この物語は、2030年に生きるある老人の独り言から始まります。
「2030年以降の日本はどうなっているのか?」
元ニューズウィーク日本版 編集長・藤田正美さんが日本人口の1/3が高齢者になると言われている2030年問題の実際を大胆に予測し、「社会保障」「医療と介護」「老後と貧困」という話題に切り込み、まさに2030年に生きる老人のリアルな生活の様子を老人の独り言という形で紐解いていきます。2030年という時代はどういうものなのか、想像しながらお読みください。
シルバー民主主義という言葉があった。2030年の今では、もう当たり前すぎて誰も口にしない。その言葉は、人口の多い老人たちが多数であるために、民主主義の原則に従えば、その人々の意見が通りやすい状況を指す。「老人のわがままだ」と言ってしまえば身も蓋もないが、老人にしてみれば自分たちの老い先は切実な問題に違いない。だからこそ投票所にも足を運ぶ。投票率が高い上に、もともと人口が多いのだから、結果として政治が老人向きに偏るのも無理ない。政治家は当選することが前提である以上、老人に反発を食うようなことは言いたくない。だから社会保障を「老人から若者へ」とは絶対に言わない。少し丸めて「全世代」を対象とするという言い方をする。つまりは、若者をどう支援するのかという政策はなかなか実現しないのである。
老人問題はたぶんいつの時代にもあったのだと思う。『楢山節考』という深沢七郎の短編小説が書かれたのは1956年のことだ。もともとは山梨県笛吹市近辺の農家で聞いた民間伝承だとされている。いわゆる棄老伝説、働けずに家族の重荷になった老人を捨てるという伝説だ。今では肥満が問題になるほど十分すぎる食べ物がある時代だが、それはここ数十年の話。頻繁に飢餓に見舞われていた時代には子どもを間引いたり、老人を捨てたりということは珍しくなかっただろうと想像する。「口減らし」という言葉があったのはそう昔の話ではない。
私たちの周りでも、認知症の老人、老人施設での虐待、介護施設の長いウェイティングリスト、いつの間にか死んでいた独居老人、簡易宿泊所で焼死した老人たち、といった話はある。それでも15年ぐらい前にはまだ社会全体として見れば、それらは特別な「悲劇」とか「矛盾」とかいう言葉で語られていたように思う。社会そのものを揺るがすような問題とは考えられていなかった。
まだ老人をケアできるだけの社会の余裕というか国家の余裕があった(少なくともある「ふり」ができた)からだ。社会は、老人を見捨てるほど疲弊していないはずだと心の奥底で期待している老人たちも多かった。「そもそも俺たちがこの日本を支えてきた」という団塊の世代の自負もあった。
話はちょっとそれるが、この高度成長を実現してきたのは日本人の勤勉さであると考えていた人が多いように思う。しかしこれは大きな誤解だった。もちろん勤勉さもなかったとは言わない。東北の農村から上京してきた「金の卵たち」も貴重な労働力として高度成長を支えてきた。しかし実は高度経済成長には人口動態の変化という構造的な要素が大きく影響していたのである。
どのような変化か。要するに生産年齢人口(15~64歳)が支える従属人口(65歳以上の老人と14歳以下の子どもたちの合計)との割合の問題なのだ。1960年代から1980年代にかけて日本では、子どもの出生数が減り、老人はそれほど増えなかった。よって子どもと老人を足した従属人口を生産年齢人口で割った指数は50%を切った。つまり2人の生産年齢人口の人々が支えるべき従属人口の人々は1人だったのである。しかも従属人口の多くは14歳以下の子どもだった。つまり将来の労働人口ということだ。その意味で、この負担は「投資」と考えることもできた。
従属人口を支えるのに必要なカネが減るのだから、その分は当然のことながら消費に回る。それが高度成長経済を生んだ。これを「人口ボーナス」と呼ぶ。私が大学を卒業したのは1971年だ。その当時、私たちが欲しいものの筆頭は自動車だった。学生運動のかたわら、免許を取りに自動車学校に通った。そして就職して初めてのボーナスを充てて中古車を買った。初任給がいくらだったかはもう正確には覚えていないが、何せ給料はどんどん上がった。もちろん物価も上がったが、そんなことは気にならないほど給料が上がった。労働運動の盛んな出版界にいたせいかもしれないが、二桁賃上げなど珍しくもなかった。
