードディスク音楽プレーヤーを発売したのである。このことの意味は、一企業ソニーだけの問題ではない。むしろ日本の企業が抱える大きな弱点を表したものだと思う。
つまり技術的な完成度ばかり求めていても、「革新的」な製品は生まれないということである。かつて取材したことのある企業では、いかに精度が高いか(例えば1000分の1ミリの誤差)とか、いかに丁寧に製品を作っているか(例えば自動車工場の塗装のムラ)をよく聞かされた。いわゆる「匠の技」の域に達している技術である。かつてアメリカの自動車部品メーカーでこんなことを聞いたことがある。「日本の部品はオーバースペックだとわれわれは笑ってきたが、実際に使ったときに故障する確率は日本製がかなり低い。そこが日本製品の競争力だということにわれわれもようやく気づいた」
そうした意味での技術的優位性は大事なことではあるが、たとえば中国が1000分の1ミリを達成したときに、日本が1万分の1ミリをやっても競争になるのかどうか、というとなかなか微妙である。宇宙開発に使うというのなら競争になるかもしれないが、それではビジネスにならない。
それよりも発想を新たにした製品を考え出すほうがよほど日本経済に貢献するはずだ。なぜなら新しいライフスタイルは先進工業国のほうが生まれやすいからである。アップルという会社が、アメリカで生まれ、アメリカでイノベーションを続けている会社であるということに着目をしていいと思う。物質的に豊かで多様性を重んじる社会ほど、新しいスタイルも生まれる。
もちろんアップルにはスティーブ・ジョブズという類い希なリーダーがいる。日本には今のところ残念ながらそうしたリーダーはビジネス界には見当たらない。それは単に偶然とか確率の問題なのだろうか。それとも日本という社会がイノベーションにはあまり向かない、保守的になりやすい社会であるせいなのか。あまり「物づくり」ということばかりに目を向けていると、日本の大きな将来像が見えなくなるかもしれない。
藤田正美ふじたまさよし
元ニューズウィーク日本版 編集長
東京大学経済学部卒業後、東洋経済新報社にて14年間、記者・編集者として自動車、金融、不動産、製薬産業などを取材。1985年、ニューズウィーク日本版創刊事業に参加。1995年、同誌編集長。2004年から…
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