賃金の上昇が消費を促し、自分たちが子どもの頃には考えられなかった自動車を手に入れた。そして1990年ころには日本の自動車市場はピークを迎える。年間約780万台が売れた。今ではどうだろう。せいぜい470万台ぐらいだろう。日本のマーケットは着実に縮小したのである。2009年に象徴的な場面に遭遇した。東京モーターショーである。2008年の秋にリーマンショックがあって、世界は不況の底に叩き込まれたときだから、東京モーターショーが冴えないのは当然予想されたことだ。しかしそこに出品していた自動車メーカーに、海外の大手メーカーは1社も見当たらなかった。アメリカの御三家、欧州のベンツやBMW、VWなどなど、そして韓国の現代も東京モーターショーには出品しなかったのである。もちろんリーマンショック後という特殊事情があるとはいえ、その現場を見たとき、「日本は見捨てられた」と実感した。
もっとも向こう側から考えれば、日本市場を見捨てるのも無理はない。何といっても成長著しい中国市場が隣にある。敢えて縮小する日本市場(それでなくても「閉鎖的」なマーケットだ)にコストをかけて売り込みをかける理由はあるまい。日本というマーケットは完全に輝きを失ったのだと思う。問題はそれが1990年のバブル崩壊以降の構造的な変化だとあまり思わなかったことだ。
構造変化とは何か。前述した従属人口と生産年齢人口の割合の続きである。2000年になる前からこの割合が急激に上がり始める。従属人口とりわけ老年人口が増えてきたからだ。「介護離職」という言葉がよく言われるようになったのはいつ頃だったろうか。これは老人をケアする負担が大きくなりすぎてきたことを実感させるような言葉だった。生産年齢にある人々が収入を親の介護に充てなければならなくなり、その結果、個人消費は冴えない動きになる。しかもこの傾向はさらに強まり、2040年ごろには生産年齢人口1人で従属人口1人を支えねばならない。これでは経済成長という飛行機を飛ばすのに、個人消費というエンジンがなく、片肺飛行である。高度を上げようというのが無理な話なのである。これを「人口オーナス」と呼ぶ。
こういった構造要因に気がつかず、日本政府は何とか景気を刺激しようとした。相も変わらぬ財政による対策である。その結果、積もり積もった日本の公的債務が1000兆円を超えるようになって、何となく日本人の感覚は麻痺してしまったようだ。年間GDP(国内総生産)の2倍というのは半端な数次ではない。先進国でこんなに借金を抱える国は他にない。2010年ごろに債務危機を迎えたギリシャですら対GDP比は160%前後だった。それを大きく超える債務を抱えていて、なおかつ史上最低水準の金利を保っていられるのは、とにかく日銀が国債を購入しまくるからだ。黒田日銀総裁が「異次元の金融緩和」を始めたのが2013年。物価上昇率2%を目標としたが、そこになかなか届かない。アメリカやヨーロッパが量的緩和という異次元の金融緩和から抜け出し、正常化したというのに、日本だけは取り残されてしまった。
もっともこうした人口動態による経済への悪影響は、多かれ少なかれ、どこの国でもあることだ。人口ボーナスを経験した国は、やがて人口オーナスを経験する。ただ日本の場合は他の国より早くて急激な変化を経験しているということだ。この変化は経済的な問題だけではなく、政治的にも一種の「機能不全」をもたらした。それがシルバー民主主義だったわけだが、それだけではない。人口の減少は地方の在り方にも大きな影を落としたのである。
(次回に続く…) ※次回は8/10の更新を予定しています。
藤田正美ふじたまさよし
元ニューズウィーク日本版 編集長
東京大学経済学部卒業後、東洋経済新報社にて14年間、記者・編集者として自動車、金融、不動産、製薬産業などを取材。1985年、ニューズウィーク日本版創刊事業に参加。1995年、同誌編集長。2004年から…
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